ザ・コンビニ 49

 ピンポーン。
 お母さんがご来店。
 …んん!?
 「ヤッホー」
 ヤッホーじゃないって!
 「ちょ、ちょっと、なんで!?」
 思わずカウンターから身を乗り出してしまう。
 「いやぁちょっとねぇ、困ったことがあってねぇ」
 そんなキメキメのファッションで困ったと言うのだから、恐らく私の方が困ってしまうに違いなかった。
 「氷川きよしのコンサート行って、ちょーっと盛り上がっちゃったら、終電なくなっちゃって」
 そんなこったろうと思った。
 はぁと溜め息をついてから、ふと気付く。
 「あれ? わざわざこっち出てこなくても、いつも地元でやってなかった?」
 「そうなのよ〜、ちょっと優ちゃん聞いてよ」
 優ちゃんと呼ぶな、とは過去に百回は戒めただろうからもう諦めて言わない。
 「はいはい、なぁに?」
 「そうねぇ、立ち話もなんだから…」
 「…ここはコンビニですけど」
 「椅子くらい何個かあるでしょう?」
 「はいはい」
 仕方なく、控えにある椅子を一個持ち出してレジ前に置く。
 私の分はすでにレジ内に出しっぱなしにしてあるので問題ない。
 「喉が渇いたわねぇ」
 「自分でお茶でも買ってください」
 「そんなことしたら、帰りの交通費がなくなっちゃうでしょ?」
 貧乏でもないくせに…。
 仕方なく、控えでお茶を淹れて出した。
 「ありがとう」
 仕草は端麗な割に言っていることは私利私欲極まりないのがえげつない。
 「それでね優ちゃん、今回のコンサートなんだけど、ちょっと特殊でね、ディナーショーみたいな感じだったの」
 「うん」
 「だからどこの地方でもできるってわけじゃなくて、こうしてわざわざ出てきたわけなの」
 「うん」
 「あ〜それにしてもかっこよかったわぁきよし、お料理もおいしかったし」
 「うん」
 「ねぇ優ちゃん聞いてる?」
 「うん」
 バカチンを読みながら、ね。
 「もぉ、仕事中なんだから漫画なんか読んじゃダメでしょ?」
 仕事中の娘に椅子を出させて茶を出させて世間話を聞かせるあなたはなんですか。
 「はいはい」
 「はいは一回っ」
 「はーい」
 なんかもう、ここがコンビニでしかもバイト中だなんて忘れてしまいそうである。
 「それで、おみやげは?」
 「言ったでしょ、帰りの交通費なくなっちゃうって」
 「ディナーショーの残り物は?」
 「あんまりおいしいんだもの、食べ尽くしちゃったに決まってるじゃない」
 「私の今日のディナー、鮭フレークご飯一杯だったんだけど」
 「あぁ、おいしいわよねぇ鮭フレーク」
 鮭フレークといっても激安セール品だった鮭の切り身を簡単に焼いてほぐしたもので、瓶詰めされている既製品の鮭フレークではない。
 「そんな不憫な娘に、ここは一つ差し入れをするのが親心ってもんじゃない?」
 「あぁ〜、きよしかっこよかったわぁ…」
 聞いちゃいない。
 「あ、ちょっと、それあたしのお茶…」
 「私が淹れたんですッ」
 猫舌のお母さん用にぬるく淹れたせいですでに冷めていた。
 冷茶専用にブレンドした緑茶ならおいしいけれど、単純にただ冷めただけの緑茶はおいしくなかった。
 「ね、きよしグッズいっぱい買ってきたんだけど、見たい?」
 「結構です。っていうか、お金あるじゃん!」
 「買っちゃったからなくなったのよぉ」
 うーん、なんてダメ親。
 「Tシャツとね、リストバンドとね、あとポスター! それからサイン入りCDでしょ、きよしタオルに―」
 「はいはいわかったから、お店で変な物広げないでください」
 「変な物とは失礼ねぇ、きよしよきよし」
 私は特にこれといって誰かのファンというわけではないが、少なくとも氷川きよしのファンにはなれない。
 だって、演歌には全然興味がないもの。
 それにファンである以上、CDやグッズを数多くコレクションしているのが常故に、貧乏極まる私では手が届かないのだ。
 リクエストは出せないけれど、音楽ならお店の有線でいくらでも聴けるし。
 「優ちゃんもきよしのファンになればいいのに」
 「そんな余裕はありません」
 「別にいいのよ? CDなんて持ってなくても、きよしが好きなら」
 さすがは私の親、私の考えることはある程度お見通しである。
 「…それ、ファンって呼べないと思うんだけど」
 「色々なファンがいるんだから、一つの形に捕らわれなくたっていいの。グッズを買い集めるだけがファンではないし、ただおっかけをすることばかりがファンとは呼べないでしょう?」
 そんなに熱く語られても、ファン対象のいない私にはあまり理解できない話だった。
 なんとなく、理屈はわかるけれど。
 「じゃあお母さんも、ディナーショーなんて無駄遣いしないでひっそりと家で聴いてればいいじゃない」
 「それはダメ。あたしはきよしに逢ってナンボですから」
 …かわいそうなお父さん。
 「ところで、お父さんは?」
 「ん? 元気よ」
 「…それだけ?」
 「ええ」
 ひどい…。
 しかしまぁ、元気でいることがわかればそれでいいし、余計に語らないところはそれはそれで夫婦らしい。
 "お互いに理解し合っているから"。
 先日のカップルと違ってこちらは本物の夫婦だから、やはり貫禄は桁外れだった。
 長年連れ添った二人にしか通じ合えない部分っていうのは、すごく大切だ。
 結婚して、ほんの少し二人だけの新婚生活を味わったら、あとしばらくは多忙な育児生活。
 二人きりの時間をゆっくりと味わっている余裕などないのだ。
 それも何十年か過ぎれば子供は独り立ちし、また二人きりの時間が訪れる。
 生誕以降を第一の人生、結婚してからを第二の人生と呼ぶのなら、ここからが第三の人生のスタート地点なのかもしれない。
 育児で大変な苦労をしてきたのだから、少しくらい娯楽に勤しんだっていいじゃない。
 そういって母は、氷川きよしに目覚めた。
 父は父で、忙しくてやめていたフォークギターを再開したらしいし。
 素敵な人生だと思う。
 私は貧乏なのでこれといった趣味は持てていないけれど、両親みたいに第三の人生が始まったら、何やら渋い趣味に目覚めるかもしれない。
 そういうのも、悪くはないと思う。
 焦ったってのんびりしたって流れる時間は同じなんだから、有意義に過ごしたいではないか。
 一度きりの人生、たっぷり満足したい。
 お母さんも、満足のために氷川きよしを追いかけ続けるのだろう。
 まだそんな歳でもないだろうに、熱心なことだ。
 「ギター、がんばってる?」
 「まだまだヘタッピだけどね」
 そう言う母の顔は、イタズラっぽくもやさしかった。
 「地元のお祭りで演奏するのが夢なんだって」
 「えっ、お父さんが?」
 「うん」
 想像するが、あの父親だ、MCなんてろくにこなせず、緊張で演奏もグタグタに…。
 それでもやり遂げようとするのはお父さんのよく見せる意地だった。
 直接お父さんの演奏を聴いたことはないけれど、いつか、そのお祭りで聴いてみたいと思う。
 「じゃあ私、氷川きよしじゃなくてお父さんのファンになろっかな?」
 「ダーメ、きよしもお父さんもあたしが先約なの」
 きよしも、は余計である。
 「っていうかお母さん、いつまで居座るつもり?」
 「始発に間に合うくらいかしら」
 「帰ってください」
 「帰れないからここにいるんじゃないのぉ」
 「当店は東屋ではございませんっ」
 「母親の一大事なんだから、見逃してちょーだい」
 「…はいはい、わかりました」
 それからだらだらとお母さんと雑談を延々と続け、シフトが終わってお母さんと別離するまで、お客は誰も来なかった。

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