「こ~ちゃん、あさだよ~」
「ん…」
「こ~ちゃん、おきてよぉ~」
「…」
「こ~ちゃんってばぁ~」
「ん…?あ…春、おはよう」
「おはよ~」

春がボクに付き添うようになってから随分と時が経った5月の下旬。
気のせいか、最近の春にほんの少しいつもより覇気がないように思える。
どんな時でも笑顔を絶やさなかった春の表情が、稀にとても悲しげで湿っぽい顔をするんだ。
今日だってそうだ。いつもなら特異な起こし方をするはずなのに…普通に起こしてくれた。

朝食を済ませて学校へと向かう。春の心を映し出すかのように、今日の天気は曇り。
学校に着いてからもなんとなく春に元気がない。笑顔を繕ってはいるものの、奥深くはどこか悲しい。

「春」
「はぇ?」
「なんだか元気ないけど?」
「そんなことないよ~」
「ん…そっか…」

春はそう言ってるけど、やっぱり元気がない。心配で気が気じゃない…。
そこへやって来たテラー・オブ・邪魔者、史哉。

「進藤、鬼から伝言だ」
「鬼?」
「バレー部の顧問だよ」
「あぁ、鬼ね。それで?」
「放課後 職員室に来いって」
「わかった。伝言ありがと」

今日の史哉は変なチョッカイは出してこなかった。気遣ってくれているのだろうか?まさか…ね。



放課後。春を連れて伝言通りに職員室へ向かう。なんの用なんだろ…部活サボってるからなにか言われるのかな?
春を廊下に待機させてボクだけで職員室に入った。

「失礼します」
「進藤、こっちに来い」
「なんでしょう?」
「お前、ここ最近部活来てないな?」
「はぁ…すいません」
「退部だ」
「へ?」
「やる気のないヤツを俺の部に入れておくつもりは毛頭ない」
「ちょちょ、ちょっと待ってくださいよ。きょ、今日から行きますから」
「ダメだ」
「そんなの唐突過ぎますよ!せめて引退まで!」
「ダメったらダメだ」
「…わかりました…。失礼しました」

肩を落として職員室から出てきたボクを、春が心配そうに見つめている。

「こ~ちゃん、なにかあったの~?」
「うん…ちょっとね…」
「はぇ?」
「とにかく…帰ろう…」
「うん」

帰り道の途中もボクは肩を落とし、落胆しながら歩いていた。誰が見ても落ち込んでいるとわかる。

「こ~ちゃん、げんきないよ~」
「そう…かな?」
「なにがあったの~?」
「春には関係ないから…」
「…そっか…そうだよね…、あたしにはかんけいないもんね…」
「あ、いや、そういうつもりで言ったんじゃないんだ」
「はぅ…」

バレーが好きで中学の頃からずっとバレー部でやってきた。高校生になってからもそうだった。
それを今になってやめるとなると…引退は近かったけど、やめるのとやめさせられるのでは全然違う。
こうなったのは春が来てからだ。春が来て付き添うようになって、どうしても部活には通えなかったから。
でもそれは春が悪いわけじゃない。ボクだって春が悪いなんて思ってない。けど…やり切れない気持ちでいっぱいだ…。

「ただいま…」
「おかえり、2人とも。お夕飯できてるわよ」
「ボクはいいよ…春にあげて…」
「お腹の調子でも悪いの?」
「そんなとこかな…」

春は夕飯を食べるため1階に残り、ボクは自室でベッドに寝転がって色々と考え事をしてた。
意味もなく、まとまるはずのない考え。なにも考えていない考え事だった。ふてくされてたのかもしれない。



「こ~ちゃん」
「…ん?」
「おはよ~」
「…いつの間に寝ちゃったんだろ」
「ゴハン、ホントにたべないの~?」
「うん…食欲、ないんだ」
「おちこんでるこ~ちゃんなんてこ~ちゃんじゃないよ~」
「ボクだって落ち込む事はあるよ…」
「げんきだしてよ~」
「…」
「ねぇ~、げんきだしてよ~」
「…」
「ねぇ~ってばぁ~」
うるさい!人形のくせに!
「はぇ…」
「あ…いや、その…春、あのね…」
「………ごめんね…こ~ちゃん…」

そう言ってボクの部屋を出ていった春の目には、涙が溢れていた。…ボクはその後を追う事ができなかった。
追いかけなくちゃって気持ちはあった…それよりも、どうしてあんな事を言っちゃったのか。自分を強く責め立てた。
自分を自己嫌悪した。春は悪くない事はわかっているのに…わかっているのに、あんなひどい事を言っちゃった自分を。

…ふと気が付くと、外は雨模様。ザーザーと雨音が聞こえてくる。春の心を映すかのように。

あれ…?ボク、どうして春を追いかけないんだ?どうしてこんな所でいっちょ前に落ち込んでるんだ?
女のコ1人を泣かせるような男に落ち込む権利なんかない。謝らなくちゃ…。許してもらえるまで、謝らなくちゃ。

「母さん、春は?」
「あら?春ちゃんと出掛けたんじゃなかったの?玄関を開ける音がしたけど…」

母さんの発言を最後まで聞き取らず、ボクは玄関を飛び出していった。傘を差すのも忘れて辺りを探しまわった。



雨も止み、雨上がりの水の匂いがする。全身ビショ濡れになりながらも春を探し続けた。
学校、駅、中央公園。心当たりを探しまわっても春の姿は見当たらなかった。それでも探し続けた。

だんだんと諦めの思いが募りながら、近所の公園の前を通った。ブランコのキーキーという音が聞こえる。
まさかとは思いつつも、公園内を見回してみた。真っ赤なブランコの1つに、白いワンピースを着た少女が乗っていた。

「春!」
「あ…こ~ちゃん…」
「はぁ、はぁ…やっと見つけたぁ…」

荒くなった息を整え、少し距離を置いて春の前に立った。

「あのさ……さっきはごめん。あんな事、言うつもりじゃなかったんだ。落ち込んでて、ちょっと自暴自棄になってて…」
「うん…」
「それで頭の中ゴチャゴチャになっちゃって、すぐに追いかけようと思ったんだけど、なんか動けなくて…」
「うん…」
「だから、その…ほら…えっと…」
「……こ~ちゃん…」
「へ?」

言葉に窮していると春がブランコから立ち上がり、ボクの服をギュッと掴んだ。そして、ボクの顔を見上げた。

「おにんぎょうさんじゃ…にんげんにはなれないのかな…?」
「人間?」
「おにんぎょうさんは…おにんぎょうさんなのかな…?」
「ど、どうしたの?」
「にんげんのすがたをしたおにんぎょうさんは…おんがえし、できないのかな…?」
「そんな事ないって!春は色々と恩返ししてくれてるよ!」
「おにんぎょうさんは…こ~ちゃんにきらわれちゃうのかな…?」
「春…」

涙目で必死にボクに問いかける春はあまりにもかわいそうで…孤独で…もろくか弱い女のコ。
そんな春を見ているのが辛かった。心が絞めつけられるように苦しかった。息ができなくなりそうだった。
だからボクは、春を強く胸に抱きしめた。温かみのある肌だった。…でも、少し震えていた。

「ふぇ~ん…こ~ちゃ~ん…」
「ごめん…ごめんね、春」

ボクの胸で春はたくさん泣いた。涙が枯れるくらい、たくさん泣いた。

「…こ~ちゃん」
「もう大丈夫?」
「うん」
「じゃ、帰ろうか。家に」
「ふあ~い」

家に帰る途中、春が手を繋いできた。恥ずかしかったけど…振りほどこうとはしなかった。