ピンポーン。
ん?
客の姿が見当たらない。
…まさか、泥棒!?
と思ったら、カウンターの陰で見えなかっただけだった。
小さな女の子が、パジャマ姿でご来店。
…って、泣いてる!?
ぐずぐず泣きながらとぼとぼ歩いて、入り口のマットの上で立ち止まってしまった。
ど、どうしよう。
外で親とケンカして、先に入ってきてしまったのかもしれないし。
かといってこのまま様子見していられるような状況でもない。
うーん…。
考えている暇はない。
「大丈夫? どうしたの?」
カウンターから出て、女の子のそばで目の高さが合うようにしゃがみ込む。
返事はなかったけれど、ハンカチを差し出すと受け取って、慣れない手付きでぐしゃぐしゃと涙を拭った。
鼻水も、べっちょり付いたけど…。
「お化けがいたの?」
ふるふる。
「変な人におっかけられた?」
ふるふる。
「迷子になっちゃった?」
やさしく訊くけれども、顔を横に振るばかりで何があったのかはわからずじまい。
なかなか泣き止んでくれないし、こんなところに突っ立っていられても困るし…。
「じゃあ、とりあえず奥行こっか?」
女の子はうなずきこそしなかったけれど、私が先導するととぼとぼと付いてきた。
レジ奥の控え室は決して居心地の良い所ではないけれど、店内で立ち話をするよりかはマシだと思う。
店員用のちょっと良い事務椅子に女の子を座らせて、私はパイプ椅子に座った。
ぐすんぐすん、泣き続ける女の子。
まいったな、せめて泣き止んでくれないと…。
こういう時は何かであやすのが一番手っ取り早いかな。
身を削る思いで自腹でマシュマロを買って、
「どうぞ」
封を開けて女の子に差し出す。
「―ありがと」
小さかったけれど、初めて声を聞くことができて、なんだかホッとした。
おいしそうに食べる女の子においしいか尋ねると、心なしか少し元気にうなずいた。
いや、さすがに年端も行かぬ女の子に廃棄の商品を食べさせるのは心苦しかったので…。
マシュマロを半分くらい食べたところで、女の子もほとんど泣き止んでくれたようで。
「大丈夫?」
「…うん」
「そっか。よかった」
ちょっと間を空けて、
「お名前、訊いてもいいかな?」
「…はら、ゆうみ」
「ゆうみちゃんか。かわいい名前だね」
あ、少し照れた。かわいい。
「今日は、一人で来たの?」
「うん」
「こんな遅くに、怖くなかった?」
「…怖かった」
「そっか。もう怖くないから、安心して?」
ゆうみちゃんがうなずいてくれたので、偉い偉いと頭を撫でてあげたらくすぐったそうだった。かわいい。
っていうか私、なんで迷子センターの係員みたいなことをやっているんだろう…。
「お父さんかお母さんは、お家にいる?」
「…うん」
「ゆうみちゃんがお出かけしてること、知ってるかな?」
「わかんない」
「そっか」
ちょっと考えてから、
「お家の電話番号って、わかる?」
ゆうみちゃんは、残念ながら顔を横に振った。
「ここからお家までの道は?」
ゆうみちゃんは小首を傾げた。どうやら正確な経路はわからないらしい。
どうしよう。
家に電話をして、親に迎えに来てもらうのが最善策なんだろうけれど、番号はわからないし。
家までの道のりがわかったところで私はお店から離れられないし。
警察に引き渡すのはかわいそうだけれど、かといって私一人の判断で女の子の身柄をどうこうできるってものでもないし。
はぁ…、どうしよう。
私が黙り込んで考えあぐねていると、
「あの…」
「ん? なに?」
聞き返すが、黙ってしまった。
ゆうみちゃんはさっきよりも俯きがちで、何か言いたいのだけれど、ちょっと言い出しにくい、そんな雰囲気。
なるほど、ここはズバリ訊いて欲しいんだ。
そういうのは大人の仕事、ちゃんとリードしてあげなきゃ。
「ゆうみちゃん」
「?」
「どうして、お家出てきちゃったのかな?」
「あ…」
ヒット、したみたい。
少しの間もじもじしていたゆうみちゃんは、ようやく口を開いた。
「パパと、ママがね…、ケンカしたの」
「うん」
「あたしのことで、よくケンカしてて、あたしがいつも、止めるの」
「うん」
「でも、今日は…、やめてくれなかった」
「うん」
「あたしがいなければ、パパもママも、仲良しでいてくれるから、お家、出てきたの」
「うん」
「でも、お外真っ暗で、行く所もなくて、怖くて、怖くて…ッ」
我慢していたみたいだけれど、ゆうみちゃんはやっぱり泣き出してしまった。
「大丈夫。もう、大丈夫だから」
泣きじゃくるゆうみちゃんを抱きしめてあげて、ヨシヨシしてあげる。
そういう私も少し泣いているけれど。
だって、こんな悲しい親孝行、聞いたことがない。
こんな親思いのやさしい子に、私は初めて出逢った。
私がゆうみちゃんの境遇だったら、どうしているだろうか。
わからない。
平凡な娘の親なので、とても平凡だったし。
人並みの夫婦仲だったし、人並みにケンカもしていた。
でも、娘の仲裁が必要なほど激しいケンカに出くわしたことはないし、たぶん、したこともないのだろうと思う。
だからこそ、ゆうみちゃんのしたことは間違っていると思う。
故に、悲しい。
悪いのは全て親であり、ゆうみちゃんが負い目を感じる必要などどこにもないのだから。
それでもなお、自らを犠牲にして夫婦仲を保とうとするゆうみちゃんは、むしろやさしすぎるくらいで。
あぁ、考えていたらもっと涙が出てきた。
どうしてこんなやさしい子が、こんな思いをしなきゃいけないんだろう。
せめて、私みたいに平凡な人生を送れたら。
私には抱きしめてあげることくらいしかできないけれど。
これで少し、私の平凡を分けてあげられたらいいな、なんてバカなことを考える。
バカでもいい。
この子が少しでも幸せになれるのなら。
ピンポーン。
おぉっと、来客だ。
「ゆうみちゃん、ごめんね。すぐ戻るから」
ちょっと名残惜しいけれど致し方ない、ゆうみちゃんから離れてお店に出る。
あぁ、そういえば泣き顔のままだっけ。いいや、別に。
「あっ、すいません!」
控え室から出てきた私に、猛烈な勢いで男性が話しかけてきた。
サラリーマン風の男性で、慌てていたのかパジャマのまま。
「ウチの娘、来てないですか!?」
相当慌てているのだろう、ウチの娘だなんて、それ以前にあなたがどなたかわからないのですけれど…。
…って、娘?
「えっと、娘さんのお名前は?」
「結実です!」
ゆうみ。
わぉ!
すぐに控え室に戻ってゆうみちゃんと呼んでこようと思ったら、控え室のドアが開けっぱなしであったために会話がモロに聞こえていたらしく、
「パパッ!」
ゆうみちゃんが飛び出てきた。
「結実!」
そして、いわゆる感動の再会、と。
めでたしめでたし。
…あれ?
この二人、見覚えがある。
…あぁ!
アイスの親子だ!
それからしばらくしてゆうみちゃんのお母さんもやってきて、ペコペコペコペコお礼をされて逆に恐縮してしまった。
両親はすっかり仲直りして、これからはケンカをしないように家庭内ルールを作ったりして努力していくとのこと。
これでゆうみちゃん、幸せになれるかな。
ちなみにゆうみちゃんがウチのお店に来た理由は、他に行く当てがなく、深夜に営業しているお店はここしか知らなかった上、以前の真夜中にアイスを買いに行くという非日常的な体験のおかげで印象に残っていたからだそうだ。
どんな理由であれ、ウチのお店を頼りに来てくれたのは嬉しい。
みんなが頼りにしてくれる、そんなお店になっていければいいな…なんて、給料命のアルバイターが言えたことじゃないけれど。
そうそう。
帰り際、ゆうみちゃんはお詫びの印にとお父さんに300円のアイスを買ってもらっていた。
めでたしめでたし。