っていうか正義が勝つ

「お〜い、タ〜キィ〜」
田植えをしていると、背後から名前を呼ばれた。
「あっ、リリ」
振り返ると、僕と同じような農作業着にエプロンを纏った少女が手を振っていた。
「お昼ご飯できたから、早く上がんなよぉ〜」
「うん、この列が終わったら行くよ」
リリは笑顔で頷くと、踵を返してスキップ気味に去っていった。
この列が終われば、お昼に有り付ける。
あぁ、お腹が空いた。
早くリリの手料理が食べたい。
みんなと一緒に食べるお昼は、特別おいしいんだ。

ここは、何の変哲もない、ごく普通の小さな農村。
細々と、決して豊かではないけれど、みんな元気に楽しくやっている。
僕―タキも、その農民の一人。
周りを緑生い茂る山々に囲まれ、広大な畑の中、あたたかい陽光の下で、大好きな農作業をしている。
それだけで、僕は十分に幸せだった。
この生活さえあれば、他には何も要らない。
平凡な毎日を送っている今こそが、何よりの幸せなのだ。
流行り病で両親を亡くして我を失った時は、村のみんなが必死に励ましてくれた。
嵐で畑がメチャクチャになった時は、村のみんなで協力し合った。
誰かの子供が産まれたら、それはみんなにとっても子供で、みんなでお祝いをする。
そんな村のみんなが、大好きだった。
かけがえのない、家族。
切っても切れない、絆。
こんな生活が、ずっと続けばいいと思う。
辛いことや悲しいこと、楽しいことや嬉しいことも、みんなで分かち合っていきたいと思う。
こんな生活を、ずっと続けたいと思う。
そして、僕が元服を迎え、一人前の男になった時。
僕は、彼女と―

ドガーン!
「!」
背後から、大地を揺るがす程の凄まじい爆音が鳴り響いた。
振り返ると、わずか向こう、村の上空に、禍々しいまでの黒煙が上がっていた。
頭が、真っ白になった。
背筋が凍って、刹那、目の前が真っ暗になって倒れそうになる。
何が起きているのか、理解できなかった。
目の前で起きていることは夢か幻か、現実のものとすら受け取れなかった。
現実だと思いたくなかった。
黒煙の勢いは強まり、火の手が上がっている。
手にしていた苗や農具は手から滑り落ち、ただ呆然と、その惨景を見ていた。
もう、何も考えられないでいた。
両親を亡くした時のそれとは比べ物にならない、何もない状態。
突然、頭の中で、村のみんなとの思い出が溢れ出てきた。
ニッカーさんのお話しの最中に寝てしまって、後でこっぴどく叱られたこと。
ジェムズ村長が酔った勢いで全裸で大暴れして、村会議で議題に挙がってしまったこと。
キエリさん夫婦に子供が産まれて、商人の仕事を継がせようとやる気満々だったこと。
リリが―
「…リリ…?」
笑顔で村に戻っていった少女の顔が、蘇る。
その顔が、燻されるように周囲から燃えてゆく。
なくなってゆく。
消えてゆく―。
「リリっ!」
気が付いた時には、走っていた。
体力の限界などという諦めの口実を捨て、我武者羅に走っていた。
運動の妨げとなる農作業着を脱ぎ捨て、軽装で走っていた。
溢れ出る汗、乾く喉、棒のような足、そんなものはどうでもよかった。
あの時、何故一緒に村に戻らなかったのか。
何故一人で帰してしまったのか。
口に出してはいないけれど、君を守るだなんて、上辺だけの奇麗事だったのか。
自責の念を感じながらも、感じる余力があるのなら、それら全てを走ることに傾注させる。
両親のいない僕にとって、村のみんなは兄弟であり親であり、支えだった。
彼女がいなくなったら、僕は…
「タキっ!」
叫び声が聞こえた。
あの声は、間違いなかった。
「リリ!?」
立ち止まって辺りを見回すと、左側にずっと続いていた林の中から、リリが走ってきた。
僕の胸にしがみ付くように立ち止まると、ぐしゃぐしゃに泣き崩れた顔で見上げた。
「みんな、みんな死んじゃうよ…!」
悲痛な、声にならない声で、僕に訴えた。
「助けて、みんなを、助けて…!」
「…ッ」
諦めていたのは、僕の方だったのかもしれない。
「どこか、安全な所に隠れててっ!」
「え…?」
胸を締め付けられるような気持ちに駆られ、村に向かって体力を絞り、駆け出した。
リリさえいれば、そう思っていた自分が確かにいた。
そんな、どこまでも愚かな自分が恥ずかしくて、自害したくなった。
あの黒煙の中、助けを求めている人が、兄弟が、親が、いるかもしれないというのに。
リリだけを想っていた自分が、どこまでも恨めしかった。
だから今、僕に出来ることがあるのなら、例えこの命が危険に晒されようが、しなければならない。
みんな…生きていてくれ…!

村は、想像していた以上に凄惨な様相を呈していた。
家々は崩れ、飼育小屋は燃え、村一帯は荒野と化し、すでに逃げ惑う人々の声すらなかった。
「あ…あぁ…」
僕の家も、彼女の家も、みんなの家も、何一つ、残っていなかった。
今朝、あんなに活気付いて、最高の一日のはじまりを迎えた広場には、誰一人として残っていなかった。
否。
広場に一人、佇む者がいた。
それは、人間ではなかった。
鬼とも悪魔ともとれる姿をした、人型の化け物だった。
「あぁ? なんだ、ま〜だ生き残りがいやがったのか」
化け物は、僕の存在に気付いて気だるそうに言った。
「腹ごなしついでに遊んでみたが、どいつもこいつも歯応えがねぇ」
聞いたことがある。
人を喰らい、人を命を弄ぶ、恐ろしい化け物の話を。
単なる噂だと思っていた。
人々の恐怖心が創り上げた、想像上の化け物だと思っていた。
「さっきやったジジィなんか、喰ってもうまくもねぇのに刃向かいやがって。歳の割にゃ、結構しぶとかったけどなぁ」
僕の中の何かが、弾けた音がした。
「オメェもバカなヤツだよなぁ。ヒーヒー逃げ回ってりゃ、死なずに済んだのによぉ?」
「…う…」
腰にぶら下げていた、頼りなさこの上ない草刈り鎌を両手で握り締める。
「うあああああぁぁぁぁぁぁぁぁあ!」
生まれて初めて覚えた殺意の対象に向けて、走った。
この鎌を、ただ目の前の化け物に突き立てる、ただそれだけを考えて走った。
「おーおー、勇むねぇ。死に急ぎたい年頃かい?」
きっと、僕はこいつに殺される。
だからどうしたというんだ。
みんな殺されて、殺したヤツが目の前にいて、復讐の念を抱かない方が異常だと思う。
手が震えている。
足が震えている。
それでも、この化け物に向かって走る。
殺されたみんなの恨みを晴らすだとか、これ以上の被害を絶つためにとか、そんな正義感からではない。
ただ本能が、殺意が、身体を無意識に動かしていた。
「そんな鎌でどうにかできると思われてるなんて、心外だな」
至近、化け物が言う。
「うああああ!」
無我夢中で振りかぶり、見下すような表情の化け物の左肩に、草刈り鎌を突き立てた。
刹那、
「ぐああああああああああッ!!」
無茶苦茶な体勢による攻撃でバランスを崩して転倒し、見上げた化け物が、いかにも瀕死の様相でよろめいていた。
「き、貴様、何故オレの、弱点を…!」
化け物は跪き、ついには倒れ込んだ。
「クッソォ…! オレが、こんなガキに…!」
次第に化け物の姿が足から霞のように消え、
「すまねぇ…、親父…」
そう言い残し、化け物は消え去った。
最初からいなかったかのように、ただ、村がひとりでに燃えてしまったかのように。
その一連の流れを、僕はかつてないほど呆けた表情で眺めていたと思う。
傍から見たら、燃え盛る村の広場の中央で、間抜け顔の男がひとりでに尻餅を付いているように見えるのかな。
もう、訳がわからなかった。

その後、間もなくリリがやってきて、尻餅を付く僕に抱きついてバカを連呼しながら叩かれた。
泣いていた。
謝りながら、僕も泣いてしまった。



アレから、数年が経った。
隣村の多大な協力のおかげで、村は復興を遂げた。
かろうじて生き残った村人たちとともに、じっくりと時間をかけて、失われたものを取り戻そうと思う。
…いや。
失われたものは、もう戻らない。
だから、新しい幸せを掴むんだ。
村のみんなと、
リリと、
僕らの子、イタツと。

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