| ザ・コンビニ 45 ピンポーン。 と、鳴って欲しい。 今日は、誰も来ない。 私がシフトに入ってから、誰も来ない。 人っ子一人―正確には動物も昆虫も植物も―姿を見せない。 お店には、私独り。 聞こえてくるのは、有線の音楽だけ。 動いているのは、呼吸する私の胸と、時計の針だけ。 外の景色は、たまにトラックか代行の車が横切るだけ。 扉が開くことも、チャイムがなることもない。 雑誌はほとんど読み尽くしてしまって、新書もない。 掃除はさっき済ませた。 在庫チェックもやってある。 あとは、お客が来るのを待つだけ。 なのに…。 来て欲しくない時には来るし、来て欲しい時には来ないだなんて、わがままなお客ばかりだ。 コンビニは開店しているだけでも色々な維持費がかかるし、常に商品を売り続けなければ廃棄による赤字一方である。 お客様あっての販売業なのであって、決して夜行灯のお店ではないし、暇潰しのお店でもない。 お客様が支払ってくれるお金で店舗維持や商品仕入れができるし、私たち店員のお給金にもなる。 誰も来なければ、誰も買わなければ、あっさりと潰れてしまう。 ウチのお店を必要とする数人の人たちがいたとしても、その数人のお客様から得られるお金でお店は支えられない。 誰かが言ったっけ、お客様は神様だって。 神様だからなんでもしていいってわけではないけれど、お金を支払ってもらうためにしなければならない努力は生半可なものではない。 私が客だったら、とにかく安くて(最重要)良い商品を求めるし、客のニーズにあった販売戦略を組もうとお店側も努力する。 貧血で倒れる手前くらいの出血大サービスを、ずっとずっと続けなければ、顧客は他店に流れてしまう。 競争社会は怖いから。 ボケッとしていると、あっという間に食われてしまう。 だから、誰も客が来ないというのは、本当にリアルな世界で死活問題なのだ。 ―というのは、あくまでオーナー側の話であって。 私がお客を求めているのは、ただ単に、寂しいから。 適度な頻度で来客があれば、絶対にこんな思いにはならないのだろうけれど。 人並みであろう孤独感が、今は人一倍強く感じる。 寂しい。 地球という広大な人間社会に比べたらとてつもなくちっぽけな面積でしかないこのコンビニも、今の私には全世界のように感じ、故に世界で私独りのように思える。 きっとどこかの国では、今まさにラグビーの大会が盛大に行われているのかもしれない。 きっとどこかの国では、終わることのない戦争が繰り返されているのかもしれない。 きっとどこかの国では、大家族が寄り添い仲良く眠っているのかもしれない。 それでも、私は独り。 …ダメだ。 独りって、こんなにもひどいものだっけ。 ネガティブな思考が次のマイナスを呼び、悪循環を繰り返す。 独りではそのスパイラルの出口を見つけられないから、どんどん沈んでいってしまう。 こんな日だってあるさ、そう思えられればどんなに幸せか。 誰かが仕組んだものでもないし、仮にライバル店が仕組んだとしても売り上げの少ない深夜帯を狙うはずもない。 たまたま、誰も用事がないのだ。 あるいは、他のコンビニに立ち寄ったのだ。 何事もなかったかのように、明日からまた普通にお客が来るはず。 一日くらい、こういう日があってもいい。 …でもやっぱり寂しい! 人間観察のできないコンビニのバイトなんて、交通量計測のバイトと変わらないじゃん! どうせ元からヒマな仕事なんだから、少し来客が増えたところで若干の手間が増えるだけで、給料が少し高いのは深夜だからってだけだし。 たまに辛いと思っても、人間観察ができるから乗り越えられる。 なんて、大層なものではないけれど。 では少し話を戻して、こう考えてみるのはどうだろうか。 お客様からお金をもらって商品を売る対価交換がオーナー側の話だとしたら、私から見た対価交換とは一体なんだろうか。 少し、バカらしい妄想かもしれないけれど。 私はお客様に接客を支払い、お客様から元気という対価をもらっている。 うん、確かに馬鹿馬鹿しいかもしれない。 しかし今、台風孤独号のド真ん中(目だけれど)にいる私にはバカらしいなどという思いは微塵もない。 もしずっと、この孤独が一週間でも続いたら、私は生活を捨ててでもバイトを辞めるかもしれない。 客が来ないのは私の責任ではないし、給料も当然の如く支払われるが、それでも私はバイトを辞めるかもしれない。 話は簡単、お客様から元気をもらえないのだから、バイトを続けられるわけがないのだ。 あっ。 もう一つ、私がもらっている対価があった。 私の接客に二つの対価が付くほどの価値があるかどうかはわからないけれど。 観察をさせてもらっているのだ。 これもまた私の受け取り方や考え方次第だから、相手に観察の許可を取ったことなんて一度もないし観察するなと怒られたこともないけれど、そう考えると胸がスッと軽くなる気がした。 長年コンビニのアルバイトとともに人間観察屋をやっているけれど、罪悪感を全く一切これっぽっちも感じたことがないと言ったらそれは大嘘だ。 相手の了承も得ずに一方的かつ勝手に観察などしているのだから、お客様は何一つ不快感を感じずとも、私自身わずかながらも罪悪感を抱いてしまう。 それが本当に微々たるものでも、キャリアがキャリアである。 塵も積もればなんとやら、私の観察行為はもはや開き直りに近かった。 だってしょうがない、開き直るしかないのだから。 積もった塵を崩すため、次の観察対象者に向かってゴメンナサイ私は今までお客様を勝手に観察していましたスミマセンだから観察させてください、などと支離滅裂なことが言えようものか。 最初から崩す方法などないのなら、むしろ塵と同化してしまった方が気が楽というもの。 実際お客様には何の迷惑もかけていないのだから、あくまで私個人の内面の問題であり、私が気にしさえしなければ単なる変態趣味ということで落ち着くのだ。 さらに、人間観察は無意義なものではない。 人は他人を見ることで初めて自己というものを認知し、また同種他個体の他人を認知する。 他人を認知することで、相手が同種でありながら異なる思考・嗜好・志向を持っていることを知る。 自分とは違うのだから、自分が嬉しいことを相手は嫌がるかもしれない、自分が嫌がることを相手は喜ぶかもしれない。 相手が何を喜んで、何を嫌がるか。 それを知るためには、少なくとも相手と何らかの接触ないし観察をせねばならない。 私は仮にも接客業だが、"接"の字がある割には来客者と接する機会はごくわずかで、業種分類上接客業ではない理髪店や美容室の方が何倍も客と接する時間が長い。 接する、会話する時間が長ければ長いほど来客者の人となりを多少なり把握できるし、来客者も同様にこちらの人格を把握できる。 会話とは、相互理解の第一歩なのだ。 そういう面ではもしかしたら、コンビニのアルバイトは適していないかもしれない。 そもそも、何故人は相手のシコウを窺うのか。 昔と今は違うから…、いや、もしかしたら昔から何も変わっていないのかもしれないけれど。 相手に気に入られたいから。 例えば相手が意中の異性だった場合、どうすれば好きになってくれるか、何をしたら嫌いになられてしまうか、本能的に考えるだろう。 例えば相手が上司だった場合、上司の評価次第で昇進の是非が決まるのだとしたら、如何すれば評価が上がり、如何すれば評価が下がるか。 その上司の評価が成績重視か人柄重視かを把握するのも重要だ。 例えば相手が先生だった場合、どんな行動をすれば褒められるか、どんなことをしたら怒られるか。 友達だった場合、親だった場合、同僚だった場合― 人間、特に日本人がいかに相手の顔色を窺っているか。 昔からその国民性はきっと変わっていないのだろうけれど、現代ではその頻度が度を越しているように思う。 現に昨今、主に人間関係のトラブルから鬱病に陥ってしまう人が爆発的に増えている。 何がきっかけかはわからないし、きっかけなんてないのかもしれないけれど、人間関係の構築の難易度は以前と比較して如実に高くなっているのではないだろうか。 相手のシコウが把握できず、心を傷付けてしまう苦悩。 苦悩が苦悩で塗り潰され、人格まで歪んでしまう苦悩。 歪んだ人格が相手をさらに傷付け、歪みを重ねる苦悩。 そんなネガティブスパイラルが、人を鬱へと貶める。 人と接するということは、社会生活の大いなる基礎でありながら、最も危険なコミュニケーションなのかもしれない。 それほどに、他人を理解するのは難しいことなのだ。 私は平々凡々の塊なので、今までの人生で人間関係の壁にぶつかったことはない。 強いて挙げるとしたら元彼氏との付き合い方がそれに当たるかもしれないけれど、今となってはあまり後悔はしていないし、もう終わったことだから。 それに私は今、人間関係の維持にあまり力を入れる必要がないのだ。 最も人間関係が問われるであろう社会生活の一つであるところの"仕事"は、私にはほぼ関係がない。 前述の通り私は接客業だけれど、接する時間が短い故に、私自身がお客様にさして気に入ってもらう必要がないからだ。 対価交換だとか大層なことを言ったのはあくまで私の妄想でしかなく、現実はただ購入商品の小計をするだけのただの女でしかない。 本当に密にお客様と接するお水の世界と比べたら、ほとんどただの機械。 バーコードを読み取ってお金の受け渡しをするだけの、生きている機械。 それすらもオートメーション化が可能な時代になってしまった現代が、いかにコミュニケーションが希薄になっているかを物語っている。 ―そうか。 私は、いなくてもいいんだ。 私がいなくても、お店はやっていけるんだ。 会計も、在庫補充も、清掃も、立ち読みの追い払いも、いずれは機械がやってくれるようになる時代が来るかもしれない。 きっとそこに、私のできる仕事はない。 不要な人間に給料は払われない、私もタダ働きをする気はないから店を去る、するとどうだろう、 人間観察ができなくなってしまう。 嫌だ。 もしかすると、収入がなくなることよりも、人間観察ができなくなることの方が辛いかもしれない。 …あぁ。 なるほど、やっと合点がいった。 私はお客様がいなければ、生きていけないんだ。 客が払う金が給料となり生活している、なんて単純なものでは到底なかった。 百人百色のお客様が私に元気を与えてくれ、私がお客様にサービスを提供し、さらにその百色を観察させてもらうことが働く原動力となっているのだ。 確かにお給金も大きな大きな原動力ではあるが、ただ単にお金だけで動く女であれば今頃お水の世界にどっぷりのはずである、コンビニのバイトに留まっているわけがない。 人間観察を趣味とするようになったのは、平凡普通な私にはないものを持つ数多の人々を眺めているのが楽しいから、ずっとそう思ってきた。 それだけじゃない気がする。 それだけじゃない気がしてきた。 今までこんな日を経験したことがなかったから気付かなかったけれど、失ってからわかることもあるのだと痛感させられた。 そういえば…、と思い出す。 私がまだココのバイトに就いて間もない頃、初めて一人でシフトに入った日。 最初の来店者がものすごいおっかなそうな男性で、普通な私はそれはもうメチャクチャ緊張していた。 まだ不慣れだった私はカウンターに置かれた商品を精算するだけでもう精一杯で、男性にいきなり十一番と言われて頭は真っ白、訳が分からず混乱してしまい精算もグチャグチャになってしまった。 あまりに素人丸出しな私の慌てぶりに苛立ちを覚えた男性はおっかない顔のまま早くしろよとかたらたらしてんなよとか言うものだからもう何が何だかすっかり動転してしまい、お客の前で泣いてしまって。 そしたら男性はコロッと態度が弱気になって、大丈夫かとかキツいこと言って悪かったとか突然やさしい言葉を投げてくるのである種泣きっ面に蜂だった。 新人かと訊かれてハイと答えると、申し訳ない、と頭まで下げられた。 顔はおっかないけれど、根はやさしいのだと確信した。 それから何故か、男性の身の上話を延々と聞いた。 俺も新人でしんどいんだぜ、気持ちはわかる、お互いがんばろう、という内容を何倍にも膨らませて、果てしなくテンパっていた私には一冊の本にでもなってしまうんじゃないかと感じた。 長い長い井戸端会議の後、ゆっくりでいいからね、と言ってくれたので落ち着いて精算をした。 さっきの十一番がタバコのことだと気付いたのは、男性がやんわりと指摘してくれたから。 ダメダメだなぁ私、などと軽い自己嫌悪に浸っていたら、男性が私に先ほど会計したばかりのブラックの缶コーヒーを手渡した。 話を聞いてくれてありがとう、って。 仕事帰りに飲んだ缶コーヒーの味は、ブラックのはずなのに甘い…なんてクサいことは言わないけれど、いつもよりもちょっぴりおいしく感じた。 こういうのをプラシーボとか言うんだっけ。 思えばあの頃から、私は無意識に来客者を観察していたように思う。 人は見た目によらない。 単純だけれどものすごく大事なことなのだと気付いた。 どれほど普通な私だって、他人が見たら一見して単なる普通人間だとは思わないだろう。 すっごくかわいいアイドルがじつは性格ブスだったりするかもしれないし、 誰もが一瞬で心奪われるイケメンがじつは結婚詐欺師だったりするかもしれない。 そう、見た目に騙されてはダメ。 よく観察しなければ、その人の中身なんてちっとも見えてこないのだから。 そっか、人間観察って防犯の意味もあるんだ! …違う。 私はあの頃、上京したばかりで人並みに寂しかった。 近所付き合いも上手な方ではなかったし、大学ではまだ友達もいなくて。 一分以上会話した人なんて、オーナーと教育係の先輩だけだった。 まさか、上京して初めて十分以上会話をしたのが初対面で赤の他人のバイト先の客だなんて、まさか思ってもみなかった。 そして、今でも覚えている。 あの時飲んだアイス缶コーヒーが、胸にじっと沁みてあたたかかったこと。 ―わかった。 なんとなくこっ恥ずかしくて胸の内に無意識に秘めていた、本当はとっくにわかっていて、それを無意識に隠していたこともわかっていた。 今なら、誰もいない今なら、確信して言える。 私は― ピンポーン。 わぉ! 一日千秋の思いで待ち焦がれたお客様が、やっと…! 「ちわーす」 …新聞屋さんだった。 Back | ザ・コンビニ 46 |