| 冬の空と雪椿 第二節 筆者 : レート 大学の門を出た二人は、元来た道を戻り歩いていました。帰るためではなく、これからの行き先がこの方角なのです。花火は歩道脇に盛られるように除けられた雪を時々蹴りながら、椿は駅前ビル群通りのショップのショーウインドウを見ながら、ザクザクと雪を踏む音を立てて歩いています。 「椿ぃ」 「ん?」 椿はウインドウを見たまま返事をしました。 「もっと早よ歩こうや、腹減ってかなわん」 椿は軽く振り返って、 「十分早いよぉ…」 「ゼーンゼン。お腹と背中がくっ付いてまうわ」 椿はちょっと困り顔になって、 「じゃあおぶって」 「…えぇよ?」 言いだしっぺなのに、椿は顔をちょっと赤らめてふるふると顔を振りました。 「まぁ、店は逃げへんしな。ゆ〜っくり行こか」 椿はこくっとうなずきました。 だんだん駅が近付いてきた辺りで、二人は道を確認し合いながら通りを外れた小道に入っていきました。ビルとビルに挟まれたちょっと暗い一車線の道路。車はたまにしか通らず、通るのはほとんどが歩行者です。でも、ビル群の裏手は高さの低い建物ばかりなので、その小道もちょっと進めば明かりが差す普通の一本道になります。 小道を抜けた先は旧商店街通り。数年前に市が駅前活性化計画を始めてからというもの、駅前通りに押されて商店街の規模はどんどん小さくなっていきました。それでも、昔ながらの街並みを好む人や長年の常連さんたちのおかげで、苦しいけれどやっていけるほどの繁盛はしているようです。駅前通りには負けないぞ、と組合の人たちは躍起になっています。 二人は先ほどの一本道を抜け、商店街通りを歩いていました。 「あ…、アレかな…?」 「んー…?」 椿が小さく指差す先を花火がじっと見ると、やや前方左手に壁付け看板が見えました。白地のプラスチック板に黒の文字で風流に書かれた『鉄板』の文字。どうやらお店の名前のようです、とってもシンプル。 「ぷはっ、おもっくそまんまやな。植田が言っとった通りや」 「わかりやすいね」 言いながら二人は看板に近付き、お店の前までやってきました。遠くからでは見えなかった、看板に書かれた「お好み焼き・もんじゃ」の文字。店構えは古く、真っ白な雪景色の中にくすんだ木材建築。二階建てで恐らく上は住居になっていて、然れば一階は店舗スペースになっているのでしょう。正面から見ると横幅はあまりなく、奥行きがありそうです。 二人はのれんをくぐり店内に入りました。このお店は焼きはセルフなので、入って右手が厨房、左手がお客用の鉄板ちゃぶ台とお座敷になっています。あまりスペースは広くなく、鉄板は6つほどしかありません。 「いらっしゃっせー!」 厨房の方からまるでバカ売れラーメン屋のような大きな男の声が聞こえました。お昼時という事もあって店内はそれなりに忙しく、給仕の女性も入ってきたばかりの二人に構っていられません。 「…テキトーに座ったらえんかな?」 「いい…んじゃない、かな…?」 しどろもどろしつつ、二人は靴裏の雪を落としてから下駄箱に入れ、唯一空いている壁際の座敷に向かい合わせに座りました。一応、椿は正座、花火はあぐらです。 まだ給仕の方が来ないようなので(もしかしたら注文を決めてこっちから呼ぶのかもしれないけど)、椿はちゃぶ台脇にあるお品書きを取って何を注文するか考え、小暇な花火は鉄板脇にあるお好み焼き用のかつお節をチビチビ食べていました。 「花火くん、行儀悪いよ…」 「えぇやん、元々サービスなんやし」 「せめて注文してからにしようよ…」 「だって来ぇへん、」 花火が言いかけると、厨房の方から慌しそうに一人のエプロンを着たおばさんがやってきました。 「ごめんなさいねぇおまたせしちゃって、ご注文はお決まりかしら?」 手にメモ用紙を持っているので、どうやら給仕の方のようです。 「ん…?」 花火はおばさんの姿と声を同時に見聞きして、瞬間的に猛烈ななつかしさに襲われました。この顔を見ると日頃の鬱憤が消え去るだとか、この声を聞くと何故かオマケがもらえそうでワクワクして…、 オマケ? 「あーっ!」 花火がおばさんを指差して大声を出しました。椿とおばさんはびっくり、周りの人もちょっとびっくりです。当の指を指されたおばさんは怪訝な顔をしていましたが、自分を指差す少年を見て、 「あれ? もしかして、花ちゃん?」 「そそそ、藤沢二小のっ!」 「わぁびっくり、まさかこんな所で会えるなんて」 「ワイもビックリですよぉ、ナーニしてはるんスかこんなトコで」 「まぁ、色々あってね。…あ、悪いんだけど、先に注文取らせてもらっちゃおうかしら?」 話を続けたかった花火ですが、おばさんの後ろに見える厨房の忙しさを考えて、 「あ、そですね、えっと…」 お品書きを取ろうと思ったら椿の前にあったので、椿に先に注文するように手で促しました。 「あ…、じゃあ、ツナコーン玉を一つ」 「はい、ツナ玉一つ」 椿が花火にメニューを渡して、おばさんのためにとりあえず急ごうと思い、渡された時に開いていたページをさっと見て、 「ブタ玉一つ」 「はい、ブタ玉一つ。以上でいいかしら?」 と言われ、花火は椿を見て確認しようと顔を振り向ける刹那、メニューに書かれていた一つのメニューを一旦注視してから椿に振り向き、 「椿、これ二人で食べへん?」 「?」 花火はメニューを開いて椿の方に向け、両端を持っている手の左手の人差し指でメニューを差しました。『もちチーズもんじゃ』と書かれていました。少し身を乗り出してそれを見た椿は、お品書きの写真と一応値段を見て、こくっとうなずきました。 「あと、もちチーズもんじゃ一つ」 「はい、もち玉一つ」 「以上で」 「ご注文を繰り返します。ツナコーン玉、ブタ玉、もちチーズもんじゃが一つずつでよろしいですか?」 花火は『ん』と言ってうなずき、椿は小声でハイと言ってうなずきました。おばさんは小さく会釈して、メモ板をエプロンのポケットにしまいました。 「ごめんなさいね、今ちょうど忙しい時間だから」 「ええですよ、ワイらに構わず仕事したってください」 おばさんはまた小さく会釈をして、厨房の、恐らく店長であろうさっきの大声の人に呼ばれて戻っていきました。 「…花火くん?」 「んぁ?」 「誰…?」 「あぁ、えっとな、ワイが小学校ン時に、ほら、椿ンとこの小学校の近くにもあったやろ? 駄菓子屋みたいなん、そこで店やっとったおばちゃんがあの人」 椿はうんうんと相づちを打って、 「花火くん、常連だったの…?」 「そやなぁ、ほぼ毎日行っとったわ。学校帰りでもお構いなし、常連サービスでかなりおごってもろたしな」 椿はまた相づちを打って、 「良かったね、また会えて」 「…でも、なんでこないなトコおるんやろ。藤沢からだいぶ離れとるのに」 それを聞いた椿は当然の疑問を持ち、花火に問いました。 「今、その駄菓子屋さんは…?」 「今はどうなっとるか知らへんけど、小学校卒業して…いつ頃やったかな、中学ン時に久々に行ってみたら閉まっとって、中覗いても真っ暗やった」 「店じまい…?」 「せやろな」 「なんでだろ…」 「不況の煽り…は有り得へんか、駄菓子屋やし」 少し間を置いて椿が、 「でも…」 「ん?」 「小学校の近くにあったの、コンビニだった…」 「お待たせしました、ブタ玉とツナコーン玉です」 先ほどのおばさんが、具その他がたっぷり入った銀色のカップを両手に持ってやってきました。ブタ玉は花火に、ツナコーン玉は椿に渡して忙しそうにまた厨房に戻りました。 「ほな、焼くか」 椿はこくっとうなずきました。 二人はあらかじめちゃぶ台に置かれていた食器からスプーンを取り、それぞれカップに入った具をかき混ぜ始めました。花火はしっかり混ざるよう下から豪快にほじくったり、椿は食材を痛めないよう、特にキャベツの水分が出ないよう丁寧に混ぜています。 二人が一生懸命混ぜていると、またおばさんがやってきました。左手にカップとオレンジジュースの瓶、右手には器用にコップを二つ持っています。 「もちチーズもんじゃになります」 これは二人で食べるので、気が利くおばさんはどちらに渡すでもなく鉄板の手前に置きました。そして、 「それと、これは私からのサービスね」 と言って、二人の前にそれぞれコップとオレンジジュースを置きました。一本でもありがたいのに、二人に一本ずつとは太っ腹です。 「あ、そんな、ええですって!」 「ふふ、遠慮しないで。昔はよくサービスしたでしょう?」 「いや、そうですけど…」 「あなたも遠慮せずにどうぞ」 いきなり言われて椿はちょっとびっくりしましたが、動揺せずに小さく頭を下げていただきますと言いました。 「ええんですか? ホンマに」 「もちろん。ひさしぶりだからね、おばさんもサービスしたいのよ」 「…ほな、ありがたくいただきますわ」 花火も小さく頭を下げて、おばさんも嬉しそうに微笑みました。そして、厨房の人に呼ばれて慌しそうに厨房に戻っていきました。 「…まさか、またサービスしてもらうとは思わへんかった」 「感謝、しなくちゃね」 「せやな」 二人はありがたくジュースを飲む事にしました。栓抜きが一つしかなかったので、まず花火がフタを開け、椿に栓抜きを渡そうと手を差し出しました。しかし、よく見ればその手に栓抜きはなく、 「開けたる」 なるほど、開けてあげるからジュースを渡せという意味だったのですね。 「お願いします」 と言って、椿は花火にジュースを渡しました。さすがは男の子、軽々と開けて椿に返しました。二人とも自分のコップにジュースを注ぎ、自然と二人ともジュースを手に持って顔を向け合い、 「まぁ、なんや、別になんもあらへんけど…。乾杯」 「カンパイ」 静かにコップとコップを当て鳴らし、花火は一気に、椿はしずしず飲みました。 「よーし、先に焼かしてもらうで」 「うん」 意気込んだ花火は膝で立ち、左手にカップ、右手にスプーンを持って焼き始めました。 「見とけ、これが煎御谷流や」 まず、カップに入っている生の状態の生地を一気に全てぶち撒けます。花火は薄めが好きなのでスプーンで伸ばしていき、適度な大きさになったところで焼けるのを待ちます。 「薄いね」 「その方が味が染みてうまなるんや」 ちょっと足りないくらい下地が焼けると、花火は大コテを両手に持ってお好み焼きの両サイドからぐいっと持ち上げ、慣れた手付きでひっくり返しました。形は完璧で崩れもありません。椿が小さく拍手しています。でも、お好み焼きはまだ白っぽくて焼き足りない感じです。 「焼き足りなくない…?」 「薄いしな、とりあえずはこんくらいでええんよ」 特にする事はないので焼けるのを待ちます。早く焼けるようにコテで押し付けたりするのは厳禁。自然に焼けるのを待つのがふっくら焼くコツなのです。 「家であんまお好み焼き焼かんやろ」 「うん」 「プレート出すのめんどいもんな」 「忙しいし…」 「んあぁ、椿は特にアレか」 「花火くんチは…?」 「よぉ焼くで、多い時は週に一回とか。あ、でもな、おかんヒマやから色んなもん試したいらしくて変な具入れたりすんねん。前なんかゴーヤー入れよって、よぉ考えてみ、ゴーヤーやで? 普通入れんやろ?あ〜んなまずいお好み焼き初めて食ったわ」 椿はくすっと笑って、 「全部食べた?」 「食わんとシメる言われて食った。最後の一口なんて意識のうなってたけどな」 「大変だね」 「ウチのおかんもひねとるからな、フツーに作りゃそれなりにうまいんに」 などと話をしていたらお好み焼きが焼けてきたようなので、花火はまた両手にコテを持って手慣れた手付きでひっくり返しました。今度はこんがりキツネ色に焼けています。花火は鉄板脇にあったソースのハケを取り、たっぷりソースをつけてお好み焼きに塗り始めました。 「塗る時にコツがあってな、真ん中から外に塗るとええんやで」 椿は小さくへぇーと言って、花火の塗る様子を見ています。お好み焼きからはみ出すくらいたっぷり、もといどっぷり塗られたソースは花火の濃い口好きによるものです。はみ出たソースが鉄板で焼け、香ばしいソースのニオイが漂って食欲をそそります。 「いいニオイ…」 「最後に青のり、と」 花火の中では青のりは香り付け程度がちょうどいいと思っているので、人差し指で軽く摘んで全体にパラパラとふりかけました。 「んで、煎御谷流の極め付けは最後や」 青のりで完成かと思われたお好み焼きに、花火はなんと、まだお好み焼きが鉄板の上にあるにも関わらずマヨネーズをかけてしまいました。椿も驚いておっかなびっくり見ています。 「普通は後でかけるやろ? 煎御谷流はそこがちゃうねん。焼きの最後にかける、そこがミソや。このマヨネーズの焼けるニオイ、あ〜たまらん…」 花火があまりにおいしそうな顔をするので、椿もちょっとニオイを嗅いでみました。…微妙です。 「腹減ったやろ、どんどん食おうや」 椿はこくっとうなずき、ミニコテで花火が焼いたお好み焼きを小さく切って取り、 「いただきます」 パクンと口に入れました。よく噛んで、ゴクンと飲み込んで、 「おいしい、けど… ちょっと、濃い、かな」 「まぁ、ワイの好みや。我慢してぇな」 椿はこくっとうなずきました。焼いたお好み焼きを端っこからチビチビと食べています。 「なんや、もっとがっつきぃな」 「そんなに入んない…」 「食うんやったらな、もっとこう、」 アッツアツのお好み焼きをでっかく切ってがっぽり取ってそのまま口に入れ、 「ほゎちゃちゃちゃちゃ!」 熱くて当然です。椿はまたくすっと笑って、 「大丈夫…?」 熱くて返事ができないので、どうにか顔だけ動かしてうなずきました。花火にとっては灼熱のそれを口の中で何度もほふほふ冷ましてなんとか慣れて、やっとこさ飲み込む事ができました。 「あー…、あっつかったぁ…」 「ちゃんと冷まさないと」 「そーするわ…」 勢い余った自分に反省し、今度はしっかりふーふーして食べました。 「…んまい」 花火が焼いたブタ玉もすぐになくなりかけた頃。 「そろそろ椿のんも焼いた方がええんやない?」 「あ…、うん」 「自分で焼くか?」 「やってみる」 「ん」 さて、今度は椿が焼きに挑戦します。栃木生まれで栃木育ちの椿は、別段お好み焼きを多く食べて育ったわけでもなければ、家で焼いた経験が多いわけでもありません。だからこういうお好み焼き専門店で焼くというのは、椿にはちょっと勇気がいる事なのです。特に椿の性格だと『もし失敗したら』と一抹の不安もよぎったりして、しかし花火が豪快に焼く姿に憧れにも似た感を受けた椿は、どうしても自分で焼いてみたかったのです。 花火をマネする感じで膝で立って、左手にカップ、右手にスプーンを持ちました。小声でよしと言って、カップの中の生地を鉄板の上に流しました。椿は普通のお好み焼きにしたかったので、花火のように薄くするでもなく適当な大きさに広げました。 「ちとトイレ行ってくるわ」 花火が言い、椿は軽くうなずきました。花火は立ち上がり、忙しそうなおばさんにトイレの場所を聞いて教えられた方に歩いていきました。 椿は、異国の地で独りになった気分です。 昔よりは勇気があると思う。花火くんと出会ってから、自分は少し変われたんだと思う。少しだけ、ほんの少しだけど、自分は小心者を克服できたと思う。それは花火くんが居てくれたから、花火くんと一緒に過ごせたからだと思う。花火くんに勇気を、元気を分けてもらったんだと思う。でも、このままじゃダメなんだ。人生はそんなに甘くない、花火くんと昼夜離れず一緒に居られるわけがない。だから、花火くんが側にいなくたって怖がったりびくびくしてちゃダメなんだ。もう子供じゃないんだから、独りで頑張れるようにならないとダメなんだ。 椿はそんな大変にご苦労な思考の中で、目の前でじゅーじゅーと音を立てるお好み焼きの焼き加減を見ていました。まだかな、もうちょっとかなと思う片隅で、花火くんまだかな、焼き加減はどれくらいがいいのか聞きたい、でも自分でやらなきゃ、と大変ご苦労な思考が続いています。 頃合を見計らい、椿は意を決してコテを手に取りました。何だか恥ずかしいけど、普通の人はこんな事で恥ずかしがらないぞと自分を戒め、花火がやっていたように両サイドからコテを差し込み、慣れた手付き…のマネをしてひっくり返しました。さすがに完璧とは言えませんが、崩れもなく何ら問題はありません。成功です。椿は心の中で小さくガッツポーズ、コテを置いて嬉しそうにお好み焼きが焼けるのを待っていました。 「お、できとるやん」 トイレから戻ってきた花火が、鉄板の上のひっくり返されたお好み焼きを見て言いました。自分の成功を褒めてもらった椿は、それはもうはしゃぎたいくらい嬉しくなりました。 「うまなりそうやな」 椿は嬉しそうにこくっとうなずきました。 お好み焼きが焼き上がるまで、花火はお座敷部屋の角にあるテレビの昼ドラを、椿はここまで褒められて失敗は許されないぞとガチガチになってしまい、お好み焼きから目を離しません。 「…椿、別にお好み焼きは逃げへんで」 「でも、コゲたら大変…」 「ちっとくらいコゲた方がうまい事もあるんやで?」 「…おいしくなかったら…?」 花火は短くン〜と言って、 「責任持って食ったる」 椿はその言葉に嬉しさを感じて、しかし何か違うような気もしました。少し安心した椿は、お好み焼きが気になりつつも一緒に昼ドラを見ていました。 少しして、 「ん…、そろそろええんちゃう?」 「あっ」 うっかり昼ドラに夢中になっていた椿は慌ててコテを取、 「ぁつっ!」 鉄板の熱で熱くなっていたコテをベッタリ触ってしまい、思わず声が出てしまいました。花火は心配そうに、 「ダイジョブか?」 「…うん」 気を取り直してもう一度。ゆっくり持てば手が勝手に慣れてくれるので問題ありません。しっかりとコテを持った椿。さっきと同じようにやればいいんだ、できたんだからできない事はないんだ、そう自分に言い聞かせ、両サイドからコテを差し込み、ひっくり返しました。さすがは椿、今度もちゃんとできました。 「おー、さすがさすが」 椿はまた嬉しくて、コテを鉄板にバンバンぶつけて喜びを表現したいくらいでした。 ふと思えば、今までの行程で花火は一つも首を突っ込んでいません。あれだけ達者な焼きの腕を見せた花火が何故…。それは、長いこと椿と付き合っている花火だからこそわかる、椿の気持ちを考えての事です。あの椿が自分でやると言ったのだから少しの失敗を咎めたりはしないし、もちろん、椿の作り方にとやかく言ったりもしません。鈍感だけどどこかやさしい、花火の小さな思いやりなのです。 椿はソースのハケを取り、ややぎこちない手付きで中心から外に向かって塗っていきます。花火よりは塗る量が少ないけど、ソースの焼けるニオイはしっかりと漂っています。しばらくソースが染みるのを待ってからちょっと多めに青のりをまぶし、何故か花火がかけなかったかつお節をかけて、椿お手製ツナコーン玉の出来上がりです。 「ん。見た目もバッチリやし、ニオイもええな。後は味や」 椿がこくっとうなずき、しかしどちらも動こうとはせず、 「何しとんねん、早よ食べぇな」 「え…?」 「作り主が一番に食うんは当たり前の事やないか」 「あ…、じゃあ、いただきます…」 先に食べるのを遠慮していた椿ですが、花火に促されて、ミニコテで小さく切ってパクリと食べました。 「どや?」 「おいしい」 椿は幸せそうな顔で言いました。 「そか。ほな、ワイもいただこうかいな」 花火も一口、うまいと言ってガツガツ食べ始めました。 ツナコーン玉を食べ終え、最後に残ったもちチーズもんじゃを焼き始めました。二人で食べるので、使い終わったそれぞれのカップに等分に移しました。花火もお好み焼きを焼き慣れているとはいえもんじゃ焼きとは勝手が違うので、と言っても特に難しい焼き方でもないので二人とも腕はどっこいです。 「たまにはもんじゃもええな」 「ウチじゃできないもんね」 二人とも同じタイミングで焼き始め、ミニコテでコネコネしながらほどよく焼きあがったところで小皿に取って食べました。 「おもち、おいしい」 「うん、珍味や思て注文したんやけど、なかなかやな」 二人はおいしそうにもくもく食べました。思いの外もちとチーズがマッチして、二人の舌を満足させているようです。 「んでさ、」 「?」 「この後どないするん?」 「え…?」 椿は怪訝な顔をして訊きました。 「お洋服屋さん、行くんでしょ…?」 花火は目を左上にやり、何かを思い出す間を少し置いて、 「あっ、うん、そそそ、およーふくやさんやな」 「…もしかして、」 「いやいやいや忘れてへんよ、ンなワイが忘れるわけないがな椿はん」 明らかな態度の違いでバレバレですが、そこが花火のおもしろいところなので怒ったりしません。 「いつもんトコでええの?」 椿はこくっとうなずき、 「他がいい…?」 「ワイは別にどこでもええよ」 椿はまたこくっとうなずき、もんじゃの最後の一口を食べ終えました。ゆっくり食べていたので、花火はとっくに食べ終わっていました。 「ごちそうさまでした…」 「ちそうでした」 本日のお昼ご飯、お好み焼き・もんじゃはこれにて終了です。 「ぅあ〜、なんだかんだで結構食ったなぁ…」 花火は後ろに左手を突いて体重を預け、右手で腹をポンポンと叩きました。 ふと辺りを見渡すと、お客はだいぶ減っていました。お昼のピークを過ぎたからでしょう、満席だったお座敷は今では花火椿の二人ともう一組のお客しかいません。ピークの時に来ていたお客のほとんどは午後の仕事に向かったりですが、二人はピークの後の方に来た上午後は急ぎの用事でもないからゆっくり食べていたので残ってしまったわけです。 と、 「どう? おいしかった?」 仕事が一段落したおばさんが、少し疲れているけど微笑みながらやってきました。 「めっちゃうまかったですよ、特にもちチーズもんじゃ」 「そうでしょう? 私もオススメなの。他のもすごくおいしいから、またの機会にぜひね」 「時間があったらまた来させてもらいますわ。な?」 椿に訊き、こくっとうなずきました。 「もう仕事はええんですか?」 「えぇ、お客さんも減って手が空いたから」 そこで少し間を置いて、花火が問い掛けました。 「んで、駄菓子屋はなんで閉めてもうたんですか…?」 「うーん、説明するとちょっと長くなっちゃうんだけど…」 おばさんのお話しの前に… 花火が今の住まいに引っ越してきたのが小学五年生の時。ちょうど学年が上がる時に引っ越してきました。気さくな花火はすぐに打ち解け、クラスの人気者になりました。駄菓子屋に通い始めたのは五年生の夏休みの頃からでした。友達が駄菓子を買いに行くというので付いていったのがキッカケでその場所を知ったのです。 そして、初めて店に入った花火は、おばさんに恋をしてしまいました。 今までおばさんやおばちゃんと呼んできたこの女性、じつはまだ30にもなっていません。20代後半の、とても若い女性なのです。花火が初めて見た当時のおばさんはまだ大学生でした。長い髪が似合う若々しくて美しい人で、どうしてこんな人が駄菓子屋なんかやっているのだろうと花火は疑問に思ったものでした。 花火が常連になったのはサービス目的ではなく、おばさんに会うためだったのです。 これは転校生の花火は知らなかった話なのですが、おばさんが駄菓子屋をやる前は、それはもう駄菓子屋の主らしいおばさんのおばあちゃん、ようするに祖母がお店をやっていました。しかし、ある日の検査で偶然にもガンが発見され、様々な治療を行いましたが、年齢的な衰えもあり、残念ながら帰らぬ人となってしまったのです。おばあちゃんっ子だったおばさんは、おばあちゃんが残したこの駄菓子屋を続けていこうと決め、やっていたアルバイトを辞め、大学が終わった午後に店番をしていたというわけです。 そして、何故店を閉めてしまったのかというのはこれからの話。 「じつはね。おばさん、結婚したの」 間。 「うえぇぇえっ!?」 この叫びはもちろん花火です。 「友達の紹介でここの人と知り合って、それでね」 このお店の店長、さっきの大声の男がおばさんのだんなさんのようです。 「え、あ、それで、その、嫁に、入って、ここの、手伝い…?」 「そういうこと」 「…と、とりあえず、おめっとさんです…」 「ふふ、ありがとう」 花火はショックを隠し切れません。 「花ちゃんが中学に上がってからも続けてたんだけど、大学を卒業したらお店をやっていくのは無理だろうと思ってたし、その頃はもう今の人とお付き合いしてたから…。辛いけど、お店閉めちゃったの」 「そうやったんですか…」 想いを寄せていた憧れの人が嫁いでしまいショックを受ける、よくあるシチュエーションです。 「あ…、ごめんなさい、そろそろ仕事に戻らないと」 「すんません、時間取らせてもうて」 「ううん、気にしないで。私が話したかっただけだから」 「ほな、ワイらもそろそろお暇しよか」 椿に訊き、こくっとうなずきました。お会計は自分が頼んだ分を別々に払い、もちチーズもんじゃは二人で半分ずつ払いました。花火がジュース代を払おうと必死になったのは言わずもがな、結局受け取ってもらえませんでしたが。 二人はのれんをくぐり、おばさんのお見送りを受けてお店を出ました。 「…はぁ」 花火、溜め息を一つ。 「どうしたの…?」 落ち込む自分の顔を下から覗き込む椿の仕草がかわいくて、人通りがあまりない道とはいえ、花火は大胆にも思わず椿を後ろからのしかかるように抱きしめて、 「椿ぃ〜」 「わっ、ちょ、花火くんっ!」 花火の突拍子もない行為に椿は顔を赤くして、恥ずかしさから腕を振り解こうとしています。しかし花火はそんな事はお構いなしに、ちっとも元気のないふ抜けた声で、 「ワイにはもう椿しかおらへんわぁ〜」 花火のまた大胆な発言に、椿はドキッとしてその場から動かなくなりました。花火の過去のエピソードを知らない椿にとって、その言葉はとても純粋な愛のアピールにしか聞こえません。もちろん、意気消沈の花火にはそんな椿の思いはわかりません。 「…椿?」 それからしばらく、椿は顔を赤くして動きませんでした。 [ 冬の空と雪椿 第三節 ] [ 戻る ] |