―ポーン。
 ハッ。
 うっかり裏方で居眠りをしてしまった。
 こんなこともあろうかと監視カメラの死角にいてよかった。
 ただでさえ安いバイト代を減らされたら、隅田川沿いの方々にご挨拶をせねばならなくなってしまう。
 大学のレポートが一向に終わる気配がなく、寝る時間を惜しんで片付けていたら、この体たらく。
 って、そんなことを心配している場合ではなくて。
 「いらっしゃいま―」
 若干寝ぼけている頭を揺り起こし、居眠りをごまかすかのように言いかけて、店内には誰もいない。
 …まさか、泥棒!?
 と早とちりする寸前、トイレから物音が聞こえた。
 なんだ、トイレか。よかった…。
 もし泥棒で、居眠りしている隙を突かれたなんてことがバレたら…。
 想像しただけで身の毛がよだってしまった。
 お金に苦労しない生活がしてみたいッス…。
 なんて有り得もしない妄想をしていると、トイレから人が出てきた。
 キャリアウーマンという呼び方が寸分違わず当てはまりそうな、女性らしいフェミニンな雰囲気を存分に醸し出しながらも男性的な凛々しさを併せ持つ、中性的で男女問わずモテそうな女性。
 あんな素敵な女性になれたらいいな、きっと毎日が多忙で充実した生活を送っているんだろうな、と少し憧れてしまう。
 私だって、大学を卒業したら彼女みたいなバリバリ働くかっこいいキャリアウーマンになって、バリバリ儲けてバリバリ稼いでバリバリウハウハ、
 …はぁ。
 卒業したら、無難に事務の仕事でもするんだろうな…。
 トイレから出てきた女性は、まっすぐ栄養ドリンクコーナーに向かい、リポビタンDを五本ほど鷲掴みにしてレジに持ってきた。
 カウンターに置いた時のビンの音が生々しくて、一方的に憧れたことをちょっとだけ、申し訳なく思う。
 忙しいのは間違いなさそうだけれど、毎日が充実して、活き活きと人生を謳歌しているという先入観は改めた方が良さそうだ。
 厳しいノルマを身を削ってこなし、更なるノルマを課せられ、上司からはセクハラを受け、訴えると言えば職の安定を脅され、多忙が故に恋愛もままならず、いつしか身体を壊してしまう。元の健全な身体に戻るには、壊すより何倍もの時間を要するらしい。
 彼女は駐車場の車止めに座り込み、リポビタンDをすでに二本、一気飲みしていた。三本目突入もやぶさかではない。
 なんだかますます申し訳なくなってきた。
 一方的な思い込みとはいえ、彼女の辛そうな背中は私の想像とあながち外れていないように見える。
 それでも彼女は、仕事を辞められない。
 彼女が担当している仕事はきっと重要な案件なんだろうし、そう安々と辞めるわけにもいかないんだと思う。
 それが社会人なんだ。
 社会に何らかの影響を及ぼすことの、責任。
 あーぁ…。
 まだまだ先のことだけれど、卒業、したくないな…。
 このままずっと大学生でいたい。気楽な大学生活を送っていたい。
 社会人の給料に比べたら、今のバイト代は安すぎるけれど、たぶん、年功序列で上がる。っていうか上げさせてやる。
 なんて、そんな甘い話はないわけで。
 彼女の背中を追いかけるだなんて大層なことは言えないけど、ほんの少し、社会人になる自覚が芽生えたような気がした。
 今はただ、彼女のような疲れ切った人たちを、コンビニっていう形で応援できるならそれでいいと思う。
 いや、もちろんお目当てはバイト代だけど、一石二鳥っていうか、ね?
 五本目を開けようとした彼女は、フタに手をかけたまま思い詰めたように開けるのをやめ、肩の力を抜いて少しうな垂れた。
 かと思えば右手にリポビタンDを握り締めたままお店に入ってきて、レジから眺めていた私の前に立った。
 「フライドポテトひとつ」
 「あ、はい。127円になります」
 ホットケースに入れておいたフライドポテトを一つ取り出そうと手を伸ばす。
 太ってしまわないかなと思ったけれど、ポテトくらい食べなきゃやってけないんだろうな、とか思っていたら。
 「あげる」
 いきなり、女性はそう言いながら持っていたリポビタンDをカウンターに置いた。
 「へ?」
 「遠慮しないで」
 「あっ、いえ、そんな、」
 「深夜のバイトって大変でしょ? それに女の子ひとりで。誰かに労ってもらわないと、やってけないでしょう」
 言葉の一つ一つが、私の心を締め付けた。
 ぎゅうって、苦しくなった。
 それは全部、あなたのことで…。
 それなのに、その上で、私のことを気遣ってくれている。
 頭と心がいっぱいになって、私は、
 「…ありがとう、ございますっ」
 それしか言えなかった。
 精算を終えて、彼女が財布を閉じてバッグに戻し、立ち去り際に私を見ながら言った。
 「がんばってね」
 目の下のクマを化粧で一生懸命隠している素敵で疲れた顔があまりにもショックで、
 「あのっ!」
 ドアを開けようとしている彼女を、思わず呼び止めてしまった。
 振り返る彼女は、それでもなお美しい。
 「お客様も…、がんばってくださいッ」
 「―ありがと」
 微笑んで、彼女は退店して行った。

 その後彼女は鬱病に苛まれ、会社を辞めたそうだ。

 …あー。
 どうしよう。
 リポD、苦手なんだよね…。