| 冬の空と雪椿 第六節 筆者 : レート そこは、誰もいないカラオケボックスでした。やや長方形の部屋の最奥にはカラオケに必要な機器と舞台が、真ん中にはテーブルが、南辺と東辺にはソファが置かれていました。部屋が長方形なので南辺のソファは短く、東辺のソファは長くなっています。 突然、南辺のソファの左隣にあったドアが勢いよく開けられました。そして、四人の男女が入ってきました。カラオケはほぼ常連の温子と、常連ほどじゃないけどよく来る勇一と、何度か来た事はある花火と、カラオケは初めての椿です。 「さぁ〜歌うわよぉ! 一番手あたしね!」 ひとり意気揚々とカウンターで預かったマイクをつないで、収録曲リストの本を取ってほんの数秒でお目当ての曲を見つけて、慣れた手付きでリモコンで番号を入力しました。 温子が準備をしている間、他の三人はどこの席に座るかを考えていました。温子は常連かつ本日最も歌いそうなのでカラオケ台に近い東側ソファの奥に、勇一はどうしても温子と同じ席はイヤだと言うので(多分温子も同意見)とりあえず南側のソファに座りました。花火と椿は二人とも同じ席に座りたかったのですが、両ソファに2人ずつでないとバランスが悪く、なおかつすでにどちらのソファにも1人ずつ座る人が決まっているので、なし崩し的に花火は勇一の座る南側に、椿は温子の座る東側に決まりました。 「みんな、張り切って行くわよ〜!」 「ぉ〜」 温子の声に乗ったのは、椿だけでした。 ノリのいいイントロが流れ出し、ノリノリの温子が歌い始めました。温子が歌う曲は、若年層で今大人気の若手女性アーティスト『花崎 真由美』の最新ヒットシングルです。ノリのいい曲が好きで得意な温子の歌はなかなか上手で、温子の歌声を初めて聴いた椿は自然に手拍子をとって聴き入っていました。 一方、せっかく女子が二人いるのに成り行きで暑苦しく隣合っている花火と勇一は、 「なぁ」 花火。 「ん?」 勇一。 「元カノって、ホンマ?」 「…まぁ、ホンマだ」 花火は、二人が知り合った理由やこんな展開になってしまった偶然性は問わず、 「なんで別れてもーたん?」 「―わからん」 「…はぁ?」 勇一は少し難しい顔をしながら軽く頭を掻いて、 「俺もよくわかんないんだよ、未だに。なんつーかなぁ…。溶けていく氷みたいに、自然になくなったっていうか」 「…へぇ」 花火はよくわかっていませんでした。 「でも、付き合うとったって事は、ホの字やったんやろ?」 「そりゃ、一応はな」 「あんなガサツ女のどこがええんかなぁ」 「―ガサツだけじゃないってことだ」 「ん?」 「…いや」 勇一はそれ以上何も言わず、楽しそうに歌う温子を見ていました。花火もそれ以上詮索しませんでした。 「ひゃっほ〜!」 歌い終えた温子が、興奮のあまり咆哮を上げました。ノリのいいアウトロと相まって、温子のモチベーションが上がる一方です。 「あ〜楽し♪ 次もあたしが歌っちゃおっかな」 「おいおい、歌い手はひとりやないんやでー」 「なによぉ、なら煎御谷歌う?」 「曲探し中ですぅ〜」 「うわっ、いやらしい言い方ぁ」 そこへ勇一。 「俺、いいか?」 「あぁ、植田? いいわよ」 「お前のハイテンション見てたら、なんか歌いたくなった」 「あら、あたしの歌そんなにうまかった?」 「そんなんじゃねぇよ」 勇一は少し照れながら、リモコンで番号を入力します。 「なに歌うの?」 「…まぁ、ちょっとな」 「なによ、教えてくれたっていいじゃない」 「どうせこれから聴けるんだからいいだろ」 「もお、ヤな感じぃ」 温子はむすっとした顔でソファにふんぞり返りました。勇一は舞台に上がり、マイクを持って待機しています。 「アコ、歌うまいね」 「あぁ〜ん、素直にほめてくれるのはカメちゃんだけだわぁ、ありがとー」 温子は言いながら、スキンシップの意味で椿の肩に自分の肩をやさしくぶつけました。 間もなく、勇一が選んだ曲のイントロが流れ始めました。テンポが遅く、心に何かを訴えかけるような曲です。これもまた若年層で大人気の若手男性デュオ『SCIENCE』の最新ヒットシングルで、こういう曲のジャンルはバラードと呼ぶそうです。 イントロが終わり勇一が歌い出すと、温子は何か耳に引っ掛かるような感覚を覚えました。それは物理的なものではありません。最も近い言葉で表すなら"聞き覚え"でしょうか。どこかなつかしいような、甘酸っぱいような…。しかし温子はそれ以上その事を考えるのはやめました。勇一が歌う曲のことでこんな感情が沸いてくると思うと背筋がウゾウゾするから、と温子曰くです。 「アコ、」 「ん?」 「さっきの話…、ほんと?」 「さっきって?」 「ほら、えと、学校で…」 「あーあー、植田のこと?」 椿はこくっとうなずきました。 「なぁに、そんな時期もあったってだけよ」 「どれくらい…?」 「ん〜、そうねぇ…。1年くらいかな」 「長かったんだね」 「別れるまでのブランクが長かっただけよぉ。ホントにそーいう関係だったのはもっと短い」 「…どうして?」 「なにが?」 「だから、その、別れちゃった―」 「理由?」 椿はこくっとうなずきました。 「う〜ん、なんて言えばいいのかねぇ。ケンカ別れとかそんなんじゃないから、どーも表現しにくくて…」 「性格の不一致、とか…?」 「んにゃ、気は合う方だったわよ。テンションの差がバランス取れてたって言うのかしら」 「じゃあ、なに…?」 「う〜ん、やっぱりどう考えても、理由がないのよねぇ…」 「…自然、消滅?」 「あっ、そうそれ。自然に解ける氷みたいに、跡形もなくなっちゃったのよ」 椿が軽く相づちを打っていると、温子はおもむろに身をかがめて椿の頭も少し下げて、椿の耳に口を近付けて声を潜めながら、 「じつはね…。アイツのこと、嫌いなわけじゃないの。まだケー番もアドレスも残ってるし」 「連絡は…?」 「まさかぁ。一度別れた男と連絡取る意味ないでしょ?」 「だったら、消しちゃっても…」 「―そう、よねぇ…」 温子は軽く溜め息を一つ。 「忘れられない…?」 温子は弱々しくうなずきました。 「なら、」 「だめだめだめ、それじゃ別れた意味なくなっちゃうっ」 「でも…」 「そうよ、一度別れたんだから、なにも惜しむことなんてないじゃないっ」 温子は言葉の端にやや怒気を含めながら、自分の携帯電話を取り出して電話帳を開き、別れた今もなお残り続けている『植田』にカーソルを合わせてメニューを開き、削除を押し、『本当に消しますか?』と表示され― 温子は止まってしまいました。 「…アコ?」 「―別に、今さら消す理由もないわよね。電話帳だって余ってるんだし。…そうだ、もしアイツがイタ電でもしてくるようになった時に拒否れるようにとっとけばいいのよ。ね?」 椿はいきなり話を振られてどう返せばいいのか困ってしまい、とりあえずこくっとうなずきました。それを見た温子は顔を俯かせ、心なしかやさしく微笑んで、 「ダメね、あたし…」 その声を椿は聞き取れませんでしたが、温子の表情を見てそれ以上の詮索はやめにしました。 やがて勇一が歌い終え、花火と椿はパチパチと拍手しました。 「結構うまいんやな」 「そうか?」 「よしゃ、次ワイな」 勇一が席に戻ってくるやいなや花火は席を立ち、リモコンで番号を入力してカラオケ台に立ちました。 「カメちゃん、煎御谷って歌えるの?」 椿は目線を上にやって思い出すポーズ、 「聴いたこと、ない…」 「えっ、そうなの?」 椿はこくっとうなずきました。そして、花火が選んだ曲のイントロが流れ始めました。その曲はとある人気アニメの主題歌です。とは言ってもそのアニメ専用の主題歌ではなく一般的なJ-POPからのタイアップなので、歌詞の中に固有名詞が出てくることはありません。ちなみにこの曲は、人気男性アーティスト『T.M.Evolution』が歌っています。 イントロが終わって花火が歌い出し、 「うわっ!」 「うひゃ!」 勇一と温子は思わず耳をふさぎました。 「な、なにこれ!? ちょ、煎御谷ぁ!」 花火は歌に熱中して聞いていません。 「カ、カメちゃ〜ん、なんとかしてぇ〜…」 温子は椿に助け舟を出しますが、椿にはどうしようもありません。それどころか椿は耳もふさがず、真剣な顔で―耐えているようにも見えますが―歌う花火の様子を見ていました。自分のボーイフレンドの歌声なんだからちゃんとした態度で聴かなきゃいけない、と椿曰く。 「ふ、冬さん、ヘ〜ルプ…」 勇一も椿に助け舟を出しますが、椿にはどうしようもありません。むしろ、他の人のことなど構っていられる余裕はないといった表情です。 「ど〜してこんなド音痴がカラオケにいんのよぉ〜…」 「あぁ、まったくだ…」 勇一と温子は手の平でガッチリ耳をふさいでいますが、カラオケボックスの性質上声量が大きくなるのは必至で、いくら耳をふさいだところで聞こえてしまうのは止むないことなのです。 幸いにも花火が選んだのはテレビバージョンで短めだったので、1分半ほどで曲は終わりました。マンドラゴラの叫びを聴いていたかのような地獄から解放された勇一と温子は大きな安堵を感じ、胸を撫で下ろしました。 「いーりーみーやー…」 「どや? なかなかやろ」 「なかなかのもんよ…。ヘタな絶叫マシンよりキツいかも…」 「ん?」 「ん〜ん、なんでもない…。うぇ」 温子はまだ持ち前のハイテンションで難を逃れましたが、勇一に至っては半ば失神寸前でした。席に戻った花火は、 「椿、どやった?」 「…」 「椿?」 「じょうず…だった」 「お〜そかそか、たまにはカラオケもええもんやなぁ」 椿の顔は少し青ざめていました。 ジュースやお菓子などで軽く休憩して、カラオケ再開です。 「あれ、まだ歌ってない人いる?」 温子が言うと、隣にいた椿が温子を見ました。 「あそっか、どうする? 歌う?」 少し黙考したあと、椿はこくっとうなずきました。 「じゃ番号入れたげるから、言って」 椿はこくっとうなずき、本を持って目当ての曲を探し始めました。 「椿」 「?」 「アレ歌うん?」 椿はこくっとうなずきました。 「あんま無理すなや」 「うん」 椿は目当ての曲を見つけて温子に番号を伝え、ちょっと恥ずかしそうにしながらカラオケ台に立ち、マイクを両手で握りました。ただでさえ初めてのカラオケな上、人前で歌うとなると椿も恥ずかしくて仕方がありません。それでも椿が名乗りを上げたのは、カラオケに行ったら絶対にこれだけは歌おう、と前から決めていたからなのです。 「いい?」 温子が確認すると、椿は緊張しながらもこくっとうなずきました。温子がリモコンのボタンを押し、少しして曲が流れ始めました。イントロなしでいきなりサビスタートなので、ガチガチになっていた椿は出遅れてしまい、焦りながらも歌い始めました。 椿が選んだこの曲は、お菓子のCMのBGMにも使われた、女性デュオ『Kiroro』が歌うウィンターソング『冬のうた』です。寒い寒い冬の空気の中で、癒されるようなあたたかさを感じられる、椿お気に入りの一曲なのです。 歌い始めこそ肩に力が入っていた椿ですが、それ以降は自然な流れで歌に集中することができ、さほど緊張はしませんでした。それでもって、花火を除く他二人はすっかり椿の歌声に聴き入ってしまっていました。曲の良さもなかなかのものですが、そこに椿の意外な美声が加わると、まるでプロのアーティストのような壮大感や感動が部屋を埋め尽くしてしまいます。 あっという間に時は流れ、曲も最後のサビになりました。椿が最も好きな最後の1フレーズを歌い終えてアウトロに入り、あまりの凄さに温子が椿に賛美を送― 温子が立ち上がりかけた刹那、椿の頬に一粒の涙が流れました。 「あ〜やっぱアカンか」 誰よりも真っ先に動いたのは花火でした。ポケットからミニタオルを取り出して、椿に駆け寄りました。当の椿はちょっと照れ笑いしながら涙を手の甲で拭って、泣き顔を見られないように後ろ向きになりました。 「ごめん…」 「ええよ、しゃあないて」 花火に涙を拭いてもらいながら、椿はこくっとうなずきました。 二人がそれぞれの席に戻ると、東側のソファでは温子が、 「カ、カメちゃん、大丈夫?」 「うん…、平気」 「煎御谷になんかされたの?」 椿はビックリして顔をブンブン横に振りました。 「目にゴミ?」 「そうじゃ、なくて…」 涙を流した理由を自分の口で説明するのはなんとなく恥ずかしいので、椿は花火を一瞥して助け舟を求めました。しかし南側では、 「おいコラ煎御谷、冬さんを泣かすとは、」 「な、なに言うとんねん! ワイはハンカチ持ってっただけやろが!」 「しかし、事情を知ってるお前しか怪しいヤツは、」 「ご、誤解やて! 今ちゃんと説明す―」 言いながら花火が椿の方を見ると、椿も自分を見ていました。 「…お願い」 「ん」 椿のお願いを、花火は快諾しました。 「んとな」 口語だと長ったるくなってしまうので、代わりに説明いたします。 ちょうど一年前の冬、12月の頭―。栃木から北海道に越してきた冬矢家が一旦栃木に戻り、二度目の北海道へ引越す日より2日前の出来事です。 引越しを2日後に控え、引越し準備をせねばならない椿は、その日を最後に通っていた栃木の高校を去らねばならなくなりました。今度こそ本当に、北海道の高校へ転校しなくてはならない日がやってきたのです。引っ越さずにここに残りたい、みんなと別れたくない、椿は思いますがしかし、父親の事情もあるし、北海道で待っている人がいるから、椿は涙を飲んで覚悟を決めました。 最後の登校日、椿は何事もなく普通に学校へ行きました。先生も、友達も、クラスメイトも、授業も、昼休みも、いつもと変わらない日常でした。そして六限目が終わり、最後ということで校長室でごく簡単な手続きと挨拶をして、椿は校長室を出ました。その足で帰ろうと廊下を歩いていると、スピーカーから呼び出し音が鳴り、続いて椿の名が呼ばれました。椿は驚きました。至急教室に戻れとのことだったので、椿は何事かと心配になって早足で教室に戻りました。校内放送で呼ばれることなど滅多にない椿です、何か悪いことでもしてしまったのかと内心そぞろなのです。 教室の前に来てみると、隣のクラスは放課後の喧騒が聞こえているのに、自分のクラスだけはドアが閉まり、ひっそりと静まり返っているのです。椿はきっと先生がカンカンに怒って誰も喋れずにいるんだとマイナス思考になっていました。でも呼ばれたからには入らないと、と椿は恐る恐る教室の引き戸を開けました。しかし、いざ室内を見てみると、机は教室の後ろに積まれ、その机の前にはクラスメイト全員が合唱団のように階段状に並んでいました。椿はビックリして声も出ませんでしたが、先生が椿を誘導して、黒板の前に立たせました。なんだなんだと椿がおどおどしていると、先生は足元にあったラジカセの再生ボタンを押し、聴こえてきた曲こそが『冬のうた』だったのです。 曲に合わせてクラスメイトのみんなは真剣に歌っていました。この日のために、椿のために、密かに歌詞を覚えてきたのです。さすがにフルで歌うと長いので、独自編集のサビ2で終わらせました。みんなが歌い終えた頃には、椿は人目をはばからず泣き出してしまいました。するとクラスの女子たちが椿の周りに集まって、涙を拭いてあげたり声を掛けてくれたりしました。椿もまさか高校生にもなってこんな事をしてもらえるとは思ってもみなかったので、溢れんばかりの涙がなかなか止まりませんでした。 やっと椿が泣きやむと、他のクラスメイトはやや後ろに下がり、その中からひとり、椿と一番仲の良かった友人の香凛が椿の前に立ちました。そして、手に持った物を椿に差し出しました。それは、みんなの椿に対する各々の想いが書かれた、色鮮やかな色紙でした。椿は嬉しさにあまりまた泣き出してしまいましたが、香凛が涙を拭ってくれました。最後に椿がみんなにお礼をして、この高校最後の登校日が終了しました。 ちょっとばかり逸れた話もしてしまいましたが、こんないきさつがあって、椿にとって『冬のうた』には特別な思いが込められているのです。なお、何故花火がこのいきさつを知っているのかと言いますと―。少し前に椿が花火の自室の窓から外の雪景色を見ながら『冬のうた』を軽く口ずさんでいたら、思わず涙がこぼれてしまい、その時に椿の口から教えてもらったのでした。 「まぁ、そんな感じやな」 「いいわね〜カメちゃん、思い出の曲かぁ…。あたしにはそういうのないもんなぁ」 「いや、冴希、さっき俺が―」 「ん? なに植田」 「…いや」 勇一はしょぼくれてしまいました。 その後もカラオケは続きました。専ら歌っていたのは勇一と温子の二人だけですが…(花火にはそこはかとなく禁止令、椿は一曲で満足とのことです)。 四人はカウンターで料金を割り勘で支払いました。椿は温子におごってもらうはずでしたが、椿がどうしても払いたいと言うので温子が折れた形になります。花火は別段何をごねるでもなく普通に支払い、勇一は強制連行なのにブツブツなどと言いながらも支払ったのでした。 「あ〜、今月やばいな…」 「バイトすればいいじゃない」 「家の手伝いで精一杯だよ」 「だったら夜の仕事でもしてみなさいな。顔は悪くないんだから、ホストくらいならできるかもよ?」 「俺は純真な男でありたいのだ」 「そんなこと言っちゃって、背に腹は変えられないわよぉ〜?」 「よ、余計なお世話だ」 勇一と温子の掛け合いを見て、花火と椿は自分たちの収入源を考えました。花火も椿も親からのお小遣いで過ごしています。椿の方はまだ家事労働の報酬と見ることもできますが、花火の方は日々だらだらとたまに母親の手伝いをする程度で、ただ親のスネをかじっているだけなのです。そう考えると、金を稼ぐのって大変なんやな、と花火は心の片隅で思いました。でも、思うだけです。 一行が店を出た途端、 「さ〜て、次どこ行く?」 「勘弁してくれよ、俺このあと家の手伝いが…」 「いいじゃない別に、怒られれば済むんでしょ?」 「あのな、小遣いの命運が掛かってるの知ってて、」 そこでいきなり、温子の携帯電話から着メロが鳴り出しました。 「あ、ごめん、ちょっと」 温子は集団から少し離れて、片耳を押さえながら電話に出ました。ここからは連続モードに入ります。 「もしもし店長? なんですか急に、デートならお断りですけど」 「ああ、あっちゃん、だからその話はさぁ、」 「はは、冗談ですよぉ〜」 「それよりあっちゃん、急で悪いんだけど、お願い聞いてもらえるかな」 「なんですか?」 「じつはさ、リョーコちゃんから盲腸の疑いがあるから休みたいっていう連絡が入ったんだ」 「えっ、まさか…」 「そ。そのまさか。だからあっちゃん、悪いんだけど今から―」 「えぇ〜!? 他の人に回してくださいよぉ、今あたし友達と、」 「そこをなんとか、お願い! 夕食ごちそうしてあげるから!」 「…わかりましたぁ。その代わり、ちゃんと臨時手当ももらいますからね」 温子はまたむすっとした顔で電話を切り、後ろに振り返って、 「ごめ〜ん、バイト入っちゃった。この続きはまた後日ってことで、ほんじゃまっ」 「あっ、おい、冴希ぃ」 勇一の制止を聞かず、温子は慌しそうに走り去っていきました。 「…どうする?」 「どないする?」 花火と椿は向き合って言いました。 「冴希がいないとバランス悪いし、家の手伝いもあるから、邪魔者は去るとするよ」 「そか。ほなな」 「邪魔者ってトコ、ツッコんでくれよな」 勇一は返事を待たず、自宅に向かって走り去りました。 「…帰る?」 「帰ろか」 二人はまた向き合って言い、帰路に着きました。 二人は地元の、いつもの雪原道路を歩いていました。 「どする? 寄ってく?」 「ん〜…」 椿は少し考えてから、こくっとうなずきました。 やがて煎御谷家に到着し、花火が玄関を開け… ガチョン。 「はれ?」 「開いてない…?」 「おかん出かけとるんかな、面倒やなぁ…」 花火は自分の襟元辺りに手をやって、何かを摘んで引っ張り出しました。出てきたのは、家の鍵がくくり付けられたネックレス(と呼ぶほどの物でもない)でした。花火は面倒くさそうな顔をしながらも身体をかがめて鍵穴に近付け、鍵を開けてドアを開けました。 「たぁいあー」 「おじゃまします」 二人はそのまま花火の自室へ直行しました。部屋に入ると同時に花火は着ていたコートを投げ捨て、ベッドにドサリと倒れ込みました。 「う゛〜…」 ちょっとオヤジくさい花火を見て椿は苦笑いしながら、花火が投げ捨てたコートをたたんでいました。もちろん、自分のコートも。 改めて花火の部屋のご紹介。壁紙は模様なしの純白、床は据え付けのホットカーペット。ほんの少し長方形の部屋の北北東が入り口になっています。北西角にはゴチャゴチャ"だった"(椿が片付けた)使っていない学習机。中央にはひとり用にはややでかいベッドが西側の壁に接していて、頭も西側に来るように配置してあります。南東の角には小振りなカラーテレビ、近くには古いゲーム機も置いてあります。南西の角にはいかにも使ってなさそうな桐タンス。窓は西と南、日当たりは抜群です。 基本的に座って過ごすこの部屋には、そこここに座布団やクッションが放り投げてあります。椿が片付けても片付けてもすぐにこの有様、椿も呆れてしまいます。 さて、二人はこれから何をするのかと言いますと―、何もしません。 花火はベッドに倒れ込んだまま、椿は近くの座布団を持ってきてベッドの脇でアヒル座り。二人はいつもこんな風に過ごしているのです。何もせずラクな姿勢で、ただ一緒にいられればそれでいい―なんて言葉、二人が口にしたことはないのですが。 「花火くん」 「ん〜…?」 「あの二人、本当に別れてるのかな…?」 「そうなんやないの〜? 大学で会うた時めっちゃ驚いとったやん」 「そう、だけど…」 「なんかミョーなとこでもあったん?」 「ううん、そうじゃない…。でも…」 椿は少し考えて、 「別れた理由もハッキリしてないみたいだし、カラオケでも結構仲よかったし…」 「別れた後の態度なんて人それぞれやろ? 絶交やったり、友達みたいやったり」 「でもね、アコのケータイに、まだウエダくんの電話帳残ってるんだって」 「…別に、おかしないんやない?」 「どうして…?」 「相手のこと完全に忘れたいんやったら消して当たり前かもしれへんけど、あの二人、どー見たってそないな風には見えへんかったやろ?」 椿はこくっとうなずきました。 「なんか忘れたない理由とか、アレや、消す理由もないんちゃうかな」 「そうなのかなぁ…」 「ま、そないなもんは当人しか分からへんやろ。あんま気にせぇへん方がええで」 花火は寝そべった体勢のまま手を伸ばし、椿の頭を軽くなでました。 「うん」 椿は笑顔でこくっとうなずきました。 時刻は18時半を過ぎようとしています。 「そろそろ、帰らなくちゃ…」 「えぇ〜、まだおってやぁ〜」 「でも、晩ご飯の用意…」 「なぁ椿ぃ、頼むわぁ〜」 椿の背後から抱きついて、どうしても帰らせないように引き止める花火。そこまでするのなら、と椿は甘い気持ちが出てしまい、もう少しいることにしました。そして心の中で、お腹を空かせて待っているであろう弟の太陽に謝りました。 しかし、あっという間に時は過ぎ、時刻は19時。 「もうそろそろ…」 「えぇ〜、まだおってやぁ〜」 花火は抱きつきますが、払われてしまいました。 「これ以上待たせちゃうと、悪いから…」 「…まぁ、仕方あらへんか」 椿はコートを着て耳当てをつけ、花火はむっくりと起きて、二人は1階に降りました。降りてすぐ目の前にある玄関の所で椿はスリッパを脱 ガチャ。 「あら椿ちゃん、いらっしゃい」 ものすごいタイミングで、出かけていた美緒が帰ってきました。 「あ、お、お邪魔、してます…」 いざ帰ろうとしていた矢先のハプニングに驚いて、椿は後ずさりして花火よりも後ろに下がってしまいました。 「あ、もしかして帰るトコだった? もうこんな時間だもんね、あっ、もしかして花火、椿ちゃん引き止めたりしてないでしょうねぇ?」 「そ、そないなこと、し…ました」 「ダメじゃないの、椿ちゃんは忙しいんだから、暇人のアンタとは時間の大切が違うのよっ」 「げ、玄関先で説教せぇへんでぇなぁ」 美緒の怒濤の説教ラッシュにはさすがの花火もタジタジです。と、 「お〜ぅ愛しの息子よ、今帰ったぞ」 美緒の後ろから現れたのは、煎御谷家の大黒柱こと剛でした。 「おろ、帰っとったんや」 「愛息子と愛妻のためにはるばるアフリカから飛んできたぞ」 「そりゃごくろーさん。…象のフンついてへんやろな」 「バカ言え、そんなもん付いてたら飛行機にも乗れないだろ」 「おとんスーパーマンなんやから、空ぐらい飛べるやろ?」 「ははは、さすがのおとんもマントがないと飛ぶのは難しいな」 花火と剛は久々に顔を合わせるなり、いつもの調子でジョークを交し合いました。 その様子を見て、椿はたじたじドキドキおどおどしていました。だって、剛と会うのは初めてなのですから。美緒とは何度も顔を合わせているのである程度は慣れっこですが、煎御谷家の大黒柱である剛は家族の人間ですら年に数回しか会うことができません。その貴重な時に今、椿は出くわしてしまったのです。 椿もいつかは剛と会うことになるだろうとは思っていました。将来、もし花火とそういうことになるのなら、花火の父親である剛と対峙(?)するのは必至だろうと思っていました。相手方の父親と対面するというのはそういうことなのです。と、それは椿の考え方ですが。 それなのにまさかこんな所で出会うなんて椿は予想だにするわけもなく、どう反応したらいいだろう、なんて挨拶したらいいだろう、とすっかりガチガチになっています。 「お? 花火、そのコ―」 「剛さん、さっき話したじゃない」 「あーあー、花火のフィアンセだっけ?」 椿は爆発したみたいに一気に真っ赤になって、緊張ギリギリのラインで考えていた挨拶などが全て吹き飛んでしまいました。 「違うわよぉ、ガ〜ルフレンド」 「っあぁ、そっかそっか、まぁ似たようなもんだけどな」 「そーいう冗談はやめてぇな、椿が照れてまうやないか」 「いいじゃないか、若さがあって」 そういう問題ではないと思いますが…。 「はじめましてッ、花火の父親の煎御谷 剛ですッ。こんなダメ息子ですが、今後ともどうかごひいきお願いしますッ」 「ヤダもぉ、剛さんったらぁ。そんな言い方したら椿ちゃんが真に受けちゃうじゃない」 「いいじゃないか、若い証拠だ」 そういう問題ではないと思いますが…。 挨拶をされたからには返さねば、という思いが椿にプレッシャーをドシドシとかけていきます。ごひいきを頼まれたんだから引き受けなきゃいけないのかな、と本当に真に受けてしまいました。でも待たせると変に思われちゃいそうでイヤだな、という思いがさらに椿にプレッシャーをかけ、混乱極まり爆発寸前、逃げ出したくなるほどでした。 「あ、え、えと…、」 「なんや、別にそんな緊張せんでもええて。相手はお代官様やないんやから」 花火の一言で少し安心して、椿は少しできた心の余裕を使って適切な挨拶を即興で考えました。 「は、はじめ、まして、冬矢、椿です…。あ、えと、ふつつか、者ですが、よろしく、お願い、しますっ」 なんとか言い切って、小さくペコリとお辞儀をしました。 「いやいや、不束者はウチの花火の方ですぜ。なぁ?」 「親のセリフちゃうぞそれ」 「まぁ間違ったことは言ってないし、気にするな」 花火は言い返せなかったので、気にしないことにしました。 「でも椿ちゃん、それって本当の嫁入り挨拶みたいじゃない?」 「え…」 そう言われても、椿は緊張していて自分が何を言ったのかハッキリとは覚えていなかったので、どこがどういけなかったのかわかりませんでした。しかし、思い返してみれば確かにそうだったかもしれず、椿の少しできた心の余裕はすぐに恥ずかしさで埋まってしまいました。 「そういやそうだな、美緒も親父に似たようなこと言ってたっけ」 「あの時は緊張したなぁ、椿ちゃんの気持ちすっごくわかる」 そう言ってもらえると椿も何だか気が安らいで、また少し心に余裕ができました。 「まぁなんだ、椿…ちゃん、だっけ? 立ち話もなんだし、中に入ってお茶でも、」 「あ、ダメダメ、椿ちゃん忙しいの」 「むっ、それは残念」 「ゴメンね椿ちゃん、結局あたしたちまで引き止めちゃったわね」 椿は謙遜の意味で顔を横に振りました。 「剛さん明後日までウチにいるから、」 「相談したいことがあったらいつでも聞きに来なさいッ」 「…はい」 剛は、美緒から『剛さんったら』と軽く一発、花火から『変態オヤヂ』と強烈な一発をもらいました。それでも椿はしっかりと、小声ながらも明確な声で返事をしました。 「花火、椿ちゃん家まで送ってあげなさい」 「ん」 本当は面倒でイヤな花火ですが、椿と一緒に過ごせる時間が少しでも長くなるのならそちらを選びたいのです。 剛と美緒が帰ったのと入れ替わりに、今度は花火と椿が家を出ました。 「名前…」 「ん?」 「花火くんのお母さんの名前、初めて聞いた…」 「へ? そなん?」 椿はこくっとうなずきました。まさかそんなことはないだろうと花火は考えあぐねて、 「今朝テレビでおとんが言うてへんかった?」 「ん…。覚えて、ない…」 「あれー、なんか言うとった気がしたんやけどなぁ…」 正直言うと花火もちゃんと見ていたわけではないので、あまり覚えていないのです。椿はテレビ画面こそ見てはいましたが、前述した通りの驚きの連発の真っ最中だったので、見たもの聞いたものの記憶が定かではないのです。確かに朝のテレビ出演の時に剛は美緒の名前を呼んでいましたが、それを覚えているのはどうやら美緒本人だけのようです。 「私のお母さんの名前、梨緒っていうの」 「へー、似とるんやなぁ」 椿はこくっとうなずきました。 「名前も似とるし、まぁ椿のおかんには到底及ばへんとは思うけど、ウチのんをおかん代わりにしたってもええで」 椿は微笑みながらこくっとうなずきました。きっと椿も、将来はそのつもりでいるのだと思います。 やがて、冬矢家に到着しました。 「またな」 「うん。また」 二人は小さく手を振り合って、椿は家の中に入りました。ひとりになった花火は、寒い寒い夜風に当たりながら、ひとり寂しく我が家目指して歩き出しました。 途中、花火はおもむろに積もっている雪山に手を突っ込んで、中で手をギュッと握って手を出し、小さな雪玉を作りました。それを手のスナップだけで上に放り投げて、それが落ちてきて、 花火の脳天に直撃して痛そうにしていました。 [ 冬の空と雪椿 第七節 ] [ 戻る ] |