続・千夏の夏 第十話

「おっでかっけおっでかっけ~♪」

千夏は今朝からずっとこの調子である。
こちとらボディプレスで叩き(潰し?)起こされて朝っぱらからブルーだというのに、元気なもんだ。

「ねっキート、早く行こうよぉ」
「おバカ、まだメシも食ってねぇだろうが」
「だぁってぇ~ん」
「分別のない子供じゃないんだから座って待ってなさい」
「ココで待つぅ~」

ココとはちなみに、オレの身体。さっきから後ろから抱きついたまま離れようともしない。

「…千夏?」
「ふぇ?」
「早く食って早く行きたいなら、おとなしく待っててくれよ。集中できないわ」

千夏はちょっぴりしょげて、

「ごめんなさい…」

しょげしょげな声で言った。

「気にすんな。ほれ、座ってろ」
「はーい」

直前までしょげてたくせに、スキップしながらソファに向かい、座った。
まぁいいか。



「キート、オッケ?」
「おぅ」
「そんじゃ、しゅっぱーつ♪」

元気にガチャリとドアを開け、いわゆるお出かけの第一歩を踏み出した。
わはははは、と笑ってしまいたくなるほど罰ゲームのような熱波が襲いかかる。
八月も中旬、残暑と言うには苛烈過ぎる自然環境である。…日傘持ってこうかな。

トントントンと階段を下りてマンションを出て、駐車場を横切っている最中。

「キート?」
「あん?」
「今日はどこ行くの?」
「…? ―――――あぁ」
「あぁ、って、もしかして…」
「全然考えてなかった、とな」
「やっぱりっ」

いつものことだ、と二人して笑った。

「じゃあねじゃあね、ひとつ提案があるんだけど」
「なんだ?」
「大堀じゃなくて、たまには三浦を歩いてみたいの」
「あぁ、なるほどねぇ。いいんじゃない?」
「うんっ。じゃ、決定?」
「けってー」
「けってーいっ!」

千夏のド派手な反応が心地よく思えるようになったのは、いつ頃からだったろうか。
出逢ってすぐ、小学一年生の頃は、軽い女だとかうるさい女だとか煙たがっていたのを覚えてる。
再会してすぐの頃だって、さすがに十年のブランクがあると正直わずらわしいと思う時もあった。
千夏の元気を感受するのには、慣れが必要なのだ。あまりにも元気過ぎて、引いてしまうないし付いていけない、
とオレの中では考えている。

だからこそ、慣れた時に初めて、その元気がどれほど良いものかがわかる。
だから自然に、元気にさせたいと思い、元気になるであろうことをしてあげたくなってしまう。
男ってなぁ、単純だなぁ。

ルンルン気分の千夏に付いて歩いていたら、ものの数分で駅に着いた。
偶然にも上り電車がちょうどホームイン(?)してきたので、避暑の勢いで乗り込んだ。

「すっずすぃー」

エアコンの冷風が出てくる天井ファンの下に立って、直風独り占めヒャッホウ。

「キート、みっともないよっ」
「えーがな別に誰も乗ってな、」

うわガキンチョが乗ってる目が合ったうわぁぁ、

「…暑いねー僕ー?」

直後、オレは自分の眼を疑った。疑いたくなった。ピクッ、と目尻が上がる。
このクソガキ、オレ様に向かってよくもあかんべーを! 許さねぇシメテヤルブンブン回してやる!

「キートッ!」
「だ、だってこのクソ、じゃなくてお子様が、」

先に座っていた千夏が立ち上がり、クソガキを指差すオレを無理やり席に押し込んで、

「ゴメンねー僕ー?」

直後、オレは自分の眼を疑った。疑いたくなった。ピクッ、と目尻が上がる。
このシャバ僧、千夏が話しかけたらニヘラ顔しやがって! 許さねぇツルシテヤルぐるぐる巻きにしてやる!

「もぉ、キートったらぁ」
「だぁってぇ~ん」
「マネしてもダーメ」
「…すみましぇん」
「分別のない子供じゃないんだから、ね?」
「はーい」

いつぞやの立場とは正反対になった。これもまたよくあることだ、とくすくす笑ってしまった。

頭の隅っこの方で、今日はせっかくだから不動島にでも行こうかと(電車に乗ってから思い付いて)
考えていたんだが、千夏が三浦に行きたいと言うのだからその通りにしよう。
言われてみれば今までのお出かけは無難に地元ばかりで特に大きな外出はしなかった。
まぁ今回だって電車で数駅程度だけど、それでもマンネリな地元を歩き回るよりかははるかに新鮮だろう。

「ねぇ」
「ん?」
「三浦の道、キートわかる?」
「あんまり。ってかほとんど知らん」
「えっ、そなの?」
「駅からレストランまでの道のりしか歩かんから、それ以外は一昨日の祭が初めてか」
「えぇ~っ、じゃあ全然道わかんない?」
「おぅ」
「困ったなぁ、迷っちゃったらどうしよ…」
「大丈夫だって、駅前でも十分遊べるから迷いやしねぇよ」
「…ホントに?」
「あぁ」
「信用しちゃうよ?」
「沢口信金頭取を甘く見るな」
「倒産しない?」
「財テクには自信あるぞ」
「合併しない?」
「…」

そこがんばれよオレ。

三浦に到着して駅を出て、このまま無心に歩き出したら勝手にレストランに足が動くと思う。

「あ゛~ぢ~い~よ~…」
「何言ってるの、もう八月だよ? ド真ん中に比べたら全然暑くないよぉ」
「そらお前だけだ」
「そんなことないもんっ」
「へぇ、どなた?」
「お兄ちゃん」
「…」

杉本家って耐熱構造?

「まいいや、とりあえず歩くか」
「うん」

目指す宛もなくただトボトボと、灼熱の三浦駅前通りを歩く。
毎朝ボケッ面で通り過ぎるから大して意識していなかったが、結構いろんな店がある。
ブティックかと思えば隣はネジ屋だし、靴屋かと思えば隣はすし屋だし。配置がパラノイアだった。
これもまた個人商店が連なった商店街の特徴と思えば味のあるなんとかっつーかなんつーか。

「やっぱり、大堀よりコッチの方が便利かも」
「だろ」
「お店いっぱいあるし」
「そうそう」
「コッチにすればよかったかなぁ…」
「なんだ、大堀ヤなのか?」
「…ん~ん、やっぱり大堀の方がいいッ。うん、絶対そうだっ」
「自己完結してないで人の話を聞きなさい」
「だって、井野口さんいるし滝沢さんいるしホッちゃんいるしミーミもいるし池尻の親分もいるしカマヤツだってあるし」
「なんだなんだ、近所の人か?」
「うんっ」
「…それって後から付いてくるもんで、コッチに越したとしてもお前、同じこと言うだろ?」
「そんなことないもんっ」
「何を根拠に?」
「うっ…」
「ほれほれ言ってみろ」
「うぅぅう…」

詰まったら、いつものパターン。

「キ…、」
「キ?」
「―キートが好きだからっ!」

言ってごまかす。

…えーっと。

…(赤面)。

「バ、バカ、街中で何言ってんだよッ」
「あ、照れてる照れてる~」
「…フンだ。置いてくぞ」
「あっ、待ってよぉ、ね~ぇ~」

絶対言えない。抱きしめそうになったなんて、絶対言えない。

千夏は昔っから意地っ張りだった。勢いに任せて意固地になって言い切るが、一旦根拠を追求されると失速して
何も言えなくなり、最後には適当なことをドワーっと言ってごまかして逃げる。頭はいいはずなのに、どこか
抜けてる節があるのだ。昔は頑固女だの見栄張子だの言ってたが、今はどうも仕様が違うようだ。
ムキになってはぐらかしたり、もんもん言う千夏が子供みたいで、かわいく思うのかもしれない。
…そういや昔、追求し過ぎて泣かれたことあったっけ。あの時のオレ、とばっちり120%だったぞ。

東京からココに越してくる際、候補地選択は非常に重要だった。それこそ転居先など無数にあるのだから。
そりゃ海外だの地球外だのは無理だが、せめて同地方内で安くて空気が綺麗で緑が多い所が良い、と千夏の
いつものわがままが始まって、ターゲットを絞っていく内に三浦と大堀ともう一つが候補に挙がった。
もう一つは残念ながら『トイレと風呂が別じゃない』ので却下され、最終的には三浦と大堀の一騎打ち。
その実、オレはどこでもよかったから千夏がひとりで悩みに悩んで末に単独で決めたようなもんだったがな。

引越し料金から賃金まで、無論千夏が全額負担した。オレに負担させたら全部借金だ。
その点に関しては頭を下げても下げたりないほど感謝している。無一文だったオレを拾ってくれて、衣食住全てを
提供してくれる千夏が聖母のようにも思える。だから、一円でも多く稼いで千夏をラクに、幸せにしてやりたい。

…いや、幸せにしてやるのといじわるするのは別問題で。

ちなみに、今住んでいるマンションは賃貸だが、分譲もしてもらえるタイプになっている。
しかも、賃貸期間が長ければ長いほど分譲価格も安くなるという嬉しいシステムなのだ。
とりあえず引っ越して、余裕ができたら買おうと考えているオレたちにはベストなマンションだ。

オレに追いついた千夏は、懲りたんだか懲りてないんだか、オレの思考を知ってか知らずか、腕に抱きついてきた。

「キーィトっ♪」
「おっ、コラ、離せ」
「はーなさーないーっ」
「んじゃ一生くっついてろ」
「――いいの?」
「へ?」

適当に言ったつもりだったが、見当違いにも千夏が半ばマジメな顔をして訊ねてきた。

「一生、キートのそばにいていいの?」
「……はぁ!?」

な、なななな、何を言ってんだコヤツは!?

「だってキート、一生って、」
「な、なな、なに考えてんだよ! こんなトコでンなこと言うドテチンがいるかっ!」
「じゃあ、ダメなの?」
「なにが!?」
「キートのそばにいちゃ、ダメなの?」
「なッッ―」

なんて答えればいいんじゃーーーいッ!!

切羽詰った顔で狼狽していると、千夏が返答を求めてきた。

「ねぇ、キートっ」
「…か、勝手にしろぃっ」

精一杯の返答だった。

「勝手にする♪」

さらに強く、腕を抱きしめるのであった。

朝っぱらから忙しい一日だ。

「あ、ねぇキート、あれあれっ!」
「ん?」

千夏が指差す方向に目をやる。路地、の何を指しているのかわからない。

「どれだよ」
「ほ~らぁ、かき氷印の旗っ」

あぁ、あった。小振りながら、弱風にはたはたとなびく氷旗があった。

「行きたいんでちゅか?」
「はいでちゅ♪」
「変な声」
「あっ、ひどぉい!」
「わははは、ただのカナダジョークだ。ほれ行くぞ」
「もぉーっ、待ってよぉ」

声は怒っているくせに、顔は喜んでいるのが千夏のかわいいトコロなのだ。

脇道に入って数十メートル。栄えている駅前通りとは裏腹に建物の裏は広い畑だったりする、そんな所に
かき氷屋はあった。シャッター開けっぱなし、開放型のコンクリート店舗は、じつに味のある雰囲気だった。
やや手前からでも聞こえていた涼しげな風鈴の音が、近付くほどに心地よさを増していく。

「こーんにーちわー♪」

店の前で千夏が言って間もなく、店の奥からちょっと頼りなさそうなメガネの杖つきおばあちゃんが出てきた。

「あれま~、これまたお若いカップルでないの。こぉ~んな田舎でデートかい?」

ややトーンの高い声で、少々おトロい喋り方だった。

「そうなんです~♪」

うおっ、オレの腕に抱きついて言うな。

「どぉぞどぉぞ、お好きな席に座ってくださいまし。この暑さじゃあお客も来ませんよってに」

言う通り、8セットほどある席には誰も座っていない。猛暑ではアイスよりかき氷が売れると言うが、
それも度が過ぎれば外出すらしなくなってしまう。加え、老年比率が増す一方のこの町で、外出してまで
かき氷を食べようと考える人はほとんどいない。…オレたちで盛り上げてあげようぜ。

テキトーな席に千夏と向かい合いで座って、



脚が錆びた一世代前の模様のカジュアルテーブルはまだしも、この四脚パイプ椅子、歪んどる。
まぁ、この際気にしないことに…したい、けども、揺れる、あああああ。
気付いた千夏もエヘヘと苦笑いを浮かべる。田舎だもんな、仕方ないと思おう。

「お品書きはこちらになっとりますえ」

おばあちゃんが手を差し伸べる方向に目をやる。メニューは正面の壁に貼られていた。
イチゴ、メロン、ブルーハワイ、レモン、コーラ、プリン。基本200円、トッピングミルクで+50円。



プリン?

千夏
「ふぇ?」
プリン味って食ったことあるか
「…ぅえッ!?」

遅れてその存在を目視した千夏は、とてもわかりやすい表情でびっくらこいた。

…食べてみる?
オレは穏健派なんだが
じゃあ、二人で半分こする?
そーだな
「うん、決まり。すいませーん」

おばあちゃんを呼んで注文、ひたひたした歩き方でかき氷機がある厨房?に向かった。
やっぱりというか、かき氷機は手動だった。味のある使い古された感じがそれっぽく見えた。

「おばあちゃん、ちゃんとできるのかな…」
「できないわけねぇだろ、あのオーラはきっとプロの―」

奥の冷凍庫から氷を取り出そうとするおばあちゃんだが、重くてとても持ち上げられそうになかった。
…はぁ、仕方ない。おばあちゃんの元に向かう。

「手伝いますよ」
「あぁ~いやいや、それはなりませんて、お客様の手を煩わせるわけには…」
「いいんですって、どーせ元気余ってるんだから。で、何すりゃいいんですか?」

すいませんねぇとヘコヘコしながら、おばあちゃんに要領を教わった。
何だかバカでかいハサミみたいな道具で氷をガチンと挟んで、それをかき氷機に入れるのだそうだ。
力さえあれば簡単な作業なので、さっさと終わってしまった。

「ほんに助かりましたぁ…」
「お安い御用ッスよ」

席に戻って、今度こそおばあちゃんのプロのお手並みを拝見する。

「キートくんやっさしぃ~」
「当たり前のことをしたまでだ、ぬはははは」
「わたしにはやさしくしてくれないのにね」

Σ(´△`;;

おばあちゃんが、かき氷機のハンドルをゆっくりと回し始めた。
力強さや機敏さこそないが、素人目から見てもその手つきは熟練のそれだった。
回し加減、かき氷を落とす位置、山の盛り方、シロップのかけ方まで、うまいの一言。

おぼんに載せて…おや? 二つのかき氷がやってきた。

「はぁ~いお待たせしましたぁ」

プリン味のかき氷にもう一つ、イチゴ味のかき氷が置かれた。プリン味の方は濃い黄色のシロップだった。

「あの、頼んだのプリンだけなんですけど…」

千夏が言うと、

「手伝っていただいたお礼ですえ」
「あ、そんな、いいですよぉ」
「もうつくってしまいましたゆえ、遠慮せずにどぉぞ」
「…じゃあ、ありがたくいただきます♪」

田舎の人はあたたかいなぁ、と思った秋人であった。

ではごゆっくり、と言っておばあちゃんは店の奥に戻ってしまった。

「そいじゃ、いっちゃいますか?」
「おぅ。一斉に食うぞ」
「りょーかいっ!」

スプーンを手に取って、構える。

「準備はいい?」
「っしゃ」
「―せーのっ」

二人同時に氷を掘って、食べた。

「…」
「…」

しばし沈黙が支配したが、

「プリン…だね?」
「プリン…だな」

味は確かにプリンだった。あの甘ったるい風味がそのまま再現されていた。
プリンを凍らせて食べてるような、プリンシャーベットみたいな感じと言えばわかりやすいか?

「わたし、こういうの好きかもっ」
「そうかぁ?」
「おいしいでしょ?」
「まぁ、まずくはないが…オレにはシビアだな」
「じゃあコレわたしがもらって、キートイチゴ食べる?」
「おぅよ」
「わ~い♪」

嬉しそうな顔をして、千夏はガツガツとプリン味のかき氷を食べ始めた。
かき氷一つで世界平和みたいな幸せな顔するなよ、こっちまで嬉しくなるじゃないか。



青空から照り付ける太陽に、頬を焼かれる。

夏の暑さは心底大反対だけど、今日ばかりは許せるものに感じる。

許せるどころか、心のどこかで求めているような、不思議な気分だった。

嫌よ嫌よも好きの内、とはこのことなのだろうか。

目の前には、どこまでも青々と広がり続く、三浦名産のキャベツ畑。

その向こうには、脈々と連なる山々と、みんなの夢が詰め込まれているかのように大きく膨れた雲。

見ているだけで心が晴れやかになってゆく。

ストレスとか、悲しいこととか、嫌な気持ちがウソみたいに消えてゆく。

まるで絵に描いたようなのどかな風景が、田舎の街に在り続ける。

そして目の前には、かき氷の食べ過ぎで頭痛を起こしながらも笑顔を絶やさない、大切な人がいて。

せせこましい生活に見えるかもしれない。

それでも、オレにとっての"今"は、人生で一番幸せなひとときなのだ。

今の暮らしが続いてくれるなら、オレにはもう、これ以上のものは――



「千夏、無事か」
「う゛ぅ~…」

激烈濃厚甘味のプリン味を一気に食ったせいで、頭痛だけでなく奇天烈な症状まで出てきたらしい。
古びたカジュアルテーブルに突っ伏して、できあがっていた。

「おいしかった分、ちょっとショック…」
「カルピスの原液ゴクゴク飲んだのとおんなじじゃねぇの?」
「あー…。そかも…」

先ほどまでのテンションは忘却の彼方、完全に参ってる。とそこへ、

「おやまぁ、大丈夫かい?」

おばあちゃんがお水を持ってやってきた。

「あ…。はい、おいしかったです…」

元気はないが、おいしかったのは間違いないようだ。

「ゴメンナサイねぇ。東京に出てる息子が、新商品だから使ってくれっていうもんだから…。でも、やっぱり
慣れないシロップは扱わない方が―」
「そ、そそ、そんなことないですっ! と~ってもおいしいですよ、プリン味! わたしがちょっと無茶な食べ方
しちゃっただけですから、なくすなんて、………う゛ぅ…」

失速。これでも飲んで、とおばあちゃんが水をくれ、千夏がぐびぐびと飲み干した。

「ちょっと、休んでくか?」
「うん」

千夏が回復するまで、少しの間休ませてもらうことにした。
自然、おばあちゃんがまた奥に下がろうと踵を返した時、千夏が呼び止めた。

「あっ、おばあちゃん、」
「はぃ?」
「よかったら、一緒にお話ししません?」

おばあちゃんはヒャアと小さく驚いて、

「ああ、あたしみたいな年寄りがいたって、邪魔になるだけで…」
「そんなことないですよー。ささ、どーぞどーぞっ」

どっちが客だかわかんねーな。
千夏に誘われたおばあちゃんは、千夏が隣のテーブルから強奪してきた椅子にチョコンと座った。
少し緊張しているようにも見えるが、その表情は嬉しそうである。…うーん、いろんな意味でキュートだ。

「おばあちゃん、今年でおいくつなんですか?」
「そぉだねぇ…。金婚式をやったのが、十年ちょっと前だから…ひぃ、ふぅ、みぃ―」

おばあちゃんの指の形が六本折れになったところで、

「八十六になりますえ」
「えー!? 全然見えないです、もっとお若いのかと思ってました!」

端からみればテレビショッピングばりの世辞サプライズだが、千夏の場合は本音だと思う。
確かにこのおばあちゃん、86才には見えない。白髪こそ豊かだが肌のツヤが良く、動きも歳を感じさせない。
千夏も将来はゲーホゲホゲホ!

「あらまぁ。お世辞はもっと、若い人に使うものでしょう?」
「お世辞なんかじゃないですよぉ~。ウソをついたことがないのがわたしの自慢なんですからっ」

…これは、嘘か誠か定かではない。
おばあちゃんはやや苦笑しながら、

「それを言うなら、あなただって――えぇっと…」
「あ、わたし、千夏って言います。ついでにこっちの人は秋人」

えっ、オイラついで扱い? 満州の民と違うぞ!

「はらら、偶然ねぇ。あたしの孫娘もチカっていうの」
「えー!? すごい偶然ですね! おばあちゃんと出会ったのももしかして運命かも♪」

千夏が男だったら、適齢期をとっくにアウトバーンした女性を口説くホストにしか見えない。
口の前辺りで手の平を合わせるアクションまで付けてんだ、外人俳優もビックリだぜ。

「あたしはウメと申しますえ」
「かわいくて素敵なお名前ですねぇ」
「あらまぁ、いいのよお世辞なんて」
「お世辞じゃないですってばぁ」

いつもの世間話が始まりそうだったので、オレは避難がてら、寝る。

「千夏ちゃんだって、とってもかわいらしいお顔ですよ?」
「そ、そんなことないですっ! ハタチ過ぎちゃったから、これから、どぉんどん、よぼよぼにぃ」

セリフに合わせながら頬を押したり下に下げたりして顔を変形させていた。
おばあちゃんは今度こそ、くすりとだが笑った。

「お肌も元気そうで、若いっていいねぇ…」
「いえいえおばあちゃんこそ―」

しばし、お世辞合戦が続く。いや、全部が懐疑ってわけじゃーないぞ。どれが本音かわからんだけだ。

「千夏ちゃんは、三浦に住んでるの?」
「いえ、大堀に。最近引っ越してきたんです」
「最近…? どうしてまた、こんな田舎に?」
「えーっと…。まぁ、ちょっと、いろいろあって」

まずい質問をしたと思い、おばあちゃんが謝ろうとした刹那、

「わたし達、前は東京に住んでたんです。確かに便利だったけど、空気は悪いし、お水はおいしくないし、
何より暮らすのにお金が掛かっちゃって。だったらいっそ、のどかな田舎に引っ越そう、ってことになって」

謝るタイミングを逃したおばあちゃんは、そのまま話に乗った。

「でも、いきなり引っ越してきて、困ることも多いでしょう?」
「それがですね、結構そーでもないんですよ? あ、うちマンションなんですけど、お隣さんとか、周りに住んでる方
たちがみんなやさしくて、わからないこととか色々教えてくれるんですっ」

千夏は嬉しそうに、少し自慢げに言った。
それを聞いたおばあちゃんは、何故だか悲しげに微笑んで、

「なんだか家族みたいで、たのしそうだねぇ…」
「ウメさんのご家族は?」
「今は独り者ですえ」

その返答に、千夏は少し言葉が詰まった。訊いてはいけなかったような、そうでもないような微妙な感じになって、
とりあえずこちらも何か返すことにした。

「じゃあ、このお店、おひとりで…?」
「さいですよ」
「大変…、ですよね…?」

するとおばあちゃんは、一層悲しげに微笑んで、話を続けた。

「あの人が遺した、大切な店だからね…」

おばあちゃんは一つ、溜め息をついた。

「なにも、轢き逃げなんかに遭わなくてもよかったのに…」
「!」

千夏は思わず両手で口を覆った。突然の告白と、その内容の衝撃故に。
驚きのあまり言葉を発せない千夏は、そのままおばあちゃんの話を聞いた。
…こんな時に爆睡こいてるオレってすっげー非常識?

「麻雀で大勝ちして、浮かれてたんだろうねぇ。警察の人は、車にはねられたんだろうって言ってたから、
ちゃんと左右を確認せずに渡ったに違いないよ。あれだけ、車には気を付けろって念を押したのに…。
店とあたしを残して、先にいっちゃうなんて、ほんと――」

おばあちゃんはそこまで言い掛けた。かと思えば、その頬にひとすじの涙がつたった。
それに気付いた(もらい泣きしてしまった)千夏は慌ててハンカチを取り出し、おばあちゃんの頬を拭った。

「ごめんなさい、わたし…」
「いいえぇ、あたしが勝手に話しただけですえ。こちらこそ、お客様を泣かせてしまうなんて…」
「わ、わたしこそ、勝手に泣いてるだけでっ」

その妙に歯車の合わない会話に、二人とも少しウケてしまい、くすっと笑って雰囲気が和んだ。
双方とも落ち着いて、また話を再開した。

「あたしねぇ。本当は、かき氷屋を始めるのに猛反対したの。自営業なんかしないで、外で働いた方が安定もするし、
働きようによっては、お給金もよくなるでしょう? だから最後まで、お店の事には一切関わらなかったわ」

一呼吸置いて、おばあちゃんが続ける。

「事故があった日から、半年ぐらいしてからだったかねぇ。急に寂しくなって、お店を開けてみたの。
あの人が、一度も休まずに一生懸命やってきたこの店を、あたしもやってみたくなったのかもね。
最初の内こそ、事情を知ってるご近所さんばかりだったけれど、日増しに普通のお客さんも増えてきてねぇ。
この歳で恥ずかしい話だけど、なんだか嬉しくなっちゃって。自営業を頑なに否定してたのが間違いだって、
今さら気付いても遅いのにねぇ…。だから、その分を取り返そうって思って、こうしてお店を続けてるんですえ」
「ウメさん、かき氷屋の経験あったんですか?」
「とんでもない。見よう見まねで、真似事をしているようなものですよ」
「えっ、でも、とてもお上手でしたよ?」
「恐縮ですえ。二年もやっていれば、多少は慣れますゆえ」
「慣れだけじゃたぶん、こんなおいしいかき氷は作れないと思いますっ。やっぱりウメさんは素質があるんですよ♪」
「あらまぁ、お世辞なんて―」
「いえいえお世辞なんかじゃ―」

あーキリがね。

「そういえばさっき、東京の息子がどうのこうのって…」
「あぁ。ウチの長男坊でねぇ、お店を継ぐだの継がないだので、お父さんとケンカしてたけど、結局は上京して、
都会の商社に就職してしまいました。あたしは、家の事は気にしないで、自分のやりたい事をしなさいって言ったの。
そうしたら、次男坊も長女もみーんな、出てっちゃったのよ? でも、お金の仕送りはしてくれるし、マメに電話も
くれるから」
「でも、これからのことを考えると―」
「そだねぇ…。万が一の時は、施設のお世話にでもなるとしますえ」

自分で話題提起しておいて、苦い返答に心痛を覚えた千夏は、しかし持ち前のプラス思考で、

「だいじょぶですよっ! ウメさんはパワーがあるから、これからも元気でやっていけますって!」

何の根拠もない上に横文字まで使って全く親切な応援ではないが、千夏の力強い口調は理解できたのか、

「ありがとう」

やさしく微笑んだ。

「あっ、あと、一つ訊きたかったんですけど、プリン味のシロップって、長男さんの会社で作ってるんですか?」
「さいですえ」
「やっぱり、実家がかき氷屋さんだから…?」
「いいえぇ。長男坊は、かき氷にはちっとも興味がなかったの。もしかしたら、あたしのせいかもしれないねぇ」

やや苦笑を混ぜて続ける。

「就職した商社で、たまたま新商品として扱っただけだ、ってあの子は言ってましたえ」
「じゃああの、プリン味のシロップってスーパーとかで買えますか?」

やっぱりそういうことだったのか。
少し前に面食らった当のブツを、子供みたいに輝かしい目で求めるなんて、いやなんとも、かわいらしい。

「うぅーん…。大都市の変わったお店になら、あるかもしれないけどねぇ…。少なくても、こんな田舎には
置いてないと思いますえ」

案の定の答えが返ってきたと思ったら、千夏の反応も案の定、一気にしょぼんとしおれてしまった。

「そですか…」

こうべを垂れてげんなりする千夏を見て、大変気の毒に思ったおばあちゃんは、

「どうせ在庫は余っておりますゆえ、良かったら一つ、差し上げますよ?」
「えっ!?」

歓喜の表情で頭をギュンと持ち上げ、しかし、

「あっ、いえそんな、ダメですよ、タダなんて、あのプリンはその、カラメルが特に、」

ぐちゃぐちゃ。

「と、とと、とりあえず、あーえーと、その、譲って頂けるにしても、お金はお支払いしますからっ」
「構いませんて。老婆の長話に付き合っていただいたお礼ですえ」
「で、でも…」

遠慮の間、

「…いいんですか? いだたいちゃって」
「どぉぞどぉぞ」
「―じゃあ、お言葉に甘えます♪」

千夏の素朴な笑顔を見ていると、心が癒される気分に――って、オレ寝てるんだが。



勘定を済ませ、おばあちゃんに手を振って、昼寝床かき氷屋をあとにした。

「やっぱり田舎って素敵ぃ~♪」

大事そうにプリンシロップのビンを抱えて、千夏は言った。
オレはと言うと、寝起きだからまだボンヤリしてて、あんまり世界がよくわかってない。

「ね、キート」
「んぁ?」
「いいよね? このままで」
「…はぁ?」
「だからぁ」

軽く一間置いて、

「今の暮らしが、これからも続いてく―。キートは、それでもいい?」
「おバカ」
「ふぇ?」

千夏が、鳩が豆鉄砲を食らったような顔でこちらを向いた。

「これからの未来が明るかろーと暗かろーと関係ねぇさ。オレには、…なんだ、その…。千夏が、いれば…

あぁ。
こんなセリフ、昔ならもっとためらって、いざ口にしたら赤面こいて猛ダッシュで逃げたろうな。
でもやっぱり恥ずかしさは捨て切れず、千夏から目線を外していたら、いつの間にか目の前に来ていた。
オレの方を向きながら、後ろ歩きで歩調を合わせている。そしてその顔は、微笑み。

「わたしがいれば…なぁに?」

いじわるめかしく訊ねる千夏が余計にかわいく見えて、しかし堪える。

「お… 男ひとりじゃ、何かと、アレだろっ」
「アレって?」

くっ…。た、耐えるのが辛い…。

「アレは…アレだよっ」
「わかんなぁーい」

うわぁぁぁ、もうオレだってわかんなぁーい。

「だぁ~もうっ! 男に二言はないんだぃ!」

恥ずかしさでヤケになって、前を後ろ歩きに歩いていた千夏を早歩きで追い抜いた。

「あっ、ちょっ、キートぉ」

千夏が小走りで追い付いて、その勢いでオレの腕に抱きついた。

「もぉ、キートってば照れ屋なんだから♪」
「バ、ち、ちが―」
「でも…」

トーンを落とした一言に制されて、口を閉じた。

「キートのそういうところ…好きだよっ」

抱きしめる力が少しだけ、きゅっと強くなった。
オレが無意識に千夏の頭を撫で始めたのに気付いたのは、それから30秒後のことだった。



しばし、人目を気にしながらだだっ広い畑の中の歩いていると、前方に簡素な住宅街が見えてきた。
それだけなら普通なのだが、今歩いている直線道路よりも左側にそびえ立つ、白いコンクリートがやたら目立った。
平屋続きの町並みの中に、ひっそりとだが堂々と、三階建てである。そりゃ注目を浴びずにはいられない。
南側が窓だらけなのと柵があるのを見た限り、アレは恐らく校舎だと思う。

そういえば、第三話でこっそり高校の話をしていたのを思い出した。
吸収合併で、そう遠くない未来に廃校になってしまう、歴史の長い公立高校だ。

ところで第三話ってなんだ?

「ねーキート」
「ん?」
「アレ、学校?」
「だろーなぁ」
「中学校かな?」
「たぶん高校だと思うぞ」
「ふぇ? こんな田舎に高校?」
「あってもおかしくはないだろ?」
「だって交通の便悪いし…」
「高校なんてのはそんなもんだ。特に歴史の長い学校なんか、未来の交通の便のために立地を考えたり
しないだろ?」
「んー…言われてみればそうかも」
「聞いた話だと、近々他の高校に吸収されちまうんだと」
「そうなんだぁ…。少子化が進んでるし、仕方ないのかなぁ…」
「行ってみっか?」
「なにしに?」
「ひまつぶしにだ」
「りょーかい♪」

千夏の快諾を受け、遠方に見える学校に向かった。



近くで見るとまた、コンクリのくせになかなか貫禄のある風貌だ。
昔はマンモスだったのか、意外にも校舎はデカい。その分、今では空室だらけなのだろう。
オレたちは今、校庭の東脇の金網沿いの道を歩きながら学校を眺めていた。
プールありーの体育館ありーのバックネットありーの部活動準備室ありーの、なかなかの設備だ。
ちなみに校名は『三浦高校』と安直な名前だった。

「ねぇねぇキート」
「ん?」
「ふたりでココに入学して、一緒に高校やり直す?」
「ンな無茶な…」
「確かに無茶かもしれないけど、考えただけでワクワクしないっ?」
「…まぁ、オレ高校中退だしな」
「わたしだって、キートのいない高校生活なんか過ごした気になんなかったもの」

…小学校生活を思い出すと、素直にそれを望みたくはないんだが。

「そんなこと言って、ホントは青春を謳歌しまくってたんだろ?」
「うっ…。で、でも、キートがいたらもっといい三年間になってたはずだよ」
「―実際、どうだったんだ? 恋のおハナシの方は」
「どう…って?」
「さすがの千夏だって、彼氏のひとりやふたりいたろ?」

言うと、千夏はいきなり不機嫌な顔をしてオレの目を見た。

「キートという人がいながら他の男に手を出すほど、わたし尻軽じゃないもんっ!」

えぇぇぇえ!? いやいやいや、なんでそーいう展開になるんだ! オレがいながら、って当時音信不通だったろ!?

「いや、千夏、あのな―」
「ずぅ~っと昔からキート一筋で生きてきて、言い寄ってくる男のコはみーんな断って、キートのことだけを
想い続けてきたのに、浮気なんかできるわけないもんっ!」

…ん?

「言い寄ってくる男…?」
「―あッ」

千夏は怒りを静め、しまったと言わんばかりの表情で口を両手で隠した。

「なんだ。モテたのか」

さすがに手遅れとわかっているのか抵抗を諦め、つらつらと吐露し始めた。

「モテた、ってほどじゃないけど…。比較なんかしたことないし、わかんない」
「んじゃ、だいたい何人ぐらいに告られたんだ?」
「…言わなきゃダメ?」
「そらそーだ」

少しむぅーと唸った後、記憶を探る目つきをしながら、指で数を数え始めた。なんか、ある意味すごい光景。

…9人、だと思う
「…マジで?」

千夏は小さくうなずいた。

「モテモテだったんじゃねーか」
「でもでも、ちゃんとキッパリ断ったよ?」
「―別に、そこまで頑固に断る必要もなかったんじゃないか?」
「…そう言われると、確かにそうかも…。でもね、」

わずかに一間置いて、

「わたしだって、たまに寂しくなって、その、"相方"が欲しくなることはあったよ?告白してきた男のコたちの中に、
ちょっと『いいかな』って思う人も、いたことはいたけど…。やっぱり、どーしてもキートと比べちゃうの。
キートより身長が低いなぁ、キートより声が高いなぁ、って。こういうのって相手に失礼なの、わかってる。
だけど… わたしにとっての一番の人は、キートだけだから…」

負い目と照れくささのある過去を全て語ってくれた千夏は、微妙に赤面してうつむいていた。
男にとって、"相方"が自分のことを一番だと思ってくれるというのは、誇り以外の何物でもない。
だからこそ、自分を想ってくれる"相方"に対して、誠意を持って最大限に応えてあげなければならない。

無論、その想いの力が強ければ強いほど―

「千夏」
「ふぇ?」
「ありがとな」

話してくれたことと、オレを想っていてくれたこと。その両方に対しての、お礼の言葉。
それを受け止めた千夏の笑顔がかわいくて、片腕で千夏を包むように抱きしめ

ガシャーンッ!

「きゃ!」「にゅおっ!?」

にゅおってなんだにゅおって。

金網にボールか何かが勢いよくぶつかったような音に、オレたちは大層驚いた。
音だけならまだいいが、人目のあるところでうっかり恥知らずな睦言を交わしていた羞恥心も加味されて、
驚いたらいいのか恥ずかしがればいいのかの中間ぐらいで脳内信号があたふたしている。
ということは、表情なんか後で自分で見たら笑ってしまうくらい意味不明になってるはずだ。

「スイマセーン!」

若い男の声だった。見れば、半袖のスポーツウェアを着た青年(おおよそココの生徒だろう)が
こちらに小走りで向かってきている。

「だいじょぶですかー?」
「お、おおぅ、なんともないぞー」

声を大にしては言えないことをしていた手前、頼りない声になってしまった。

「ども、スイマセンでした」
「いいや、気にすんなって」

男子生徒はヘコヘコしながら、金網のそばに転がっていた先ほどのボールを拾った。
…お?

「なぁ」
「えっ、あ、はぃ?」
「キミ、バレー部?」
「あ、はい、そですけど」
「ほぇー。いや何、通りすがりのオレも、何を隠そう昔はバレー部でな、」
「ふぇ? そだったの?」

千夏から質問が飛んできた。

「おぅ。中一の初めは調理部だったけど、後はずっとバレー一貫だったな」
「じゃあ、僕よりも経験豊富なんスね。今高三なんスけど、高一から始めたばっかでよわよわなんスよー」
「高三ってことはそろそろ引退だろ?」
「夏休みが終わったら完全に引退、ですね」
「そっかー、それは残念だなぁ」
「はい。んで今、引退前最後の他校との試合の練習も兼ねて、ドンチャンラリーやってたトコなんスけど―」

男子生徒がボールを持ったまま後ろを振り返ると、コート上でボールの帰還を待ちわびながらコチラを見ている
4人の男がいた。休日返上でバレーの練習に勤しむとは、東京の若者にはない殊勝な考えだ。

…4人?

「じつは、ひとりバイトで抜けちゃって、二対三の変則チームになっちゃってるんスよね…」
「ニーサン? そりゃキッツイなぁ、誰か経験者で穴埋めすれば―」
「…」
「…」

目が合った。
何も喋らない。

「…」
「…」

なんだ。
なんなんだ、この期待感に満ち満ちた沈黙は!

「よしオレが、」
「あっ、ちょっ、ちょっと待ってて下さいっ!」

言い掛けて、止められて、男子生徒は言い置くようにして4人の所に戻った。何か話をしているようだが…。

「ねねね、キートバレー強かった?」
「どうだろーな。スパイクは得意だったけど」
「スパイクってあの、ズバーンて打つヤツ?」
「ズバーン…。まぁ、そうだな」
「見たいな見たいなぁー、キートのスパイク見たいなぁー」

とかなんとか千夏がわがままを言っていると、さっきの男子生徒がまた小走りでやってきた。

「あの、部員と相談したんスけど、もしよかったら補欠を―」
「いいよー」
「えっマジすか!? ありがとーございますっ!」
「どうせヒマだしさー」

なんかキャラ違うぞキートくん。

男子生徒の指示で、西門から校庭に入ることになった。その道中。

「別にいいよな?」
「うん。どうせヒマだしさー」
「マネすんなよぉ」
「いいよー」
「あ、コイツめっ」

頭をくしゃくしゃなででやると、千夏はくすぐったそうに笑った。

千夏はベンチで見物してもらうとして、オレは男子生徒に先導されてコートに向かった。

「みんなーっ! 抜けた島田の代わりに、」

代わりにオレの目を見る? …じゃなくて、男子生徒が何かを訊きたがっているような目でオレを見ている。

「沢口 秋人な」
「僕は緒田って言います」

緒田はみんなの方に戻り向いて、

「通りすがりの秋人さんが入ってくれることになったぞーっ!!」

おぉー、と何故か歓声。

「バレーの経験も豊富だそうだから、みんなナメてかかるなよー!」

うっしゃー、と何故か気合い。

「あっ、秋人さんは僕らのチームでお願いします。コッチは1年の木林」
「ヨロシクッス!」

いいなー、声にも容姿にも若さが満ち満ちてて。オレなんかハタチ過ぎの… 考えないようにしよ。

『年長』と『経験者』の看板のおかげで、当然の如くアタッカー(前衛)にされてしまった。
そもそも三対三の試合形式自体がおかしいのだが、部員が少ないんだろうな、仕方がない。

「ラリーポイント制で、ローテーションはナシです。人数少ないッスから。あと審判は顧問がいないので、
自分たちで判断します。そこら辺はテキトーに」
「あいわかった。早くはじめよーぜ」
「よーし、そんじゃ再開すっぞー!」

久々のバレーボールに身体の鼓動が高鳴ってくる。準備運動もないし服装も普段着のままだが、
そんなもん、経験者のハンデだと思えばいいんだ。モチベーション上がってきたぞ、さぁかかってこい!

敵チームのサーブ。長身から繰り出される、ほぼジャンピングクラスのフローターサーブが襲いかかる。
鋭い球威を木林がレシーブで殺し、浮いた球を緒田がトスで上げ、…って、やっぱり打つのはオレなのねー!!

「っしゃあ! 沢口必殺、スーパーバウンディング―」

軽い助走から踏み込み、跳躍、身体を反ってバネを強め、振り上げた腕をボール目がけて一気に振り

「ぶぎゃー」

ネットに突撃。タッチネットファール。助走のつけ過ぎが踏み込みが前に出過ぎたか、大失敗だった。
それだけならまだみんなに迷惑を掛けただけで済むが、ぶつかって落下してくる際にネットの網目ごとに
鼻が引っ掛かってズビンズビン痛い。

「だ、だいじょぶッスか!?」
「お、おぅ…」

鼻がズビンズビンするが、補欠で来た以上、ヘコ垂れたことは言ってられない。
緒田以外はキョトンとした顔でオレを見ているが、

「再開再開ーっ!」

の一声で我に帰り(まだ妙な目線を感じるが)、試合を再開した。

敵サーブ、レシーブ、トス―。必殺技は無理らしいので、普通のスパイクを打つことにした。
思えばスーパーバウンディングアタックはスパイクの一連の動作をちぃとばかし力んで打つだけの
全く芸のない技でもなんでもないものだから、似たような動きをすればいいだけなのだ。
ズバンと一打ち、狙いすましたスパイクは敵コートの空白部分を射抜いた。汚名返上だぜッ。
敵チームからおぉーつぇーだのうめぇーだのありがたくも恐れ多い声が聞こえてきた。
ココで有頂天になってはならないのだが、まぁ正式な試合でもないし、テンション上げてこうじゃないか。

「キートがんばれーっ!!」
「おぅよーっ!」

なんかもうこの時点で負ける気がしなくなってきた。灼熱の下でスポーツをするなんて考えたたくもなかったが、
今だけはこの灼熱が、気分を高揚させるための重要な要素になっているような気がした。

サーブ権が回ってきた。オレが打つらしい。スパイクは得意だが、それ以外は全然なんだよなぁ…。
ジャンプサーブはおろかフローターサーブすら打てない、中学生プレーヤーもビックリのヘタクソっぷり。
せいぜいサイドハンドでのよわっちぃドライブサーブが関の山。アンダーサーブよかマシだろ?

一つ深呼吸の後、左手に持ったボールを浮かし、腰の力を使って全力で右手を振り抜いた。
そして、緒田の後頭部にクリティカルヒットした。

「ずぐはーっ!!」
「す、すまん緒田!」

ココ一番で役に立てず、ラリー権を相手に与えてしまった。汚名を取り返してどーすんだ、オレ…。

「キートどんまーいっ!!」
「おぅよーっ!」

応援がいるってのも、気持ちいいもんだなぁ。
巡り巡ってまたオレにサーブ権が回ってきて、今度は辛うじて敵コートに届いた。ポイント取られたけどな。

激しいラリーが続き、白熱し始めた。レシーブの木林とトスの緒田、そしてスパイクのオレの三者三様が
ナイスなコンビネーションで構成されていて、敵コートにボールを落としまくる。
対する敵チームは三人とも平均的に強く、ボロが出ないのでなかなか点数を削れない。
オレたちのチームが『得点率も高ければ失点率も高い』という偏屈なバランスの悪さで保たれているため、
どこかズレた拮抗が続いているのだった。



本当に、このまま入学してしまおうかとも思う。

かったるい授業を居眠りこいてサボタージュして。

放課後になれば、待ちわびた部活動のはじまりだ。

部員の仲間とバカ笑いしながら、楽しい楽しいバレーボールができる。

確かに、考えただけでワクワクしてくる。

時には真面目に練習して、またある時はヒートアップしてケンカになってしまったり。

そういうことがあるからこそ、部活動が、バレーボールがおもしろくなるんだ。

最後まで味わうことができなかった高校生活を、最後まで成し遂げたい。

出来ることならば、ちゃんと卒業証書をもらいたい。

全て、千夏と一緒に――



24-23。次を取れば、オレたちの勝ちだ。

「秋人さん、頼んますよーっ!」

緒田からトスをもらい、今度こそ決めてやるぜ、スーパーバウンディングアタック!
何も考えず、ただ浮いたボール目がけて跳躍、最も力が入るモーションで振り上げた腕をボールに叩きつけた。
ジャストミートしたのがすぐにわかった。強烈な速度でぶっ飛んだボールは、敵チームの後衛を一人撃沈させ、
コートの外に弾け飛んでいった。

「ぃよっしゃあぁぁぁッ!!」

ガシガシとガッツポーズを決め、緒田と木林が寄ってたかってバシバシ笑いながら叩きやがる。痛いけど嬉しい。
やっぱこの勝利の瞬間ってのはたまらんな。何度味わったって、今回みたいな新鮮な試合では特にだ。

「やりましたね秋人さんっ!」
「秋人さんのおかげッス!」
「ンなこたねぇぞ! お前らの健闘のおかげだ! がはははは」

ってオレはサラ金の帝王か。

一旦千夏の元に戻ると、タオルを持って待ってくれていた。

「おつかれさま♪」
「サンキュー」

いつの間にか、全身汗でぐっしょりになっていた。手拭サイズだから顔ぐらいしか拭けないが、それでも助かる。

「キート、かっこよかったよ!」
「そうか? 照れるな」
「料理してるキートも素敵だけど、バレーやってるキートも素敵♪」
「…ほ、誉め殺しても何も出ないぞっ」

テンション高い時にそういうこと言われると、さすがのオレでも何するかわからん。がんばれ前頭葉。

「秋人さーんっ」
「ん?」

呼ばれた方に向くと、緒田が何故か金網の向こうからオレを呼んでいた。
近付いてみれば、金網の隙間に缶ジュースを押し込み、オレに渡そうとしていた。自販機で買ったらしい。

「コレ、ささやかなお礼ッス。ガールフレンドにもどぞ」
「あぁ、悪いな、サンキュ」

金網にハマった二本の缶ジュースを引き抜いて、戻って千夏に渡した。
すると千夏は、外から校庭に戻ろうとしている緒田に向かって、手振り付きの大声でありがとーと言った。

二人してベンチに座り、ジュース片手にくつろいでいた。

「高校、やり直してーな」
「でしょでしょ? そう思うよね?」
「でも、オレたちにはこれから、大人としてやってかなきゃいけないことがたくさんある。高校生活もいいかも
しれないけど、それ以上にこれからをおもしろくしていこう、っていう考え方も有りだろ?」
「うんうんうんっ。キート、いいこと言うね♪」
「たまにはな」
「もぉ~、謙遜しなさんなぁ」

そうだ。過ぎてしまった時間をとやかく言うのではなく、これからの時間をどう受け入れるかが大事なのだ。
思い出したくない過去を引きずるのではなく、その過去を背負って立って、新たな未来を切り拓いていこう。
…こんなセリフを口にしたら、恥ずかし過ぎて東京湾に投身確実だな。



チャリンコでチリチリと帰っていく部員たちに手を振り、オレたちも帰路につくことにした。
汗だくだもの、このまま散歩を続けてたら風邪大蔓延げーほげーほ症候群プラスワンだぞ。
途中、飲み物が足りなくて自販機でジュースを買ったらうっかりホットを押してしまいひどい目に遭ったのは
思い出したくない過去の記憶の中にしまっておくことにした。





我が家の、ベランダ。
麦茶の入ったカップが手すりに置かれ、オレと千夏、一緒に夜景を眺めていた。
100万ドルには縁のない、民家のポツポツとした灯りがあたたかな、夏の夜空の光景がそこにあった。

「今日は、楽しかったね」
「オレも満足できた。特にバレーがな」
「毎日お仕事大変で疲れてるのに、無理やり連れ出しちゃって…ゴメンね」
「大丈夫。まだ若いから、多少の無理は利くさ。それに、千夏が望むことだったらオレ、出来るだけしてやりたいしさ」
「…ありがと」

カップを手に取り麦茶を一すすり、手すりに置いた。聞こえるのは、弱まってきたセミの鳴き声だけ。

「キート」
「ん」
「今…望んでも、いい?」
「あぁ、出来ることならなんでもいいぞ」
「じゃあ…」

頬を赤らめて目を合わせず、ややうつむき加減に小さな声で、千夏は言った。

「キス…して」
「!」

なっ。
ななななななななっ。
なにぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃッ!?
ちょっ、うわっ、すっげー恥ずかしい、なんだこのメロドラマみたいなシチュエーション!
そりゃファーストじゃないけどよ、こういうムードと千夏の口調がオレを変にさせるんだ!
っていうかちょっと待てよオレ朝しか歯磨いてないし心の準備だってうわ女々しいぞオレ!

「…ダメ?」
「ダ、ダダダ、ダメなわけ、な、なないな、ないぞっ」

上目遣いで訊いてくるものだから、もう気が狂ってしまいそうだった。
千夏は目をつぶり、顔を斜め上に向いた。上気した頬が、男のハートにガンガンアピールしてくる。
なんだよどうした秋人よ毎朝毎夕してることだろどうしてこんな時だけ怖気付くシャキっとしろ男だろ!!

千夏の両肩を掴もうとして震える自分の手を見て更に恥ずかしくなり、千夏が目をつぶっているのを得て
顔をパンパンはたいて気合いを入れ直した。まだわずかに震えるが、仕方ない、勢いでいってしまえ!

千夏の両肩をガシリと掴む。背の低さ故に下方にある千夏の瑞々しい唇を見て興奮してしまうバカなオレ。
でも今は、そのバカさを本気にしなければならない時なのだ。千夏が望むことを、してやりたいという一心で。
だんだんと、唇同士が近付いていく。距離が縮まるほどに、心臓の鼓動が反比例で激化していく。

そして、唇が重なる。やわらかな感触、ぬくもり、うるおい、呼吸、その全てを今、二人は共有している。
互いに愛し合い、求め合う気持ちが、少しでも長く触れていたいと思わせる気持ちが、唇を引き寄せる。
今のこのしあわせな気持ちが、ずっとずっと続いたらいいのにと、終わらなければいいのにと思った。

やがて唇を離すと、また上気した千夏の顔が、

「もっかいッ」
「うぇ?」

離れた千夏の顔が、また接近した。オレが頭を下げているのではなく、千夏が背伸びをする形でだ。
オレの首の後ろに両腕を回し、半ば吊られるような形で唇に迫ってきていた。まさかの、二度目だ。
それも、ただの二度目ではない。一回目の静的なキスではなく、動的なキスだった。
驚いたオレは何も出来ていないのだが、千夏は熱くなっているのか、すがるように唇を重ねている。
こんな激しいキスはしたこともされたことも、恐らく千夏もない。だが、愛の強さ故に、人の心は強く動かされる。
驚いてばかりじゃ男が廃るのだ。千夏の想いを受け止め、こと更に強く、千夏への愛を深めたい。
重なり合う唇と、愛しさ故に絡み合う舌が、今はもう、千夏を想う全てに――



その夜の出来事は、大切な大切な過去の記憶の中にしまっておくことにした。