私の名前は小此木三葉(おこのぎ みつば)。
一流の大学に通う、秀才肌の女子大生。
しかし世の中、学力だけでは生き残れないことは知っている。
故に、このコンビニエンスストアのアルバイトは、荒れ狂う日本社会に立ち向かうための、純粋な社会勉強である。
それも、目的から鑑みて最も効率の良い夜間帯にシフトを入れている。
効率が良い、とはどういうことかって?
それは、これから訪れる数多のお客様が物語ってくれることだろう。
今夜もまた、バリエーション豊かな皆様に彩られた夜がやってくる。
ピンポーン。
いかにも幼児向けと言わんばかりの、丸みを帯びて原色が眩しい樹脂製の買い物カートを押した女の子が来店。
時間相応にパジャマ姿だが、何故か頭には赤帽を被っている。
自動ドアをくぐるなり、
「いらっしゃいませぇ~」
の舌足らずなかわいらしくも何かがおかしい第一声が耳に残る。
お客様の来店時は、一応、形式ばった“いらっしゃいませ”を言うことになっているが、まさかの先手を打たれてタイミングを失してしまう。
なお、カートこそ幼児用だが、それを押している女の子はそれほど幼児幼児していないように見える。
小学校低学年かそこらではないだろうか。
まるで、幼い妹の遊具を拝借しているようだった。
女の子はカートを押しながら、手前の書籍コーナーに入り、上段の見せ置きには手が届かないらしく、下段の平積みからそれとない婦人用のファッション雑誌を手に取り、
「おしゃれはたいへんよねぇ~」
と独り言ちながら“マイカート”に突っ込んだ。
嫌な予感しかしない。
続いて突き当たりのドリンクコーナーから、重いガラスドアをふぬぬぅ~と開け、
「ひゃっこいル~ビィ~」
と500mlの缶ビールを一本突っ込んだ。
続いて総菜コーナーからサバの味噌煮の缶詰を、お菓子コーナーから捻り揚げを、パンコーナーから食パン六枚切りを、
目に入る物をトコトン突っ込んだ挙句の超重量カートがそこにあった。
明らかに押すのがしんどそうで、子供らしく苦しい表情が顔から全身から表れているが、大人ぶりたいやせ我慢からか、文句も言わずにカートを押し続ける。
そうして、ついにその幼児用のカートが摺り切りいっぱい満載になった時だった。
あまりに豪快なカートへの突っ込み様に唖然として忘れていたが、彼女にこの満載の商品への対価を支払う経済力があるだろうか。
最初のファッション誌からすでに怪しいはずだった。
もしこれが何かのごっこ遊びだとして、レジに持ってきて子供銀行券でも出されて説得して追い返したとしても、この山積みの“返戻品”を棚に戻すのは他でもない私の仕事である。
迂闊だった、勘弁して欲しい。
あの子はアイスクリームも突っ込んでいた、もう溶けているかもしれない。
下の方の商品は潰れてもう店頭に並べられないかもしれない。
それ以前にこんな数、ちょっとやそっとで片付くレベルではない。
もっと早めに手を打っておくべきだった。
まだまだ私も未熟ということ。
これも社会勉強の一環と思えばなんということはない。
私はカウンターの中から満載カートの襲撃を待った。
ひたすら待った。
待った。
待った。
大変待った。
延々待った。
いつまでも待った。
女の子は、その満載カートを苦しそうに押しながら、
「ありがと~ございましたぁ~」
と自動ドアを開けて店を出てい
「ちょっと待ったァー!!」
ねるとんも腰を抜かす凄まじい切れ味の静止をカウンター内から飛ばす。
カートの先端がすでに店舗の敷居を跨いでしまっている状態で、女の子はゆっくりとこちらを振り返ると、
「ほぇ?」
その顔完全に今初めて私の存在を知りましたって言ってる。
とても悔しい。
私はカウンターを出て、素っ頓狂な顔で佇む女の子に近付き、しゃがんで女の子と目線を合わせる。
「お嬢ちゃん、あのね」
「うん」
「その商品はね、お会計しないと持って帰っちゃダメなの」
幼児語の変換が苦手なのは自覚しているが、子供相手でも幼児語を話す自分を想像していつもぞわりとする。
「そうなの?」
「うん、そう」
「そっかぁ~」
一体何が目的で来店したのかわからないが、子供の考えることは全宇宙よりも幾何学で広大でチンプンカンプン故に深慮は避ける。
物分かりの良い子なのか、このまま納得して帰ってくれそうだった。
「じゃあ、おねえちゃん」
「うん?」
「んーとね、これ」
女の子はパジャマのポケットから何かを取り出して、私に差し出した。
「ツケで!」
舌っ足らずで言いながら手渡してきたのは、小学校用の名札だった。
本当に、どこで覚えてくるんだそんな言葉…。