「フレイさん、起きてください」
「…」
「起きてください、朝ですよ」
「…」
「もぅ…こうなったら、えぃ!」

フレイがくるまっている毛布を剥ぎ取る唯。

「…さむっ」
「起きてください、フレイさん」
「ん……?…唯か…。おはよう…」
「おはようございます」
「…おやすみ…」
「わっ!フ、フレイさん!起きてください!」

なんとかフレイを起こし、朝食をとりに居間へ向かう。その時のフレイの足はフラフラだった。

「もう少しお待ちくださいね、すぐにできますから」
「ん。すまないな」

料理を皿に移し、汁物を茶碗に注ぎ、それを手に持った唯がテーブルへ運ぶ。

「はい、どうぞ」
「…なんだ?これは」
「カレイの煮付けです」
「どれどれ…」

ハシで軽くつまみ取り、口に放り込んだ。

「ん、うまい」
「あ…ありがとうございます」
「唯が作る料理はなんでもうまいよ、さすがだ」
「そんな事はありませんよ。和食以外は作れませんし」
「和食……唯が作った物以外、どこに行っても見た事がない…」
「近頃は廃れてきてしまいましたから…残念です」
「じゃあ今の内に腹いっぱい食っておかないとな」
「ふふ…そうですね」



朝食を食べ終え、食後の食休みをしている頃。

「なぁ、唯」
「はい?」
「俺…仕事しようと思うんだ」
「仕事、ですか?」
「あぁ。何もせずに家で腑抜けてるのもシャクだしな」
「でしたらオジ様に聞いてみましょう。何か仕事を紹介してくださるかもしれません」
「そうだな。頼む」
「わかりました」

軽い身支度を済ませ、ユニオンパースに向けて2人は家を出た。

途中に通過する虻谷の森はあの一件以来 伐採整理され、もう道に迷う事はなくなった。
ガーデンへ通じる道は完全封鎖され、何人たりとも通る事はできない。これも統治長の配慮だ。

「ここもさっぱりしてしまいましたね」
「おかげで道に迷う事はなくなったが…なんだか寂しいな」
「そうですね…」

…しばらく先に進むと、見覚えのある緑色の軟体動物が姿を現した。

「きゃあっ!」
「ん?どうした?」
「ヘ…ヘビ…」
「お。久々だな、ヘビ」

フレイが手招きをするとヘビがニョロニョロとこちらへやってきた。唯は怖くて動けず目も開けられず。

「元気にしてたか?」

ヘビの口先から赤い舌が垣間見えた。他では類を見ない従順なヘビである。

「フ…フレイさん…」
「ん?」
「こわい…です…」
「あ、そうか。すまない。じゃあな、ヘビ」

ヘビはニョロニョロと森の奥へと去っていった。フレイの後ろに隠れていた唯が肩の力を抜き、安堵の顔になる。

「そんなに怖いのか?」
「フレイさんは…こわくないんですか…?」
「怖いも何もないな。むしろかわいいかもしれない」
「あぅ…」

唯のヘビ恐怖症はどうにもならないらしい。と、フレイが何かに気が付いて唯に問う。

「あのさ」
「はい?」
「なんだ…その、『フレイさん』って、やめてくれないか?」
「何故でしょう?」
「ほら…俺達、一応夫婦なんだ。他人行儀なのもどうかと思うんだが…」
「フレイさんはフレイさんです、他にはありません」
「試しに呼んでみてくれないか?呼び捨てで」
「でも…」
「一度でいいから」
「……フレイ………………さん」

フレイは思わず滑り転けそうになった。

「まぁいいか…今のままで」
「そうですよ、無理に変える必要はありません」
「変えたいから頼んだんだけど…」

…虻谷の森を抜け、やがて到着した巨大都市「ユニオンパース」。姿形は変わる事もなく
繁栄を続けている。2人が門をくぐろうとすると、門兵に呼び止められた。

「ここを通るには許可証の提示が…あ、唯殿とフレイ殿でしたか。失礼致しました」
「いえ、お気になさらずに。職務を全うしている証ですから。いつもご苦労様です」
「ありがとうございます。統治長がお待ちのはずです、お屋敷へ向かってください」
「わかりました」

いつものように顔パスで門をくぐり、そのまま統治長の屋敷へと足を運ぶ。
…屋敷に到着すると相変わらず統治長が勢い良く出迎えをする。

「おぉ~!唯ちゃん、会いたかったぞぉ~!」

唯に向かって走る統治長だが、足を滑らせ転倒した。唯が統治長に歩み寄って立ち上がる手伝いをする。

「あたたた…」
「オジ様、無理はなさらないでくださいね。足の自由があまり利かないのですから」
「うむ…そうじゃったな…。喜び過ぎて忘れてしもうた…」

以前カインに襲われた時の怪我の後遺症で、統治長の足は思うように動かなくなってしまっていた。
統治長の招きで屋敷の中に入る唯。だがフレイは遠巻きから先ほどの光景を傍観していた。

「およ?フレイよ、何をしておるのじゃ?」
「統治長、相変わらず元気だけはあるなぁ…と思って」
「ほっほっほ。そう持ち上げなさんなって。ほれ、早く入るのじゃ」

唯の後に続いてフレイも屋敷内に入り、客間に通されソファーに座った。

「して、今日は何用じゃ?」
「フレイさんがお勤め事に励みたいそうなので、オジ様に何か仕事を紹介していただけないかと」
「ふむふむ…仕事か…ちと待っとってくれ、内の者に聞いてみるぞよ」

軽い足取りで統治長は客間を出ていった。

「お仕事、見つかるといいですね」
「変な仕事でなければいいんだが…あの統治長だ、妙な仕事を持ってくるやもしれん…」
「フレイさん、オジ様に失礼ですよ?」
「唯はそうは思わないのか?」
「えと…1つくらいならあるかもしれませんね」
「真剣に押し進めて来たらキッチリと断らないと本気になりそうだ…怖いな…」

しばらくすると再度軽快な足取りで統治長が客間へと戻ってきた。

「お待たせ~♪」
「統治長、俺にできそうな仕事はあったのか?」
「チミにできそうなのはこの3つくらいかな~。ホイホイホイっと」

客間のテーブルの上に置かれた三枚の求人広告。その1つをフレイが手に取り、じっくりと物色している。

「パン屋の…店員?」
「フレイさんがパン屋で働く姿、見てみたいですね」
「…これは遠慮しておく。次は…っと」

即座に1つ目の仕事を諦め、2つ目の広告を手に取った。

「酒場の…給仕?」
「これはいいお仕事だと思いますよ」
「なんでだ?」
「…なんとなく、です」
「これもボツだ。最後はなんだ?」

2つ目も諦め、最後の広告を手に取った。

「イムカ復興のために働いてくれる方を募集中…か」
「フレイさん、これにしましょう」
「あぁ…俺もそう思ってた」

3つ目の仕事を見て即了承、これで仕事が決まった。

「統治長、これにする」
「イムカ復興作業員か…ほいほい、わかったぞぃ。話はつけとくからの、明日からでも働けるじゃろ」
「すまない。手間を掛けさせてしまって」
「いいんじゃよ~、唯ちゃんの夫の頼みとあらばお安い御用じゃ」
「…そう言われると…妙に照れるな…」

仕事の話も終わり、少しだけ間が空いた。統治長が話始める。

「そうじゃ、今日は泊まっていくのじゃろ?」
「いえ。まだ日も高いですし、少し街を回ってから戻るつもりです」
「むぅ…残念じゃが、2人の時間を邪魔する権利もないしのぅ…」
「すいません。今度来る事がありましたら、その時はゆっくりさせていただきますね」
「残念じゃのぉ…」

…軽く会釈をしてシフネ邸を後にしたフレイと唯の両名は、何気なしに街を散策していた。

「フレイさん」
「ん?」
「どこに行きましょう?」
「いや…俺に聞かれても困るが…」
「…お買い物、していってもよろしいでしょうか?」
「別に構わないが、あまり熱中し過ぎないようにな」
「あ……はい…」

唯は顔を赤く染め、少し俯きがちに恥ずかしがっている。



空が朱色に染まり、日も暮れ始めた頃…唯は未だに買い物を続けていた。

「唯」
「…」
「唯」
「…」
「お~い…唯~」
「…はい?なんでしょう?」
「日、暮れてるんだが」
「え…?あ…あれ…?わたし…また夢中になってました…?」
「かれこれ3時間くらい、な」
「あぅ…ごめんなさい…」
「気にするな。でも、さすがに腹が減ったな…」
「どこかで外食なさいますか?」
「いや、家に帰ろう。無駄遣いは極力減らして方がいいからな」
「そうですね」

日が沈んで暗くなっていく空の下、2人は家を目指して歩き出した。



2人が家に到着した頃には空は黒一色になっていた。家に着くなりフレイは長椅子に座り、空腹で倒れている。

「腹減った…」
「少々お待ち下さい、すぐにお作り致しますから」
「早めに…頼む…」

唯が料理を慌て急ぎ、フレイは長椅子に横たわって活力を無くしている。

…しばらくすると食欲をそそる香りが居間に満ちあふれ、フレイが飛び起きた。

「できたか!?」
「ふふ…そんなに慌てなくてもお料理は逃げませんよ」

淡々とした口振りで唯は自らが作った料理を食卓に運んだ。フレイはすでに箸を持ち、心待ちにしている。

「どうぞ、お召しになってください」
「…これは?」
「キノコと豚肉の炒め物です」
「と、とにかく、いただきます」

料理を軽くつまみ、放り込むように口の中に入れ、良く噛んで味わっている。

「ん。うまい」
「ありがとうございます」
「他で食べる料理とは根本的に違うんだよな…」
「え?」
「全体的な味のテイストとか、使っている調味料が全く違う」
「それはもちろんですよ、和食は独特の調理法ですから」
「そうじゃない…唯が作る料理にしかない何かがあるんだ…」
「何か…ですか?」
「あぁ」

そんな事を話ながら夕食を食べ、いつしかたくさんあった料理はフレイの胃袋へと消えていった。

「う~…ごちそうさま…」
「明日からお仕事です、早めにお休みになってくださいね」
「わかった…そうする…」

フレイはそのまま寝室に向かうのかと思いきや、ドアの前で一旦立ち止まった。
皿洗いをしている唯の背中を見るとおもむろに歩き出し、後ろから唯を抱擁した。

「きゃっ!」
「唯…」
「フ、フレイさん…あの…ま、まだ、お皿洗いの途中ですから…」
「ん…そうか…」

抱きしめていた腕を放し、フレイは残念そうに寝室へと戻っていった。
その時の唯の表情が赤くなっていた事は言うまでもない。



数時間後。唯が寝室へ向かうと、フレイはイビキをかいて熟睡していた。
唯はそっとフレイの横に歩み寄り、寝返りでズレた布団をしっかりと掛け直した。

おやすみなさい、フレイさん…

唯がフレイの耳元でそう言った後、フレイの頬に口付けをした。そして唯も自分の寝床で眠りについた。