| 冬の空と雪椿 第八節 筆者:レート ボーン…。 『百八つの除夜の鐘が、年の暮れを象徴しております』 ボーン…。 『今年も残すところ、あとわずかとなって参りました』 ボーン…。 『今年はここ、○○県の○○寺にて―』 申し訳程度に部屋の隅に置かれたテレビから、毎年恒例の年越し番組のアナウンサーの声が聞こえてきます。零時近い深夜にも関わらず、数多くの参拝者が寺に向かって登山しています。 「ぼーん」 ベッドに倒れ込んで頭の後ろで手を組み、あからさまに脱力しているジャージ姿の花火は、うまくタイミングを合わせて鐘の音を擬声してみました。しかし、 ボーン…。 外れました。 「…フッ」 不敵な笑みを浮かべた顔を少し右に向けると、用意してあったストローをくわえてズズズとオレンジジュースをすすりました。野戦用に美緒が買ってきておいた500mlのパックジュースを、寝たままでも飲めるようにセッティングしておいたのです。家では徹底的に自堕落な花火です、自堕落のためなら面倒を惜しみません。 ボーン…。 美緒は美緒でこちらも毎年恒例、お友達との年越し旅行に出かけています。北海道に越してからは毎年欠かさず行っている大切な行事だ、と美緒は力説するのですが、やっぱり花火には道楽としか思えませんでした。さすがにもう慣れっこです。 ボーン…。 椿はと言いますれば、本当なら一緒に年を越したいところですが、こんな夜遅くまで女の子を置いておくのもまだアレだし、何より帰りの夜道が危険だし、あっちのご家族のこともあるし、かと言って花火があちらに出向く勇気もありません。そういうわけで、今年もやっぱり花火独りの年越しに相成ったのです。 ボーン…。 「ぼーん」 今度は当たりました。ヨシャとガッツポーズ、ジュースをズズズとすすり、そして空しくなりました。 ついさっきまで、テレビでは演歌歌手や若い女性グループ歌手やド派手な衣装の人らがこぞって美声を披露していたのですが、気付けばそれも終わり、今の番組に移っていました。独りで無音の中ぼんやりしているのがあまりにしんどかったので、紛らわしのためにテレビを点けているのです。いつもならテレビなんて見ずにさっさと寝てしまうのですが、何故か今年は目が冴えて眠れず、しかも何だか無性に寂しくて堪りません。 「はぁ…」 おっと、花火が珍しく溜め息をつきました。 「椿ぃ…」 花火の頭の中は今、もんもんと椿でいっぱいでした。 椿がいない日を過ごすというのは、まさか今に始まった話ではありません。それこそまだ、一緒に過ごした時間よりもそうでない時間の方が長いのです。恋の病に陥っているでもない花火は、椿がいなくてもそれほど寂しいと感じたことはなかったのですが…。何故か、何故か今日に限っては、無性に椿に会いたくて仕方がありません。今まで何気なく過ごしてきた年越しも、椿と知り合ったことによって、独りぼっちの寂しさというものを強く感じるようになったのかもしれません。椿が栃木に一時転居していた去年の大晦日ですら、こんな思いには駆られませんでした。 「椿ぃ〜」 抱き枕のように布団をガッシリと抱きしめて、ジュースに頭をぶつけないように気を遣いながらゴロゴロと悶え出しました。 ボーン…。 「む」 煩悩を打ち鳴らされたような気がして、我に帰った花火は抱きしめをゆるめて動きを止めました。でもでも、さしもの除夜の鐘でもこの思いは止められません。椿に会いたくて会いたくて、勇気を出して今から冬矢家に突撃しようかとも思いましたが、外が寒そうなのでやめました。意外にモロい決意です。せめて声だけでも、どうせ起きとるやろーし、と電話を掛けようかとも思いましたが、また弟の太陽が出たら怖いのでやめました。案外脆弱な決意です。 んぁあー椿に会いたいー声が聞きたいー抱きしめたいーなんなんやこの気持ちはーズズズんぁあー。 気持ちとは裏腹に行動に出ない花火が謎でなりませんが、確かにどちらにしろ今このタイミングで椿に接触を計るのは家の人に迷惑になるだろうし、やはり花火は大人しく独りで年越しする他ないのです。 「はぁ…」 ボーン…。 鐘の音と溜め息が重なって、花火はより一層の寂寥感に沈みました。 「…」 寂しさも、通り過ぎれば眠気になる。とは花火の言葉ですが…。 「…」 もうこれ以上独りで変な思いにグルグルと苛まれるのが嫌になり、脳がそれを自動的に判断して、眠気光線を放ち始めました。眠ってしまえばそんなもの忘れてしまうぞと悪魔が言っています。でも天使は寂しくても離れていても一緒に年を越せるじゃないかと言っています。 無論、軍配は悪魔に上がったわけで― プッ。プッ。プッ。ボーン…。 『明けまして、おめでとうございます。今年もまた―』 ZZZzzz... ピンポーン。 「ZZZzzz...」 ピンポーン。 「zzz...」 ピンポンピンポーン。 「...」 ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポンピンポ 「んぬぁー!」 悪魔のささやきによって得た快適な爆睡を阻害された花火は、寝ぼけ眼の怒り心頭で階下に走り降り、目の前の玄関を勢い任せに開け ゴン。 「あ」 やってもーた、と花火は思いました。寝ぼけも怒りも一気に醒めました。何だか物凄く見覚えのあるワンシーンです。 「す、すんまへん、ヘーキで―」 「…うぅ…」 玄関を開けた先には、右手でおでこを押さえて今にも泣き出しそうな顔の耳当て少女がいました。 「ぎょ!?」 「痛い…」 昨晩から心底会いたかった人に出会えた感動と興奮と、その人に無礼で無思慮で全力なドアアタックをかましてしまった仰天と焦燥で、年明け早々花火は初混乱していました。 「うわわわっ! つ、椿、だいじょぶか? 怪我してへんか? 頭くらくらせぇへんか? ほんまゴメンな、あぁおでこ当たってもーたんか、おーよしよし痛ない痛ない、ワイほんまアホやなぁ、椿もそう思うやろ、堪忍してな、うわ痛そうやなーこない赤なってもうて、ほんっまにゴメンな、あ、寒いやろ、気ィ利かんで悪いな、あー人様んちの娘に怪我させてまうなんて、ワイってやつぁ、」 止まらないマシンガントークとともに一連の動作を済ませ、気付けば二人は玄関で密着していました。そういう意図があったわけではないのですが、花火が混乱と心配のあまり、気付かずにベッタリなのです。椿はもう痛みよりもマシンガンとベッタリに意識が回って逆に大混乱です。 「あ、あの…」 「ん? 痛むん? 氷持ってこよか?」 「そ…じゃなくて…」 少しでも顔を右に向ければ花火の顔が目前に迫る距離にあるため、脈打つ鼓動が言語野を麻痺させ、言葉がノドを通りません。それどころか、顔が真っ赤になって熱くなり、俯いてしまいます。ぶつけた所が心配でしょうがない花火は、そんな椿の変化に気付いていません。 横からとはいえ、密着しています。身体と身体が服を通して接しています。さらには顔もこんなに近付けて、あぁもう椿にとってこんな毒なことはありません。離れて欲しいと言いたいのだけど、緊張と恥ずかしさのあまり喋ることができません。―でも本当は、心のどこかでこのままでいて欲しいと望んでいて、その気持ちが喋ることを躊躇わせているのかもしれません。このバクバクの鼓動が、花火くんに聞こえていませんように…。祈る椿を尻目に、花火はベッタリのまま離れようとしません。 「は…なび、くん…」 「あ…。やっぱ、怒っとる?」 「え? ―あっ、あの、そう、じゃ…」 滅相もないことを聞かれた椿はつい花火の方に顔を向けてしまい、ド真ん前に来た花火フェイスにびっくりして恥ずかし度はさらにヒートアップ、頭の中が真っ白になって、何を言おうとしていたかわからなくなってしまいました。 「顔赤なっとるで、痛いんとちゃうの?」 「ここ、これは、ち、ちが、」 「―血が? 血ィ出とんの!? どこや見してみ!」 わぁわぁ、花火の勘違いがどんどんエスカレートしていきます。花火自身の手で椿のおでこに触っているのだから、血なんか出ていないのは一目瞭然なのですけれど。恋ならぬ心配は盲目? 「も、もう、だいじょぶ、だからっ」 「でもさっき血ィ出とるて!」 「で、出てないから、平気…」 「ほんまに? ほんまに平気なんか?」 椿はこくこくとうなずきました。 「ほな、許してくれはる?」 椿はこくこくとうなずきました。 「うわぁ〜えがったぁ〜、おおきにぃ〜」 横ベッタリから横抱きつきに変わり、身体の密着表面積も増して椿のドキドキはいよいよ最高潮です。でも、この椿ゴッツン事件は無事解決したのだし、これでやっと花火も離れて、 「…」 「…」 一安心、 「…」 「…」 できないみたいです。 「あ、あの…」 「ん? やっぱ痛むん?」 椿はぷるぷると小さく顔を横に振りました。 「中…、入ろ…?」 「んぁあ、せやな」 言いながら、花火は動こうとしません。 「…ねぇ…」 「まぁ、正月やし、焦らんでもええやろ」 そういう問題じゃないのに…と椿は困窮していました。 「なんやろな。このまま、動きとうないんよ」 また困ったことを言うのでどうしたもんかとあっぷあっぷな頭で考えていると、 「それとも、椿…ヤなん?」 エエエエエ、と椿は脳内で悲鳴を上げていました。良いとか嫌とかそういう問題じゃないって言ってる(頭の中で)のに、でもここで嫌って言ったら花火くん悲しんじゃうのかな、私だって嫌なのかそうじゃないのか気持ちがハッキリしてないのに、そんな、私、どうしたら…。 目一杯考えた椿は、とりあえず首を横に振っておきました。 「そか」 形式的には許可が出たので、花火はベッタリを延長することにしました。首を振ってしまってから後悔した椿は、もう少しちゃんと考えてから行動すべきだったと反省点を反復して、 「…寂しいもんやな。独りって」 花火がいつもと違った感じで、声のトーンを落として話し始めました。椿もその変化に気付いて、未だ混乱しつつもそちらに耳を傾けました。 「昨日の夜な…、めっちゃ寂しかってん。おかんもおらん、椿もおらん。そんなん、いつものことやってんけどなぁ…。無性に椿に会いたなって、椿んち乗り込んだろ、電話したろって、色々考えたんやけど…迷惑やからな。さっさと寝てもーた」 花火は抱きしめ直すように抱擁力を少し強めました。花火の方が身長が高いので、頬を椿の頭の横っちょ辺りに寄せて、もうベッタリではなく完全な抱きしめになっています。ここまで堂々とされると、椿は開き直る他に逃げ道がありません。…まぁ、それでは逃げになっていないのですが。 「―ええやろ? もうちょい、このままで」 椿は小さくこくっとうなずきました。こうも開けっ広げに求愛されてしまっては、ハートが揺らがないわけがありません。さっきまではどっちつかずで悩んでいたけれど、まだ少し恥ずかしいけれど、受け入れることにしました。 会いたかったのは、椿だって同じです。でも、花火がこんなにも素直に自分の気持ちを曝け出すなんて珍しいことだし、こんな風に積極的な行動は滅多にないことだし、何より椿にとって、花火が自分と同じ思いだったことを知り、互いを求め合っているのだとわかって、なんだかすごく胸が熱くなるのです。恥ずかしがってる場合じゃない。花火の実直な思いを、受け入れてあげなくちゃ…。 椿は勇気を出して正面に向き直ろうと考えましたが、不思議にも何故だかこの"横から"が心地よいのでこのままでいることにしました。見える位置にありながらあえて見ない花火の顔がそばにあると思うと、くすぐったいような恥ずかしさがやってきます。右腕の上腕辺りが花火の左胸に当たって、かすかに鼓動が伝わってきます。触れ合わなければ伝わらない、花火の脈動が。 恥ずかしさも、通り過ぎれば幸せになる。とは椿の言葉ですが…。 「椿」 呼ばれて、椿は横に向きました。花火の顔が目の前にあっても、もう目線は逸らしません。ただじっと、花火の目を見つめます。花火も、椿の目を見つめています。少しの間そうして、だんだんと、じんわりと、二人の唇が― 「―プッ」 「ほ?」 いきなりのことでした。椿が耐えかねたように吹いて笑い、反対を向いて右手で口を押さえて笑いを堪えています。ロマンチックなムードが突如、まさか椿の手で破られるとは思わなんだ花火は、一体全体何が何だかチンプンカンプンです。もしやこれは夢の続きなんじゃとか、この椿はじつは偽者なんじゃないかとか、いや偽者がこんなかわいいはずがないだとか、そうこれはきっと事件に巻き込まれたんだとか、あることないこと様々なケースを想定しますが、どれもイマイチしっくりきません。しっくりくる方が凄いのですけど。 「つ…、椿?」 「ご、ごめっ…ッ」 謝りながら振り返った椿は、笑いがぶり返してまた反対を向きました。自分の顔がおかしくて笑われているのかもしれないことに気付いた花火は、そのことに対して怒る気持ちよりも、何がおかしいのか気になっていました。 「なっ、ど、どしたん? ワイの顔、なんやおかしなとこあるん?」 何か言おうとする椿ですが、まだ笑いが収まりません。椿が笑えば笑うほど狼狽していく花火です。 やっと椿の笑いが収まって、またぶり返さないようにそっと振り向きました。じっとまっすぐ目を見てしまうとぶり返すこと必至なので、ほのかに目線を逸らしながら、です。 「怒…らない?」 「んぁあ、怒らへんよ」 あれだけ笑っておいて怒るも怒らないもないと思うのですが…。 「…はな…」 「え? なんやて?」 「…鼻毛…」 沈黙が、周囲の空気を占領しました。 言ってしまった、と恥じらいと興奮とぶり返しを堪えて俯く椿は、しかし硬直した花火の腕中にいるため逃げ出すこともできず、半ば生殺しのような実況です。 そのまましばらく、双方とも動くに動けない時間が続きました。周りは静かで、雪も降らず車の走行音も聞こえない、邪魔されることのない、二人っきりの時間でした。今という状況でなければ、素敵な雰囲気でしたのに。 突如、花火が動き出しました。否、走り出しました。椿から手を離し、廊下を抜けて一気に洗面所に駆け込んだのです。ガチャバタン、とドアの開け閉めの音がした後、何とも言えない悲痛な沈黙が帰ってきました。瞬く間の出来事に、椿の目は点になっていました。 少しして、カチャリ、パタン、と弱々しい音が聞こえました。気持ち猫背な花火がよたよたと力なく、はにかんでいるようなないような微妙な表情で歩いてきます。この感じ、まるでケンカ別れの後の仲直り寸前のカップルのぎくしゃくにも似ています。 椿の目の前、玄関の上で立ち止まりました。思い返してみると、さっきまで花火は裸足で玄関に降りていたのですね。少しならまだしも、軽く一分以上は素足でいたのですから、普通は気付くと思うのですけれど…。 なんとも言えないぎこちないムードの中、照れ隠しに花火が後頭部をポリポリ掻くと、連鎖的に椿も照れ笑いをしました。その反応で空気がやわらぎ安心した花火は表情を崩してこちらも照れ笑い、あぁなんという初々しさでしょう、見ているこっちまで照れてしまいそうです。 「もう…出てへん、よな?」 軽く視線を横に流しながら、人差し指の背で鼻を擦る"見えなそうで見える隠し"な仕草をしました。 「―うん」 ぶり返さずにちゃんと確認できた椿は、こくっとうなずきました。 「ん」 今度は本気で鼻をぐしぐし擦り、締めにグスッと一すすりして、まだ互いに照れが残る椿と目線を合わせました。周りは静かで、雪も降らず車の走行音も聞こえない、邪魔されることのない、二人っきりの時間でした。 「明けまして…おめでと」 「こちらこそ、おめっとさん」 これでもう、わだかまりは完全になくなりました。いつもの花火と、いつもの椿です。 椿は左手に持っていた大きな風呂敷包みの四角い何かを玄関にゴトンと降ろすと、一緒に持っていたバッグからある物を取り出し、花火に差し出しました。 「ゆーびんですっ」 「…あぁ、年賀状?」 花火は丁寧に差し出された年賀状を受け取りながら、 「なんや、また手渡しかいな」 去年と同じことをやらかしてくれたので、椿のそんなユーモラスに嬉しさとおもしろさを感じて花火ははははと笑いました。狙い通り花火がウケてくれたので椿も喜んでいます。 「すまへんな、ワイ筆生姜やから年賀状書けんくて」 「…筆、不精?」 「そそ、それや」 椿はやわらかに微笑んだ後、小さく首を横に振って、 「気にしないで」 「おーきに」 花火が最後に年賀状を出したのはいつだったでしょうか。本人が記憶する限りでは、小学二年生の時の担任に宛てて以来です。ノリが良くてギャグセンスも光っていたので、花火的にはツボな先生だったそうです。年賀状を出さない理由はただ単に面倒なだけだとか。実際、椿とはこうして会えますしね。 ゴッツン事件も収束を遂げ、ようやく椿は玄関に上がることができました。リビングに招かれた椿はテーブルチェアに座り、花火はバタバタと忙しなく動いていました。どうやらお茶を煎れようとしているみたいです。 「あ、花火くん、別に―」 「いやいやちゃうんよ、ワイが飲むねん。ついでに椿もどや?」 椿に気を遣わせないための花火のささやかな思いやり、だったのですが、 「じゃあ、私、やるから…」 「な〜に言うとんの、椿は客やねんからおとなしゅうしときぃや」 椅子から立ち上がろうとした椿を、やさしく肩をポンと叩いて抑えました。そこまで言うのなら、と椿は諦め、さしずめ花火のお手並み拝見に興じることにしました。 今時分風流というか古風というか、ヤカンでお湯を沸かそうとしている花火ですが、厳しい採点をすると、茶を出すのにお客を待たせてはいけません。最低でも電気ポットで常に沸騰した湯を張っておくべきです。客の来訪が予定されているのなら尚更…なんて、椿が訪れるその時まで爆睡していた花火にそんな期待を寄せるのはかわいそうなので、ここはあたたかく見守ることにしました。 コンロにヤカンをセット、点火してじっくり待つことしばし、ぐつぐつピーと湯が沸きました。用意しておいた茶葉の入った急須に危なっかしい手つきで湯を注ぎ、移した湯呑みを盆にも載せず手掴みで二つ食卓に持ってきました。手掴みなんて礼儀作法では言語道断、失礼極まりない行為です…が、花火くんがやると愛嬌があって許せちゃう、とおのろけを決め込む椿でした。 「おまたー、せっ」 椿の前に丁寧とは言えないながらもそっと湯呑みを置き、椿が軽くお辞儀しました。対面の席に自分の湯呑みを置いて花火が座りました。 「ちと熱いかもわからんけど。あ、味は期待せんでな、安茶やから」 お茶は質よりも煎れ方が重要なのだ、と訴えたい椿ですが、ともあれまずは飲んでみることにしました。少しフーフーして冷ましてから、ズッと静かに一すすり。自分が煎れた茶の味が如何なものか気になりまくりの花火は凄い強面で椿に熱視線を送りまくり、反応を待っていました。椿としては、そんなに熱い目で見られると反応しにくいのですが…。 「おいしい」 「おぉ、そか! あ〜えがった、よしゃワイも飲んでみたろ」 花火もズズズと飲んで口内で軽くテイスティング、うんうんと自己満足しながらさらにズズズ。 おいしい、とは言いましたが、正直な感想は普通のお茶でした。どちらかと言えばおいしいというだけで…。でも、花火くんが煎れてくれたお茶なら、と云々。 「んで、どする?」 「?」 「行くんやろ? 初詣」 「あ、」 椿はこくっとうなずきました。 「この前あんなんやったし、遅めに行った方がええと思うんやけど」 賛同して、またこくっとうなずきました。 「花火くん、朝ご飯は…?」 「ん?」 訊かれて、そういや今何時やろ、と時計に目をやりました。正午をわずかに過ぎた頃、なるほど考えてみればお腹が空いているわけです。 「食ってへんよ。さっき起きたんやもん」 「じゃあ…」 ちょっぴり嬉しそうな顔の椿は、テーブルの上にドカリと置いた四角形風呂敷を解いて、中身を大公開しました。黒光りした漆の輝きが眩しい、三段重ねの重箱です。今日という日にこれを見て『うな重』と答える人はさすがにいないでしょう。 「おぉ! 今年も作ってきてくれたんや、うわぁ〜助かるわぁ〜、恩に着るでほんま」 花火の反応に素直に喜びながら、いえいえどういたしましての意味で首を横に振りました。少しだけじらす"タメ"を置いた後、最上段のフタを開け、次々に開段していきました。色とりどりの華やかな食材が、重箱の中に所狭しと敷き詰められています。空腹で食いしん坊な花火が見たら、もう垂涎間違いナシですね。ほら、子供みたいに目をキラキラさせていますよ? 「ほ、ほんまに食ってええのん?」 椿はこくっとうなずき、 「花火くんのために、作ったんだから…」 思い切って言うと、花火も喜んで笑顔をつくりました。 「ほないただきまーすっ」 めしあがれ、椿が言うに時同じくして箸は花火の手で蹂躙され、捕虜と化していました。鋭利なもので肢体を削がれ、否応にも人様を挟む無礼に加担させられると思うと、わずか箸ながら悲壮に打ちひしがれました。無論花火は知ったこっちゃなく、早々に迷い箸の無礼を振り撒きます。これだけ豪華絢爛の食材が腰を据えていれば、気持ちはわからないでもないですが。 「花火くんっ」 いい加減はしたなかったので椿が促すと、花火はさっとかまぼこを捕虜で突いて口に放り込みました。もぐもぐ噛んでごっくん嚥下、 「んまい!」 花火の太鼓判に、椿は嬉しさに溢れてちゃぶ台を思いっ切りひっくり返したいくらいでした。 「でもまさか、かまぼこは買うたんやろ?」 「え?」 「…え?」 今のはぬか喜びだったんだろうか、じゃなくて花火は誤解をしている、さぁ釈明です。 「いや、あの、椿を疑うわけやないねんけど…。完ッ全な手作りなん?」 椿は不満そうな自慢げそうな顔でこくっとうなずきました。 「この容器以外、全部?」 変わらぬ表情でうなずきました。改めて、椿の世話焼きっぷりと偉大さに驚嘆する花火です。だって、椿一人でこの量ですよ? 気軽に早起きしてお弁当二人分ランラン、なんて比ではありません。一歩間違えれば三人分はあるし、小学校の運動会に持ってきても三人家族なら十分に足り得る量です。それをほとんど一人で食べ尽くしてしまう花火も花火ですが、嫌な気一つ起こさずにせっせとこさえてしまう椿の熱い胸中たるや、見ているこっちが恥ずかしくなるほどです。 正直、花火はちょっとぐらい既製品が入っていると思っていました。料理をしない花火でも、この量をたった一人で全て手作りしたとはにわかに信じがたいのです。物によっては一朝一夕ではこしらえられないのもあれば、種類の豊富さ故に調理法も画一的ではありません。でも、その疑念よりも数倍、いや数十倍、椿がウソをついてるなんて思えません。むしろ、ワイなんかのためにここまで、と椿のやさしさを全面に受け止め、幸せ感にほわほわしているのです。 「―ほんまに、ありがとな」 下心も脚色も誇張もない正味の言葉を受けた椿は、心がキュッとなって顔を赤らめ、うつむかせました。表情は、微笑みでした。花火はさっさとガツガツし始めてしまいましたが。 時折椿もつまみながら、新春ガツガツ大会は進んでいました。 「花火くんの、お母さんは…?」 「いつものお出かけ。息子ほっぽってどこ行ってんやろな」 美緒の行動は椿にも理解できませんが、あの人なら平然とやるだろうな、とも思います。 漆器を持ってかき込むようにおせちを食べる人は初めて見ましたが、そんな暴食花火を、椿はほんわか微笑み眺めていました。料理が好きとはいえ今回は結構な苦労を要しましたし、自分が作った物をおいしく食べてもらえるのは何度味わっても幸せなことです。 「花火くん」 「ぐも?」 口内が満杯なのに喋るから何を言っているのかわかりません。 「おいしい?」 「ぐもぐも」 大きくうなずきながら花火が唸りました。もとい、言いました。椿は嬉しさのあまりテーブルを蹴り上げてオーバーヘッドキックをキメました。もとい、気分になりました。 まだたっぷりある残りを一気に箸でガガガとかき込んで、十分に大きくなった口をさらに大きくして一口でペロリと平らげてしまいました。もう咀嚼できないんじゃないかってぐらい口をパンパンにして、そしてやっぱりお約束、 「―っ!! 〜っ! 〜〜〜っ!」 喉に詰まらせました。やすし師匠よろしくあたふたしている花火に少し笑ってしまう椿でしたが、おっと当人本気です、それどころではありません。花火の分のお茶は切れているようなので咄嗟に自分の湯呑みを渡して、渡してから"間接キッス"などと余計な単語が脳裏をよぎって赤面する椿です。 「っだはー!」 お茶を流し込んで無理やり嚥下、間一髪奇跡の脱出に成功したアメリカンな花火をよそに、椿は花火の飲み口がどこだったか気になって目もくれません。こんな苦しい思いをした直後なのに椿は花火が握っている湯呑みをじろじろ見ているし、まるで自分だけが海に溺れていたような気分です。 「…椿?」 「へ?」 花火に呼ばれて我に帰り、視線を上げて疲弊明けの花火の顔を見てハッと思い出し、 「あ…、大丈夫?」 「ワイは平気やけど、椿さっき、どこ見とったん?」 「え…」 まさか『湯呑みの飲み口』だなんて言えるはずもなく、少し視線を泳がせてから言いました。 「湯呑みの、銘柄を…」 「…はい?」 クリスマスほどではないけれど、やっぱりルンルン気分の椿です。ド農道のド真ん中を歩く二人だけの今なら、恥ずかしがらずに好きなだけはしゃげるのです。ややステップ気味の歩調と晴れやかな微笑みの組み合わせは、あまり見ることのない"ルンルン椿"の証です。 「どないな祈願すんの?」 「…言ったら、意味ないよ」 「気になるやぁん」 「じゃあ、花火くんは…?」 「決まっとるやろ。働かんでも飯食えて、遊んで暮らせるぐらいの大金持ちになることや!」 …あちゃー。 「…」 「…」 「…」 「…」 「…言っちゃったら、叶わないよ…?」 「―あぁ! しもたーっ!」 大げさに頭を抱えてうあ〜っと唸る花火の狙ってるんだか素なんだかわからないボケに、椿はクスクスと笑いました。 「―お金に困らない生活なんて、つまんないと思う」 ちょっとしんみりした感じで椿が言います。 「お金なんかなくても、幸せなら、いいの…」 唸った状態のまま聞き入れた花火はピタッと静止、したかと思えばフッと息を吐いてやわらかな表情になり、肩の力を抜く感じで腕を降ろして普通の姿勢に戻りました。 「せやなぁ」 目線を前の方に向けたまま言いました。かと思えば椿に顔を向けて、 「金はのうても、愛があるもんな」 言われた椿は胸から上全部を使って飛び跳ねるように驚いて、瞬く間に顔をゆでだこにしました。まるで爆発したみたいです。 「わちゃ、へと、そ、あの、わわ、わた、」 「なははは、照れ過ぎやてー」 花火が頭をポンポンと叩くと、グゥの音を一つ鳴らしてゆでだこのまま消沈する椿でした。ものすっごく恥ずかしいけれど、本音の気持ちはものすっごく嬉しくて、そのどっちもが一気に椿のハートに押し寄せてきたせいで頭の中は大混乱。 ああもう、そんな恥ずかしい言葉、ちっともためらわずに言うんだから…。ちょっとぐらいためらってくれないと、ああもう、心臓バクバク…。 純な椿は、花火の軽いおふざけ一つでメロメロになってしまうほどウブなのです。最も熱い意味での"愛"なんて言葉はドラマぐらいでしか聞いたことがなかったし、いやまぁ確かに言いだしっぺは椿ですけれど、花火の口からあんな返答が来るとは思ってもみませんでした。花火の言葉が脳内で反芻して、自問自答を繰り返します、冗談なんだろうか、それとも本気だったんだろうか、そんな思考を巡らせていたら、ますます顔が赤くなってしまいました。それがまたかわいおもしろくて、花火はハハハと笑いました。 それから少し歩いた頃、まだ顔を赤くしている椿は、うつむいた顔を上げ、少し前を歩く花火に思い切って声を掛けました。 「花火くんっ」 「んぁ?」 ダメだ、目を見て話そうと思ったけど、恥ずかしくて…。 「あ、あの…、あのねっ」 「なんや?」 うぅ、普通の反応されると逆に緊張しちゃうよぉ…。それでも椿は勇気を出して、花火の隣に並びました。ちょっぴり俯かせた顔から上目遣いで花火を見て、すぐに視線は外してしまいましたが、椿の熱い意思は固まっていました。 「…手…」 「テ?」 「…握っても、いい…?」 少しだけ耳をそばだてていた花火は、顔を離して椿の顔を覗き込むように見た後、プッと笑いました。何もおかしいこと言ってないのに、と慌てる椿です。 「お前って変な子やなぁ」 「エッ!?」 笑われた挙句変な子呼ばわりされて、怒るどころか嫌われてしまうんじゃないかと動転してしまう椿でしたが、 「イヴん時、手ェつないできたん椿やろ?」 「…え? え?」 あの時バッチリ椿の方から花火の手を握っていたのですが、当人はテンションが高かったために細かいことは覚えていないようで、まさか私がそんなことするはずないって顔です。 「なんや、覚えてへんの?」 「だって、私がそんな、大胆なこと…」 花火はまたフッと笑って、 「まぁええわ、」 椿の手をガシッと握りました。 「わっ」 「手ぐらいナンボでも握ったるで」 花火らしい突然の行動でしたが、椿は素直に嬉しくて、そっとやさしく握り返しました。照れながらも微笑みながら上目遣いに花火を見ると目線が合って、すると今度は花火が照れて目線を逸らしてしまいました。椿からしたら自然な仕草でも、花火からすれば思わずドキッとしてしまうような仕草だったに違いありません。―ほら、花火の顔も真っ赤です。 「遅く来て正解やったな」 椿はこくっとうなずきました。 昨年も訪れたこの神社に、今年も二人で訪れることができました。前回はピーク時に来たせいで散々な目に遭ったけれど、今回は花火の提案のおかげで人込みもなく、ゆっくりと初詣を済ませられそうです。 「よぉ考えたら、去年来た時て結局お参りせぇへんかったんよなぁ」 椿は小さくあっと言って、 「それも、そだね」 クスッと笑いました。 「ゆぅことは、ワイは二年分のお願いができるんやな!」 「…欲張りは、罰当たりの始まり」 「うっ…」 たった一言で撃墜されてしまいました。 「ってか、そないなこと言うたらワイ何年分溜まっとんねんって話やで」 「いつぶり…?」 「ん〜…。少なくとも、高校入ってからは来てへんな」 「じゃあ、四回分できるね」 「めっちゃ罰当たるやんけ」 二人してあははと笑いました。 ほとんど待たずにお参りの順番が回ってきました。お賽銭は値段はいくらでもよくて、でも自分の財布から出したお金の方がご利益があると誰かが言っていたので、それに倣って二人とも小銭を取り出しました。花火は十円、椿は十五円。 「なんや? そのビッミョーな五円」 「ご縁が、ありますように…って」 「あぁーなるほどなぁ、ワイもそしよ」 花火も同じく五円玉を取り出して、お賽銭を投げ込みました。偶然にも二人一緒に投げてしまい、一緒にあっと言ってお互いに見合いながらやや照れ、そのままの勢いで一緒に鈴を鳴らし、揃って拍手を二回打ちました。 「で椿、なんてお願いしたん?」 「い、言えないよっ」 「ええやんかー、ご利益なんか減りゃせんて」 「だめ」 「ブゥー」 だって、あんな恥ずかしい願い事、誰にも言えるわけがないもの。 花火くんと、ずっと―なんて。 帰り際に引いた百円おみくじは、椿が大吉で、花火はやっぱりお約束、凶でした。 [ 冬の空と雪椿 第九節 ] [ 戻る ] |