秋、唯一。再演 壱 筆者 : レート
そこは、森の中だった。
地層が幾重にも積み重なって出来た山の頂上に、森は広がっていた。
高度こそあるが頂上は平地になっていて、口伝では巨人が均したものだという。山というよりは渓谷と呼ぶのが相応しい。
紅葉の盛る木々をさらに、真っ赤な夕日が照らしていた。森一面が朱色に染まっている。
その森の中を、一人の男が走っていた。顔立ちは二十台半ば。髪は黒の短髪、緑の長袖のシャツに紺色のズボンを履き、その上に簡易防寒用のマントを羽織っている。
まるでカマイタチに遭ったかのように服はボロボロで、走り方も見るからに疲弊していた。
しかし、それでも男は走るのをやめなかった。何度も後ろを振り返りつつ、我武者羅に走っていた。
「あそこだ、追え! 逃がすな!」
後方から怒鳴り声が聞こえた。同時に十数の気配が動き出し、葉の擦れる音が次第に男に接近していく。
「くっ…」
男は走る速度を上げた。つもりだった。実際の速度は変わっていない、むしろ落ちている。
やがて、視界を流れていた木々が唐突に途絶えた。上を見れば雲のない朱色の空が広がり、目の前には広大な下界の情景。
そして遥か目下には、けたたましい水音を響かす濁流。
断崖絶壁だった。
左右を見ても森が続くばかりで、樹木の生えていないこの開けた崖縁に行き着いた男に逃げ場はなかった。
周囲の森から徐々に気配が近付いてくる。
「いたぞ!」
男が振り返る。声の主と思われる一人の黒子が間を置いて警戒していた。
葉の擦れる音が間近に聞こえ、さらに数人に黒子が姿を現した。同じように間合いを取って警戒している。
黒子たちに包囲された男は右足を後ずさるが、そこに地面はなかった。靴に削られた小石が転がり落ち、濁流の飲まれた。逃げ場を完全に失い、男は舌打ちする。
突然、包囲していた黒子の後方から、部隊長と思しき男が現れた。他のそれとは違い、赤い軽装鎧を纏っている。
「さぁ、大人しくペンダントを渡せ」
男は返事をしない。ペンダントを持った右手に力が入る。
「折れないのなら、力ずくで奪うまでだ!」
十数の黒子がにじり寄る。男に逃げ場は―
「…やるしかない、か」
男は前方にいる部隊長に向かって、右手のペンダントを差し出しながらゆっくりと歩き始めた。
一歩。
二歩。
三歩。
そして、四歩目はなかった。
男は部隊長の虚を突いて瞬時に振り返り、崖に向かって走り出した。
「なっ…!?」
崖縁ギリギリで踏み切りをつけ、一気に跳躍する。男の身体は一直線に落下し、小石と同じく濁流に飲まれた。
部隊長は慌てて縁に走り崖下を見やるが、遥か目下を流れる渓流に男の姿を確認できるはずもなかった。
「ぶ、部隊を下流に回せ! 早急にだ、奴を見失うな!」
「―もし」
朦朧としていた意識の中、微かに声が聞こえた。
「私の声、聞こえますか?」
返事をしようとするが、声が出ない。まるで喉に何かを詰められたような感覚だった。それでもどうにか声を出そうとする、しかし声にはならず、呻き声とさして変わらなかった。
「あ、リリアさん、こっちです」
もう一人、誰かを呼んでいるらしい。姿を確認しようにも、瞼は開こうとしなかった。
そして、男は再度気を失った。
次に気付いた時、意識はハッキリとしていた。寝起きのボヤケこそあるが、目は見えている。
目の前には木目の天井が広がっていた。身体を起こして室内を見回す。長方形の部屋で、右隣にはもう一つ、寝床があった。壁も床も同じ木目、タンスや机も木で統一されている。
すぐ左には大きな窓があるが、カーテンを貫いて差し込む光はない。外は、夜だった。
「あ…」
声が聞こえた。
横目で見た限りでは閉まっていたはずの引き戸から、声の主と思しき女が現れた。
栗色の長い真っ直ぐな髪に、見た事のない紺色の和服を身に纏っていた。顔立ちは二十台前半。
見慣れぬ和服のせいか、女の佇まいは清楚な雰囲気を醸し出している。長い髪が和服に似合い、それを加味させていた。
男は、見蕩れていた。
「お気付きになられたんですね」
男は我に帰った。
自分が女に見蕩れていた事に気付き、それに対して恥を感じて、照れ隠すように目線を逸らした。
寝床の脇に女が正座し、男に訊ねる。
「どこか痛む所はありますか?」
いきなり何を訊くのかと思えば、という思考よりも、照れ隠しのために平静を装うので精一杯だった。
「…いや」
「お洋服は洗濯しておりますので、息苦しいかと思いますがしばらくその服でお過ごし下さい」
…服?
周囲の様子に気を取られ、男は今さらになって自分が着ている服が違うのに気付いた。
「…脱がした、のか…?」
「はい。失礼かとは思いましたが、あのままではお風邪を引いてしまいますから」
非礼無礼云々の話ではなく、極一般的な反応として男はやや赤面した。見知らぬ異性に己の裸体を見られたかと思うと、ましてやそれを当の女が躊躇なく平然と話すのだから、余計に恥を感じるのも無理はない。
それでも男は、人としてせねばならない一言を言った。
「…すまない」
「どういたしまして」
吸い込まれそうな微笑みで返され、男の『今までに感じた事のない照れくささ』は最高潮に達し、堪え切れなくなった
無論、その様子を女は疑問に思った。
「?」
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