冬の空と雪椿 第七節

12月24日、クリスマス・イヴ。2週間以上も前から街路はクリスマスムードに彩られ、この日の到来を待ちわびていたかのように、白くやわらかな粉雪がゆらゆらと降っていました。もっとも、街から離れて暮らしている花火と椿には、あまり関係のないことなのですが…。

当の二人はと言えば、大学も終わりすでに放課後、地元に着いていました。そして、駅から花火の家までの延々まっすぐな道のりを、二人でとぼとぼ歩いています。両脇を高い積雪に挟まれ、他には遠くの高い建物以外なーんにもなくて、椿はこういう、自分がイメージした通りの北海道らしい風景が大好きなのです。

現に椿は、舞い振る雪を受け止めんばかりに両手を広げて、少しだけくるくると回りながら嬉しそうに歩いていました。

「転ぶで」
「うん」

夢中になっている椿の生返事だとはわかっているのですが、花火はついウケてしまいました。これから転ぶことを宣言するなんて、椿も随分と大物になったものです。…まぁ、椿が喜ぶのも無理はないのですけれども。

そう、今日から大学はしばらくお休み。いわゆる『冬休み』に突入したのです。大学の夏休みがだらだら長いのはとても有名なことですが、冬休みは普通の小中学校と大して変わりません。いつもは講義で花火と少しだけ離れ離れになってしまいますが、冬休みに入ればその少しも埋まって、花火と一緒にいられる時間がたっぷり増えるのです。椿は考えただけで気もそぞろ、心躍ってわくわくしてしまい、花火くんとどこに遊びに行こうかなとすでに冬休みのプランまで構想を練り始めている始末です。温子(とオマケの植田)に会えないのは寂しいですが、いざとなったらみんなでどこかに遊びに行く計画を立ててもいいのです!

普段は消極的な椿も、今日ばかりはツキノワグマが襲ってきても一撃で屠れそうな気分です。

「んで、どーすんの? 寄ってくん?」
「あ、」

うん、と即答するつもりでしたが、何事も不用意な即答はいけません。躊躇ってから何か忘れていまいかとぐるっと思考を巡らせて、思い当たる色々にぶつかったので、

「準備もあるし、済ませなきゃいけないこと、あるから…」
「そか。ほんなら、何時にどこにする?」
「んー…。6時頃に、十字路…かな」
「よしゃ、それでいこ」

椿はこくっとうなずきました。

今日のこれからについて話し合っていたら、あっという間に煎御谷宅に到着しました。

「ほな また後でな」

椿はこくっとうなずいて、小声でまたと言いました。そして、見送る花火との別れを惜しんで目線を残しながら、手を振ってその場を後にしました。

残った花火は寒いのでそそくさと家に入り、

「ただいまー」

しかし返答はありません。母親はまた出かけているようです。ちょっと小腹が空いたので何か作ってもらおうかと思っていたのに、まったく使えない母親やなぁ、なんて本人の前で言ったらきっと花火はトイレで犬神家を再現していることでしょう。

やることもない花火は、いつも通りにベッドに倒れ込んでスヤスヤと眠り始めました。

一方の椿はもちろん眠るヒマなどなく、せっせせっせと身体を手を足を動かしてとても忙しそうです。太陽と父親の夕食の準備もしなくちゃいけないし、洗濯物もしなくちゃいけないし、回覧板も回さなくちゃいけないし、お風呂の掃除―は太陽に任せて、他にも色々と済ませなければいけないことがたくさんあって、若いのに苦労人なのです。

でも、思い残すことなく気分よく花火と一緒に過ごすためだと思えば、どんな苦労もヘッチャラな椿です。あぁ、この忙しさをエネルギー変換したら、きっときゅうり早刻みのギネス記録も夢ではないかもしれません。

とても忙しい椿は、台所に立ってひたすら今晩のおかずの食材と格闘していました。



そして、時刻は18時を迎えます。

ハ~…

丸めて合わせた手を口の前に持ってきて、手袋越しにあたたかな吐息をかけている椿です。いつもの耳当てにいつものマフラー、いつものコートを着て、待ち合わせの十字路に立っています。

予想はしていましたが、18時になっても花火は現れません。南に延々と続く道路は見渡す限り薄霧のように白んでいて、見てども見てども花火の姿は見えません。きっと寝ているんだろうなと思う椿ですが、まさにその通りです。花火のルーズな性格には慣れましたが、やっぱり将来的には治してもらわないと色々な面で困ってしまうのです。万が一仕事をサボられた日には家計と天変地異がひっくり返ってしまうのですから、それはそれは椿にとっては大問題です。

と、すでに将来を"ある形"に仮定してしまっていることに気付いて、椿はひとりで赤面していました。

慣れたとは言っても、やっぱりひとり寂しく待っているのは嫌なものです。冬の雪景色は好きだけど、その中にひとりでいるととても景色が悲しく見えて、なんだか切なくなってしまうのです。だから一秒でも早く、姿だけでもいいから見せて欲しい、と願う椿なのでした。

「あ」

やっと来たようです。現時刻は18時20分、20分も遅刻してきました。でもまぁ、昔よりは早くなっているみたいですけども。白んだ薄霧から姿を現した花火は、すでにここまで走ってきたのでしょう、ヘトヘトになりながらも懸命に走っていました。当然です、遅刻しているのに徒歩だったらさすがの椿も怒って帰ってしまうでしょう。

つばきぃ~…

だいぶ前方にいる花火が手を振っています。かすかに声も聞こえますが、もう全然ダメだ力尽きそうって感じです。待っている間は怒っていたはずなのに、花火の姿と気の抜ける仕草を見てしまうとおかしくて、拍子抜けというかなんというか、椿はいつも花火を怒れないでいました。

やがてゼェハァ言いながら花火がやってきて、走ってきた勢いを減速させ、最終ブレーキ代わりに椿に抱きついて止まりました。

「おそいッ」
「す…すんまへん…」

花火は素直に謝り、椿もあまり怒っていないのでそれで許してあげました。

「めざまし、ハァ、セット、しといた、ハァ、けどなぁ…。スイッチ、入れてへん、ハァ、かったわ…」

やっぱり寝てたんだ、と思いながら椿は、

「今度は、ちゃんと… ね?」
「気ぃつけます…」

抱きついた椿から少し離れて花火は息を整え、やっと落ち着いてきました。

「んしゃ。行こか」
「うん」

二人は改めて出発しました。向かうはもちろん、繁華街です。

「どこ行く…?」
「腹減った。たまにはうまいもん食おうや」
…お好み焼き食べたけど…
「んぁ?」
「あ、ううん、なんでも…。どこが、いい?」
「どこ言うてもなぁ。ウチ滅多に外食なんかせぇへんから、気の利いた店知らへんで」
「じゃあ、普通にファミレス…?」
「せやな。学生らしゅーてええんやない?」
「でも、ファミレスって言っても色々あるし、私もあんまり知らない…」
「あー、そか…」

居住期間が長い分、花火の方がここいらの土地勘に詳しいのは当たり前なのですが、さすがにマップマスターというわけではありません。ましてや小さい頃から母親がドケチで外食など年に一、二回が関の山だった花火です、引っ越して父親が海外赴任してからは家族で一度外食したっきりなわけで。そんな花火に要衝の食べ物屋を尋ねるのは酷というものです。

「まぁアレや、テケトーに歩いとったらファミレスの一つや二つあるやろ」
「んー…。そだね」

少し間を置いて、椿がふと気付いて思い出したかのように言いました。

「花火くん」
「おぅ」
「今日、混んでないかな…?」
「なんで? …あー、せか。そん時はそん時や、諦めてモスでも食おうや」
「うん」

ちなみにモスとはハンバーガーショップのことで、蛾ではありません。あしからず。

「ウチは平気なん?」
「?」
「ほれ、家族のメシとか」
「あ、うん、平気」
「ほな、何時頃までおられんのん?」
「んと…。ウチの人も、わかってくれると思うから…。9時頃までなら、平気…と思う」
「おぉ、ならゆっくりできるやんか」

一緒にいてくれる当の本人の口からそんなにハッキリと言われると椿もじんわり嬉しくなってしまって、顔を赤らめて照れ俯きながらもこくっとうなずきました。

てふてふ歩いていると、やがて繁華街の入り口に差し掛かりました。二人はそれぞれ買い物などで別々にクリスマス仕様の街中を見たことはありましたが、期間中に一緒に来たのは初めてでした。街灯にはクリスマス特別期間中を表す垂れ幕、街中の至る所で赤や緑のネオンが光り、何軒かは軒先に小さなクリスマスツリーを立てていたり、サンタクロースに扮した店員が呼び子をやっていたり―。

いよいよ本格的なクリスマスがやってきて、心待ちにしていた椿はその光景を目の当たりにしてもうわくわくどきどき、気もそぞろで落ち着きません。光り輝くネオンが点灯するリズムに合わせて、この場で踊り出してしまいたいくらいでした。

「んなー、相変わらずハッデやなぁ…」
「花火くん、嫌い…?」
「別にぃ。ただなぁ、毎年見とるさかい、慣れてもーたわ」

椿が元暮らしていた栃木だって、この時期、街中に行けばこれぐらいの盛り上がり方はしていました。でも、どんなに思い出してみても、あの時の自分はこんなに喜んでいませんでした。それはきっと、側に花火がいてくれているからであって…。

なんだかもう椿はじっとしていられなくって、駆け足して花火の前に出て振り返り、向き合いました。

「ねっ、早く行こ!」
「…ほぇ?」

椿の珍しいポジティブな行動に虚を突かれた花火は、まるで鳩が豆鉄砲です。

「はーやーくっ」
「お、おお、おおおお」

花火の手を握ってぐっと引っ張って、椿はとても嬉しそうに駆け出しました。一秒でも早くクリスマスのど真ん中に、どこを向いてもクリスマスに出逢えて、クリスマスに囲まれた場所に、花火と一緒に―



「あー腹減った…」
「8回目」
「だってなー…」
「たぶん、もうちょっとだから…ね?」

入り口が側にある角になった待合所で、二人は長椅子に座っていました。

二人がやってきたのは、ごくごく普通のファミリーレストラン。洋食が主に和食や中華も揃えた、どこにでもあるファミレスです。どこの食べ物屋も入り口の外まで行列が出来ていたのに、この店だけはそれがなかったのですぐにそこと決めたところまでは良かったのですが、入ってみれば同じ穴、店内は往々にして混雑していました。待合所が広めで待機客はそこで全て納まってしまうので、外にまで行列をつくる必要がなかっただけのことでした。

やっとこ座れるぐらいまでお客さんが流れた頃には、二人(特に花火)はぐったりしていました。

「やっぱモスで良かったんとちゃうん?」
「でも、せっかくのイヴだし…」
「まぁ、せやなぁ…。イヴにモスいうんもなぁ…」

待ち疲れしてすでに疲弊してしまって、名前を呼ばれるのを今か今かを待っていました。

「二名でお待ちの冬矢さまーっ」

あぁ、やっと名前を呼ばれました。混雑時に順番を示すための紙に名前を書いたのですが、椿が書いたので冬矢で呼ばれました。一緒に立ち上がると自分も冬矢になったみたいで、花火は何だか複雑に恥ずかしくなりました。

おタバコはもちろん吸わないと云ってウェイトレスに案内された席は、偶然にも大通りに面した大きなガラス側の二人用対面席でした。ご注文が決まりましたらそちらのボタンを押して下さい、言ってウェイトレスはメニューとお冷を置いて厨房に戻りました。

「あ~、やっと食えるで~」

花火はババっと脱いだコートを背もたれに掛けてドカッと座り、椿もコートを脱ぎました。

「おぇ!?」
「?」

コートを脱いだ椿を見て、花火はそれはそれは大仰にビックリしました。

「な、なんや、そのカッコ?」
「あ…」

椿の服装は確かにいつもと違いました。あ、変という意味ではなくて。中が白で外がブラウンのアンサンブル、下もブラウンでフリンジ付きのウールのタイトスカート、さらには黒のストッキングと、もう子供とも未成年とも呼べないシックで大人びた雰囲気のファッションです。再来年の頭にはハタチになる椿です、もう立派な大人の女性なのかもしれません。

「ちょっと…張り切ってみたの」

椿は照れながらも花火の視線が嬉しくて、見せるように少し動いてみせました。

「似合う…?」
「お、おぅ、めっちゃ似合っとるで。いつものんもええけど、なんつか…大人っぽくて、魅力的やわ」
「…ありがとっ」

これで似合ってないなんて言われたらショックですもんね。なんせ今日のためにわざわざ"よそ行き棚"の中から吟味して厳選して選んだのですから、それも花火が好きそうなのを。うーん、やっぱり椿は大胆です。めっちゃを付けて似合ってるだなんて言われたもんですから、椿はあまりの嬉しさにガラスを突き破って大通りでひと暴れしたいぐらいでした。

椿も同じく脱いだコートを椅子に掛けて座りました。

「はよ決めよーや」
「うん」

メインの総合メニューがふたつと、今だけのスペシャルメニューがひとつ置いてあります。別にイヴだからといってこれを食べようあれを食べようというのはなくて、二人それぞれ好きな物を注文することにしました。早く食べたいのでスパッと決めてボタンを押してウェイトレスを呼んでそれぞれの品を注文して、最後にドリンクバイキングを二つ注文して、ウェイトレスは厨房に戻りました。後は、待つだけです。

空腹潰しに花火はコップに入ったお水を一口ごくりと飲んで、椿もちょびっと飲みました。ふと見渡せば、店内は家族連ればかりではなくアベック客も目立ちます。今日がそういう日なのですから当たり前ですけど、こうしてまざまざと自分の目で見ていると、自分たちもその内の一人なのだなぁと考えてしまって、考えてしまうことがなんだか気恥ずかしくて…。

ってじつは、こんなことを考えているのは椿ではなく花火でした。なんだかんだで花火もウブでシャイなのですね! …じゃなくて、では椿はどうしているのでしょう?

「…

テーブルに肘を突いて顔の前で手を合わせるように組み、その顔は、すぐ隣にガラス越しに見える大通りを眺めていました。光り輝く赤緑のネオン、街路樹に吊るされた垂れ幕、サンタクロース、トナカイ、ビル、人、雪―。結露したガラスがそれらをボヤけてきらめかせて、見る者を幻想的なムードに誘い込みます。それこそ、見ている者が望んでいたものだとしたら、そのまま夢の世界に入ってしまうかもしれません。特に椿はもうすでに、とろとろとあまーい顔をして嬉しそうに眺めています。

「椿」
「…」
「なんか…アレやなぁ。なんちゅーか、こう、場違いやけど、場違いやない、みたいな…」
「…」
「で、でもアレよな、ワイらは気にせんと、自分らの好きなよーに…」
「…」
「―椿、聞いとる?」
「へ?」

うっかり景色に見惚れていた椿は花火の話をぽっちも聞いていなかったので、呼び掛けに気付いて咄嗟に出たマヌケな返事に照れて恥ずかしくてゆでだこになって顔をうつむかせてしまいました。そんな椿の自然な反応がかわいくておかしくて、花火は小さくけたけた笑っていました。

「な… なに?」
「えっ、いや、別に…くくっ…な、なんでも、あらへんよ」

自分の失態とはいえ花火の含み笑いがちょっと癇に障って、椿はむっとしました。

「気になるから、ちゃんと言ってッ」
「いや、せやからな?」

くつくつと起こっていた笑いを抑えて、花火は言いました。

「椿と一緒におれて、嬉しいゆーこっちゃ」

むっとしているとは言ってもついさっきまでほんわかとろとろしていた椿です、そんな時にそんなことを
言われてしまっては心が揺らいで仕方がありません。思わずドキンとしてしまって、先ほどとはまた違った理由で顔を赤らめました。言った当人は特に意識して発言したわけではないので椿の反応はよくわからなかったのですが、やっぱりかわいかったので眺めていました。

「この調子やと、だいぶ待つなぁ」

店内の混雑ようを見て花火が言いました。

「ぁ…、うん…」

思いっ切り照れていたところに普通の会話を持ちかけられて普通の反応を求められた(と椿は思った)ので少し言葉につまずきましたが、こくっとうなずきました。

「あぁ~、腹減ったぁ~ん…」

待合所の時点ですでに限界だった花火はついに耐えられなくなって、シックな木目調のテーブルに突っ伏して力尽きました。空腹の時の花火は本当に頼りなさげな顔をするので、椿は思わず苦笑してしまいました。そしておもむろに、脇に置いてあった呼び出しボタンやらナプキンやらの中からひとつ、"ソルト"と書かれた調味料入れを取りました。

「お塩でも、舐める?」
「なんで」
「空腹の足しに…」
「塩辛うて舌おかしなってまうやろ」
「でも、足しに…」
「…せや。ちぎったナプキンに塩挟んで水垂らして、それ食うたらうまいわけないやろっ!」

無茶な誘導に親切に引っかかってくれて、しかもそのノリボケともノリツッコミともつかない独特の大阪節を聞いたら何だか楽しくなってきてしまって、椿は抑えながらも笑っていました。

椿は思います。昔の私なら、異性の人と話していてこんなに楽しく感じることは絶対になかった、と。同性の子とですら、こんな風に何の気負いもなく心から笑えたことは数えるほどしかありません。いつからか人と話すのが苦手になって、奥手になって、どんどん小さくなっていく…。そんな自分を変えてくれた、色々な意味ですごい人。今は目の前でへばっちゃっているけれど、よく遅刻はするけれど、とても頼りなさそうだけど、じつは目立たない部分でとっても男気があって、そしておもしろい人。どちらかといえば本好きな椿は、こういうことにロマンを感じてなりません。花火との出逢いは運命だったのだ、なんて恥ずかしい考えも今のテンションなら恥ずかしがらずに堂々とできます。

目の前にはくたびれた花火。横を見れば銀世界。わくわくそわそわする気持ちが全身を駆け巡って、もうこのままガラスを突き破って外に飛び出して、メチャクチャに騒いでやりたい気分です。

「花火くん」
「んぁ」
「雪景色って、好き?」
「あ~…。見る分にはええけどなぁ」

テーブルにべったりくっつけて寝かせた顔を外に向け、景色を見ながら言いました。

「大阪居った頃は本物の雪なんか見れへんかったから、子供やったし、最初の内は喜んどったけどな。椿もその内ヤんなるで。雪かき面倒やし」
「面倒だけど…。綺麗だから、私は気になんない」
「そー言ってられんのも今だけやて。あと一年もしてみぃ、絶対綺麗やなんて思わへんようになるで?」
「大丈夫。雪だるま、つくるから」
「…なんやそれ?」
「え…? 雪だるま…わかんない?」
「ゃや、そうやのーて、なんで雪だるまでダイジョブなん?」
「あぁ…。だって、かわいいし、つくってると楽しいし…。雪が降ったら、だるま、つくれるでしょ? だから、大丈夫」
「そないに雪だるま好きなんかいな」
「うんっ」

にぶい花火もさすがに、今日の椿の雰囲気というか語調の違いに気付いて、突っ伏したままでは喋りにくい上にみっともないと思って面倒くさそうに身体を起こしました。…やや猫背ですが。

「ワイも昔はよう作ったけどなぁ。最近は寒うてロクに外にも出ぇへんから、雪触って遊ぶなんて考えられへんわ」
「寒くても、身体動かせばあったまるよ…?」
「せやけど、雪触っとったら冷たなるやん?」
「身体は、冷たくなっちゃうけど…。出来上がった雪だるまを見たら、心があったかくなるから」

なるほど椿はモチベーションが高い時はロマンチストなんだなと関心しつつ、それを話す椿の表情は今まででもあまり見たことがないほど明るくて覇気があって、花火は"嬉しい違和感"を感じていました。まだまだ長いとは言えない付き合いの中で見てきた中でも、情熱というには熱すぎる、しかしどこか普段は見せない力強さを持った、見る者の心をも響かせる笑顔です。

「でも、栃木てだるま作れるほど雪降るんか?」
「日光とか、山奥の方に行けば…」
「あぁ~、日光てアレか、ほら、なんやったっけ… いろ、ぬり坂?」

色塗り坂? あまりに珍妙な名前だったので、椿はくすっと笑いました。

「いろは坂」
「あっ、それやそれ! それがあるトコやろ?」
「うん。他にも、東照宮とか、猿軍団とかあるけど…」
「ワイ大阪育ちやからなぁ。栃木にいっちゃん近付いたんは、おかんの実家行った時ぐらいやわ」
「どこ?」
「千葉 …でええんよな
「千葉…って、何かあった…?」
「いちおー海ほたるがある。おかんが行きたい言うとったけど、なんや利用客ごっつぅ少のうてひどいらしいで」
「海ほたる…?」
「知らん? 海をズダーっと横切っとる道路、の途中にある休憩所みたいのんが海ほたる言うねん」
「あ。アクアラインの」
「あの道路ってそないな名前やったっけ?」
「たぶん…」
「よぉ覚えとるな、普通海ほたるの方が覚えとる思うで」
「なんか、いい名前だったから…」
「へぇー」

ふと、ここで椿が気付きました。

「ドリンクバー、頼んだんだっけ」
「あ…、あぁ、せやったな…」
「?」

花火の反応がたじろいだ風におかしかったので訝んでいると、いきなり小さく身を乗り出してきて、

「なぁ、ひとつ訊きたいんやけど…」

小声で話しかけてきたので、椿も身を屈めて密会モードに入りました。

「なに?」
「―ドリンクバーって、なんや?」
「エ…」

予想だにしなかった質問に、椿は一瞬固まりました。もう頼んじゃったのに、今さら?

「いやぁ、椿がどうや~言うから適当に注文してんけど、なんや飲みモン系ゆーことしかわからへんねん。なにせファミレスなんか滅多に来ぇへんから、最近のシステムちんぷんかんぷんでなぁ…」
「そ…、そなんだ…」

よくわかってもいないのにノリで注文してしまう花火に色々な意味で驚嘆して、誘ってしまった椿はなぜか罪悪感を感じずにはいられません。

「あの、ドリンクバーっていうのはね。お水のセルフサービスみたいに、自分の好きなジュースを好きなだけ飲んでもいいの。ほら、あそこのバーで」
「あーあー、そゆことな。食べ放題ならぬ飲み放題いうこっちゃな?」

椿はこくこくっとうなずきました。

「そかそか、よ~わかったわ。ほな椿、先取ってきぃな」
「え…? 別に、一緒に行っても…」
「あかんあかん。ここ誰もおらんようなったら、物騒な時代やさかい、どこのどいつに荷物狙われるかわからへんで」
「あ…、うん…。でも、いいよ、花火くん先で」
「いやいや、男なんやから"れでぃーばーすと"は基本やろ」
「…レディー、ファースト?」
「あれ、そやっけ?」

またも花火らしい変わった間違いに椿は一笑いして、

「それじゃあ、お先に…」
「ん」

椿が席を立って、ひとりドリンクバーに向かいました。その隙にさっきのソルトナプキンお水風味を試そうかと企んだ花火でしたが、これから飲み物も飲めるんだし長生きしたいのでやめておきました。代わりに、椿が見て喜んでいた見慣れた外の風景を眺めます。

「お待たせっ」
「おぅ。コーヒー?」
「うん」
「あったかいんもええんやな。ほな、行ってくるわ」

椿が戻ってきたので、交代で花火がドリンクを取りに行きました。ちゃんとできるか誘い主の椿も心配ですが、子供じゃないんだから見よう見まねでできるだろうとひとまず安心しました。安心して、バーに向かう花火から視線をテーブルに戻すと、端の方にさっきまでなかった物がありました。

「……花火くん…」

そこには、塩が入った調味料入れと、くしゃくしゃに丸まってちょっと湿ったナプキンがありました。



「花火くんは、大阪のどこに住んでたの?」
「ん? 吹田市やけど」
「吹田市…。あの、万博の…?」
「そそそ。なんや、椿物知りやないか」
「き…聞きかじりだよ…っ」

椿はちょっと顔を赤らめました。

「今は万博公園いう名前になって、建物もどんどん取り壊されとるらしい」
「どうして…?」
「当たり前やん、1970年に出来たんやで? 今でも使われとんのならまだしも、万博以来、放置されとる施設はよーさんあるで。壊さん方がおかしいやろ」
「でも、なんかもったいないね…」
「あー…。まぁ、ワイらが産まれる前の話やしなぁ」
「またやればいいのにね。万博」
「どっかでやるんちゃうの? 愛知とかで

それぞれドリンクを確保した二人は、注文した料理が来るまでの間、飲みながらまたお話しに花を咲かせていました。ちなみに、椿が飲んでいるのは先ほども言った通りコーヒーですが、花火は何故かローズヒップティー(紅茶)を飲んでいます。椿が理由を訊ねてみたところ返ってきたのは、なんやおもろそうやったから、でした。

「椿は栃木のどこやったん?」
「宇都宮」
「あぁ、宇都宮。…全然わからん」
「餃子が有名で、県庁所在地なの」
「ほぇー。ほな椿も、小さい頃から餃子よー食うとったん?」
「ニオイがきついから、私はあんまり…」
「なんやー、あのニオイがええんやないか。ま、お好み焼きには勝てへんけどな」

ちゃんとオチをつける花火にまた椿がくすっと一笑いして、

「あれ…?」
「んぁ?」
「花火くん、たこ焼きは好きじゃないの…?」
「おぉ! 椿、よぉ訊いてくれた。じつはな、たこ焼きにまつわる逸話があんねん」

珍しく花火が抑揚ある声で語り始めたので、興味津々の椿は少し身を乗り出しました。と、

「お待たせしました、フレンチサラダです」

椿が注文したサラダが来ました。軽くつまむ程度の小さなお皿に、普通のサラダが盛られています。花火的には話の腰を折られて、椿的には話が聞けず残念で、二人ともとりあえず一口食べました。

「うまい」「おいしい」

発言がカブってしまい、おかしくて二人ともくすりと笑いました。それぞれ嚥下した後、椿が、

「続けて?」
「―えっとな」

仕切り直して、花火が語り出しました。

「大阪住んどったら当たり前のよーにお好みもたこ焼きも食うねん。日本人がコメ食うんとおなしような感覚で、何かー言うたらお好みやーたこ焼きやーて」
「うんうん」
「そいで、あれいつ頃やったかなぁ…、ワイがまだちーちゃい赤ん坊やった頃、あぁ今になってもあの忌々しい事件は忘れへんわ」
「うんうん」
「おかんがワイ連れてマンションとこの公園いてな、おかん近所のバはんとダベっとったんよ。ワイはベンチに寝かされとって、したらなんや、移動屋台のたこ焼き屋来とってな。どこぞのガキが買うたたこ焼き寝てるワイに食わせよって、有り得へんで? 出来立てのホカホカどころかあっつあつやで? 親切心か遊び心かわからへんけど、そないなもん食わされたこっちゃ堪ったもんやあらへんわ。口ん中むっちゃ火傷して大泣きして、あん時ゃさっすがにおかんも怒ったで~」
「今は、口、大丈夫なの…?」
「残るほどひどい火傷とちゃうから全然ヘーキやけど、それトラウマんなって、たこ焼き食えへんよーなってもーたわ。どない冷めとっても火傷しそうで敵わん」
「じゃあ、たこ焼きの味、知らないの…?」
「せやで。まぁ、うまい棒のたこ焼き味とかなら食うたことあるけど、ほんもんは食うたことない」
「たこ焼き、おいしいよ?」
「それでもワイは食えへんで。お好みがありゃええわって諦めとる」
「ううん、あの味は絶対知っておかなきゃダメだよ。お好み焼きもおいしいけど、たこ焼きだって…」
「ほな今度、材料買うてきて作るか? ウチたこ焼き機あるし」

椿は嬉しそうにこくっとうなずきました。

「でも、ちゃんと食べてね…?」
「…カチカチに冷めとるんなら」
「それじゃおいしくないよぉ」

椿は困った風に笑いました。

「そらぁな? 椿が作ったもんやったら絶対うまいに決まってんねんから死んでも食うけどや、たこ焼きはちとな…」
「―だったら…」
「?」

椿がもったいぶって溜めの間を置いたので、自然に花火は意識を集中させました。

「フーフーしてあげる」
なっ、」

何を言うかと期待したら、まさかそんな、大学生にもなってこっ恥ずかしいことを言われるとは思っていなかったので、油断していた花火は思いっきり赤面してしまいました。

「何言うとんねんっ! フ、フーフーて、ンな、あ~んみたいな、」
「…いや?」
「い、嫌とかええとか、そういう問題ちゃうやろ!?」

花火がうまくハマってくれたことが嬉しくて、椿はいじわるめかしい笑みをこぼしました。

「…もしかして、おちょくっとった?」
「ううん。ダメだったら、ホントにフーフーしてあげる」
「…あ~んは?」
「して欲しい…?」

花火の脳内で天使と悪魔がケンカを始めて、壊れたロボットみたいに顔がぐにゃぐにゃになりました。それを見て、椿はまた笑いました。

「―椿も、変わったな」
「え…?」
「昔はそないに笑わへんかったし、よもやワイを手玉に取るたぁ、腕上げたやないか」
「そ、そんなこと…」
「昔なんかこ~んなちみっちゃかったんが、今じゃよぉ喋るようなったわ」

なごやかな表情で語る花火ですが、言われた椿はちょっと深刻そうな顔です。

「今の私…、嫌い…?」
「…はぁ? なに言うとんねん、嫌いなわけないやろ? 嫌いやったら一緒にメシ食いに来たりせぇへんし、笑って話したりもせぇへんよ」
「じゃあ、昔の方が良かった…?」
「昔も今もへったくれもあらへんて。大人しかった椿も、明るうなった椿も、どっちもおんなし椿やろ? 中身がどないなろーと、ワイは椿が―」

その先のセリフを頭で思い浮かべた瞬間、花火はまたもこっ恥ずかしくなって閉口しました。もうちょっとで、花火にとっては最も高いランクに属する『人前で裸になるより恥ずかしい言葉』が口から滑り出してしまうところでした。でも、言われ掛けられた椿はその先が気になって仕方がありません。

「―なに?」
「あー…。その…。あっ、せや。ワイはな、椿が『椿のまま』で居ってくれればそれでええと思とんねん」
「…私の、まま…?」
「変な気起こしてイメチェンしたりせんと、椿は椿のまんまでいて欲しいってわけや」
「イメチェンは、しないけど…」
「わからんもんやで~? 大人しい性格ほどキレたら怖い言うし」
「キ、キレないよっ」
「なははは。ま、初志貫徹もそこそこに、"らしさ"を忘れんよーにな」
「うん」

とそこへタイミング良く、注文していた料理がやってきました。シーフードドリアのお客様、で椿が手を挙げ、目玉焼きハンバーグとライスのお客様、で花火が手を挙げました。ご注文は以上でよろしいでしょうか、椿がはいと言い、伝票を置いてウェイトレスは戻りました。目玉焼きハンバーグを見た椿が、

「シンプル、だね…」
「おかんに植え付けられたドケチ精神が、つい…」

また二人はくすっと笑って、

「食おか」
「うん」

それぞれ食器を持って食べ始めました。花火がうめーと叫んで、椿がおいしいとささやきました。お互いに料理を交換こし合って食べて、お互いにおいしいおいしいと言っています。

「外食らしい外食って久々やから、なんや興奮してまうな」
「料理は逃げないよ…?」
「椿の料理もええけど、たまにはレストランっぽい味もええな。まぁ椿には勝てへんやろが」
「そ、そんな、お世辞なんて…」

そんなこんなの会話を交わしながら、花火はバクバク、椿はしずしず食べていました。



「あ~、足りひん」

米の一粒も残さず食べ尽くした花火が、ボヤきました。

「追加する…?」
「いや、ええよ。帰ったらなんか食うわ」
「でも、せっかくだし…」
「ワイだけ食っとったら椿ヒマやろ?」
「私は、別に…」
「気ィ遣わんでええて。―それよか、なんかデザート食わへん?」
「デザート?」
「再三言うとったやろ? 外食滅多に連れてってもらえんかったて」

椿はこくこくとうなずきました。

「せやから、おかんもそん時だけはわがまま聞いてくれはって、好きなデザート食わしてくれたんよ」
「だから、食べたいの…?」
「ん~…。まぁ、普通に食いたいいうんもあるけどな」

一呼吸間を置いた後、椿は了承の意味でこくっとうなずきました。

「ほな、何食おか」
「えっと…」

それぞれメニューを見て、好きな物を注文しました。デザートが来るまでまだ時間があります。

「…カルチャーショックや」
「え?」

いきなり花火が意味不明なことを言い出すので、椿はポカンとなりました。

「子供から見たデザートて、めっちゃ高級なイメージあってん。メニュー見てもナンボかなんてガキやったから気にせんかったし、ただでさえ食えへんもんやったから、まさか、こない安いもんやとは…」
「そこまで安くは、ないと思う…」
「ほら、なんかあるやん? テレビとかでよう見る、ええカッコして夜景をバックにワインーみたいな、あないな感じのイメージがレストランやったからさ。アレや、回転寿司と板前寿司の違いみたいなもんや」
「…なんとなく、わかる、ような…」
「おかんがわがまま聞いてくれたんも、どーせおとんが居って機嫌良かっただけやて。ムスコを甘味で大人しゅうさせといて、自分はおとんと仲良うしたかっただけやろ」
「でも… 結果、オーライ?」
「ま、元々ドケチやったから、食えただけでもラッキーやな。こうやってワイらだけで来れるようなったんやし、それこそいつでも食えるわ」
「レストランに来て、デザートだけっていうのも…」
「あぁ、せやな…」
「高いし…」
「ぬぅ~…」

狙ったような間を作ってから、椿が言いました。

「花火くん」
「んぇ?」
「デザート、食べたくなったら…言って?」
「なんで?」
「―作って…あげる」

花火はあっと言って、マンガみたいに手の平をポンと叩きました。

「そか、椿に作ってもらうゆー手もあったんやな! よしゃ、ほな今度なんかお願いしたるわ」
「うん」
「そんでまた、一緒に材料の買い出し行こな」

椿はちょっと驚きました。だって花火が、言って欲しいことを言って欲しい時に言ってくれたから。

椿にとって、花火と一緒のお買い物はデートみたいなものなのです。思えば学校以外で初めて二人が一緒になったのも買い物だったし、いつも独りの買い物も花火と一緒だと楽しくなるのです。だからまた、花火と一緒に買い物に行きたい、その思いで放った一言を受け止めた花火が、偶然なのか意図的なのか、椿の気持ちを汲んでくれました。もう椿は嬉しくて嬉しくて、クリスマスツリーのてっぺんに登って大声で叫び散らしたい気分を表情に隠して、

「うんっ」

笑顔でこくっとうなずきました。

やがて、頼んだデザートがやってきました。双子のアイスのお客様、で椿が手を挙げ、プリン・ア・ラ・モードのお客様、で花火が手を挙げました。さっきのハンバーグより高いんじゃないかってぐらい豪勢なプリンを見て椿が、

「すごい…」

頭に浮かんだままの言葉をこぼしました。

「デザート言うたらやっぱこれやろ。ええよなー、このプリンとクリームのナイスなジャーマニーがたまらへんわ」
「…ハーモニー?」
「あれ、そやっけ?」

花火がまたとんちんかんな間違いをやらかしたので、椿は指摘してからまたくすりと笑いました。

「食べよ?」
「ん」

それぞれスプーンを持って、ほぼ同時にデザートを口にしました。ちなみに、椿が頼んだ双子のアイスというのは、バニラとチョコのアイスクリームが隣り合わせに盛られているシンプルな物です。

「んまーっ」

クリームを絡めたプリンを食べた花火は、清々しい笑顔を綻ばせてプリンに舌鼓を打っていました。場所が場所なのでちょっとはしたないですが、今日ばかりは大目に見てあげましょう、とは私の言葉。

椿も一口アイスを食べました。冬場に食べるアイスというのは乙なもので、暑い時に熱い物を食べるのとはまた違った不思議な感じがするのです。おいしい、と椿がささやきました。

椿はふと、考え事をはじめました。目の前にはガツガツとプリンを食べる花火がいて、横を見ればクリスマス模様に雪化粧した大通りの街中が見えて、そして今日は、クリスマス・イヴ。あぁ、この感じ、なつかしいなぁ…。そう、椿はあの日のことを思い出していました。二年前の、今日。

「花火くん、覚えてる?」
「ぼば?」

クリームとプリンとその他の物でごっちゃになった口周りから嫌な音が出ましたが、感慨に浸っている椿はもう気にしないことにしました。

「花火くんと、はじめて過ごしたイヴの日のこと。―ちょうど、二年前」
「ば~…」

あ~、と言っているのでしょうか。

「花火くんが、付きまとう理由を教えてくれって言って、喫茶店で…」

花火はごっくんと音が聞こえるぐらいの猛烈な嚥下をして、

「よぉ覚えとるなぁ」
「だって、イヴだもん…。忘れないよ」
「結局、理由なんやったっけ?」
「…覚えてないの?」
「あんま気にしてへんかった気がする」
「でも、訊いたの花火くんだよ…?」
「興味はあってんけど、なんや、聞いても聞かへんでもおんなしやったような覚えがあんねん」
「んー…?」

確かにそうだったかもしれないような、でもなんかイマイチよくわからないような、とりあえず椿は花火が忘れたという理由を思い返して話すことにしました。

「あの…。私が、あれだったから…。小心者で、寂しがり屋で…」
「あぁ、そや。転校したばっかでひもじいよって、ガッコの人間発見第一号がワイやったから、よな?」

椿はこくこくとうなずきました。ひもじい、ってちょっと違うような気がするのですが、大阪のニュアンスではそうなのかなと思って特にツッコミませんでした。

「なっつかしーなぁ。あの頃の椿、謎のオプションガールやったもんな」
「私がお財布忘れてパン買えなかった時、花火くん、自分のパンくれたよね」
「あぁー! あん時ゃめっさしんどかったわ、ダチから金借りるはおかん小遣いくれへんはで、もーしっちゃかめっちゃかやったわ」
「…ごめんなさい」

げんなり俯く椿を見て、あっ、と失策の一言、しまった、と失敗の一思いを巡らせ、花火は慌ててフォローしました。

「つ、椿が悪いんとちゃうて! ワイが勝手にやったんやし、ほらあの椿、転校したばっかやから、な? ワイは慣れとるからどないな目に遭うてもええけど、椿はそうゆうわけにはいかんやろ? そや、椿は何も悪ぅないて、ンな落ち込むなやぁ」

最初こそ本当にげんなりしていた椿ですけれど、花火があまりに必死にフォローを入れるのでちょっぴりおもしろくなってきてしまって、立ち直りついでに一言、

「―ありがと」

カウンターをモロに食らった花火は、半腰浮かせて必死になっていたのといっしょくたになって恥ずかしくなり、後頭部をポリポリ掻いて座り直して小さくなりました。

「次の日からだよね。お弁当、作ってくようになったの」
「ありゃホンマに助かったわ。おかん食費よこさへんし、何より椿のんがごっつうまかったしな」
「本当に、くれなかったの…?」
「ホンマホンマ。まぁ、さすがのおかんも気付いたらしゅうて昼飯どーしとるんて訊かれたんやけど、『隣の女子に作ってもろとる』なんてまっさか言えへんからな、友達からパクっとることにしたったで」
「そんなことも、あったんだ…」

椿は声のトーンを落としながら、ついでに目線も手元のアイスクリームに落としました。まだチョコレートが三分の二しか減っていません。デリカシーのない花火はあと二口でプリンを完食してしまいます。

「―二年、か…」

もう何度も繰り返し見た大通りの雪景色を見て、また椿はささやきました。そんなことをしている間にも花火はガツガツ、本当に二口で完食してしまいました。椿のアイスはまだ半分以上残っているのに。

「でも、アレやんな」
「?」

ナプキンで口元をゴシゴシ拭きながら花火が言いました。

「ワイら、知り合ってからは二年経つけど、実際まだ一年ちょいしかおらんねんな」
「あ…」

そうなのでした。椿の家庭の事情で一時的に栃木に戻らねばならず、椿が北海道に戻ってくるまでの一年間は、二人にとってはそれはそれは辛く、寂しく、悲しく、切ない、思い出しただけで胸が頭がギシギシ痛むものでした。戻ってくることをもちろん知っていた椿はまだしも、何も知らずに今生の別れだと思っていた花火はダメージが大きく、その間の鎮痛堕落っぷりは凄まじいものでした。その分、椿が戻ってきてくれた時の喜びはひとしおで、ここだけの話、感動のあまりほんのちょびっとだけ男泣きしてしまったそうな。

そんな花火の涙(椿もありましたが)があったからこそ、今の二人があるのでしょう。

二人とも当時のことを思い出して、甘酸っぱいような恥ずかしいような感じになっちゃいました。尻すぼみはしているけれど、ここは勇気を出して、おずおずと、

「花火くん」「椿」

思いっ切りカブってしまい、余計に恥ずかしくなりました。

「…なに?」
「あ、いや、ええよ椿」
「花火くん、お先に…」
「あかんて、"れでぃーばーすと"やろ」
「ファースト?」
「そうそれや」

もうこの間違いの指摘も、何度繰り返したのでしょう。我慢はしたのですけど、二人ともおかしくなってきてしまって、緊張の糸が切れてくすりと笑いました。花火は軽い吹き笑いですが…。

「私…。ちょっと、怖かったな…」
「ワイが?」

椿はこくっとうなずきました。でも、誤解されないようにすぐに付け足して、

「私が戻ってきて、花火くんに別の人がいたら、どうしようって…」

ニブチン帝王花火でもこの意味は理解したようです。

「アホ。いきなし椿がおらんよーなって、それどころちゃうかったわ」

それは嬉しい言葉でもありましたが、同時に当時の辛さを物語っています。

「言えなくて…、ごめんね…」
「仕方あらへんよ。タイミング悪かっただけや」

互いのことを思うがために、意見が擦れ違い、起きてしまったケンカ。望んでもいないのにぎくしゃくが続いて、仲直りしたいという望みはなかなか届かなくて、もどかしいまま時は過ぎてしまったのです。引っ越すことは言っていたつもりだったけれど、それでもケンカ別れなんて寂し過ぎる。最後に花火が来てくれたから良かったものの、もし花火が来てくれなかったら―

「つまんない意地張って、花火くんにひどいこと言っちゃった…」
「ワイかて、椿の気持ち考えんで、一方的に―」

椿はぶんぶんと首を横に振って、

「そんなことないっ。私のことを考えてくれたからこそ言ってくれたのに、私、あんな…」
「あん時はそう思とった。けどな。後でよぉ考えたら、ホンマに椿のこと考えとるんやったら、あないなこと言わん方がよかったて気付いてな。結果的にゃ椿怒らしてもーたし」
「あれは、私があまのじゃくで…。私こそ、花火くんのこと考えてなかった。親切で言ってくれてることだって、わかってたのに、ムキになって…取り返し、つかなくて…」

自分の発言に落ち込む椿を不憫に思った花火は、うなだれる椿の頭を右手でポンポンと叩きました。椿はちょっとビックリして、上目遣いで花火を見やりました。

「あんな。大事なんは、昔やのーて今やろ? 昔のゴタゴタ引きずっとっても、ええことなんかあらへん。"今"が大切なんや。だから椿も気にせんと、前向きに生きてきぃな?」

何だか花火が珍しく難しくて良いことを言うので、失礼かとは思いながらも驚いていました。そしてその話を聞いて、胸の辺りがじんわりとあたたかくなりました。

「…うんっ」

椿は力強くうなずきました。

「話せて、よかった…」
「ワイも。なんかスッキリしたわ。用足した後みたいや」
「ヤ、ヤだ、もぅ…」

言いながら、椿はちょっと楽しそうでした。釣られて花火も笑いました。

一通り笑ってから笑気が引いて、空気がちょっと落ち着く間を置いてから、花火が言いました。

「帰ってきてくれて、おおきに」

椿は微笑みながら、

「―待っててくれて…おおきに」

あの日、言いたくても言えなかった一言を、二人は交し合いました。

アイスクリームを食べ終えて完食した二人は、未だ混み合う待合所を抜けて退店しました。お勘定ではやっぱり言い合いになったのですが、やっぱり割り勘になりました。



「綺麗…」

目下に広がる煌びやかな夜景を眺めながら、椿が言いました。

「せやな」

花火も言いました。

レストランを出た二人は、大通りの突き当たりにある真っ白な壁の建物、多目的ホール『センターピュア』の屋上で、大通り側の夜景を眺めていました。普段なら閉鎖されている場所なのですが、今日と明日の二日間だけ、組合や市の計らいで特別に開放しているのです。目立つ建物なだけあって、二人以外にもたくさんのカップルがやってきていました。こんなに眺めがいいのですから、人が集まって当然なのかもしれません。

「こーやって見っと、繁華街って結構でかいんやなぁ」
「―うん」

心此処に在らず、といった風に椿は生返事を返しました。すっかり夜景に見とれているようです。

「…寒ぅない?」
「だいじょぶ」

あまり話しかけない方がいいみたいなので、花火も夜景に傾注することにしました。

街並みが放つネオンの光が、厚くまとった雪化粧をさらに白く見せています。夜とは思えないほど光り輝いて、幾重にも雪で反射する光がぼやけて見えて、夢の中にいるような気分です。その中を歩く、人、人、人。とても仲の良さそうな老若様々なカップル、たのしそうな家族、ヤケクソになって雪に突っ込んでいる男の人たち、サンタクロースの着ぐるみを着た人、嫌そうにトナカイの着ぐるみを着て客寄せをしている人、笑っている人、喜んでいる人―。人それぞれが、それぞれの思いを抱いて、百人十色のイヴの夜を過ごしています。みんながみんな、笑顔で過ごせるわけじゃない。でもサンタクロースは、プレゼントと一緒に笑顔もくれるのです。今日を笑顔で過ごせなくても、明日はきっと、笑顔になれるから。クリスマス・イヴは、みんなに笑顔と安らぎをくれる日…なのかもしれません。

二年前のクリスマス・イヴ。サンタさんは、私に勇気を与え、花火くんと出逢わせてくれました。出逢った日はイヴじゃなかったけど…でも、今でもサンタさんのプレゼントだと思っています。私みたいな臆病で小心者でダメな子が、自分の力で花火くんと仲良くなれるはずがないから。花火くんに言ったら、絶対違うって言われちゃった。―わかってはいるけれど、私はそう信じていたい。

そして、今年のイヴ。サンタさんは、こんな素敵な夜景を与え、花火くんと過ごす時間をくれました。花火くんに言っても違うと言われちゃうので、今回は言いません。私の心の中に、そっとしまっておきます。だって、せっかく夜景を花火くんと一緒に見ているのに、つまらないことで変な思いをさせたくないから。ただ、私がそう思っているだけ。私だけの、サンタさん。

…天国のお母さんも、この景色、見てるのかな? きっと…ううん、絶対見てる。私が冬を好きなのは、お母さん譲りなんだもの。こんな綺麗な景色、見逃すはずないよね。

「椿」
「?」

軽く横に目線を向ける椿ですが、花火は視線を大通りに向けたままでした。

「来年も、再来年も、その次の年も…。この夜景、見に来ような」

唐突故に、その言葉の意味を理解するのには少し時間が要りました。普段の椿なら顔を真っ赤にしてゆでだこみたいになって俯いてしまいのですが、花火の真剣な声色に椿も真剣に応えました。

「―うん」

多くは語らなくていい。たった一言でも、思いは伝わるのです。



楽しかった一日にも終わりが近付いて、二人が家路をたがういつもの十字路も近付いてきました。だんだんと会話が少なくなっていくのは、椿が何だか変で、話しかけてもあまり話が進まないせいです。別れを惜しんでげんなりしているのかと思いきや、不思議に顔を赤らめているのですから花火も何だかよくわかりません。

そんなこんなで、十字路に到着しました。

「…椿、どしたん?」

真っ赤な顔をした椿を心配して花火が言いました。

「あっ、え、えと、なな、なんでも…」
「悪いもんでも食いよったん?」
「ち、ちがう…」

花火が小首を傾げました。でもまぁ、身体に異常があるわけではなさそうなので、

「今日は楽しかったわ」

椿はこくっとうなずきました。

「正月、よろしゅうな」

椿はこくこくうなずきました。

「ほんじゃ、また」
「あっ」

うなずき攻勢だった椿が、いきなり制止の一句を放ちました。

「ん?」

振り向こうとした動きを止め、椿を見ました。しかし、軽く俯いたまま照れて何も言おうとしません。

「なんや?」

花火が催促すると、椿は口を動かしました。でも、何を言っているのかちっとも聞こえません。

「えっ、なんやて?」

軽く耳をそばだてて、身体を屈めて耳を椿に近付けます。

「…」
「聞こえへんて、もちょい大声で、」

花火が言って、ぐいっと耳を近付けた途端、いきなり椿の顔が目の前に来ました。そして、花火が驚きの声を上げるよりも先に、椿の唇が花火の唇と重なっていました。ああ、若いっていいですねぇ。

「!」

いきなりの椿の大胆行動に驚く間もなく椿は唇を離して、真っ赤な顔のまま、

「おやすみっ」

自宅に向かって逃げるように走っていきました。

取り残された花火は、呆けた顔のまましばらくその場に突っ立っていました。