ピンポーン。
がっつりとコートを着込んだ若いカップルがご来訪。
今時分珍しく、女の子は耳当てを身に付けている。
靴の裏に付いた雪を軽く落とすと、二人は店内を巡ろうとはせず、まっすぐレジ前に向かった。
レジ脇にあるおでんコーナーで、メニューを指差しながら楽しそうに喋っている。
特に耳当てさんは、まるでトイザらスで誕生日に欲しい物を買ってもらえる子供のようなはしゃぎをその控えめな笑顔にたっぷりと仕込んでいるカンジで、まずコンビニで拝めそうにないその表情はどこか新鮮だった。
やがてメニューが決まったらしく、男の子が、
「すんまへん、おでんええですか?」
「はい」
とかなんとか冷静に応対する私だけれど、内心驚いていた。
生まれて初めて生の関西弁を耳にしたからである。
関西弁とは言うけれど、普通な私は関西弁と大阪弁の区別が付かないので、大阪圏も含めての総称と思われる『関西弁』で統一している。
関西弁を耳にする機会の大半はテレビで、特にお笑い芸人のそれ。
ネイティブ関西だけならいいのだけれど、ウケを狙って関西人でもないのに都会人が似非関西弁を使っていたりするからややこしい。
あいにく関西弁と似非関西弁を聞き分けられる耳は持っていないので、普通な私がそうなのだから、大半の一般視聴者にとっての関西弁は自然のものとは大きく異なっているに違いない。
だから私は今、脳内にインプットされている関西弁と、関西弁さんの関西弁が似ているようで全然違うことに驚いたのだ。
しかも、どういうわけか彼の関西弁の方がネイティブのものだと、私の認識している関西弁が間違っているのだと瞬時に思った。
関西弁というものはそれほどに説得力があるのかもしれない。
そして、関西弁に今まで感じたことのない馴染みやすさを覚えた。
関西弁は野蛮でおおざっぱに感じるという人もいるけれど、私はそうは感じない。
都会人が似非関西弁を使いたがる気持ちも、全くわからないでもなかった。
私も関西人に生まれていれば、貧乏じゃなかったかもしれないし…。
「器はいかがしますか?」
カップルかそれに近しい関係に見えたので、おでんの器は大容器一つにまとめても構わないだろうと考えたけれど、実際に二人がどのような食べ方をするかはお客様の自由なので一応は伺わなければならない。
「あ~…、どする?」
「出汁飲む時、大変だから…」
「せやな。ほな、小さいのん二つで」
かしこまりました。
まぁ、カップルストローじゃないんだから大容器で仲良く出汁をすすり合うなんて誰もやらないか。
「えーっと、つくねとこんにゃくと玉子」
関西弁さんの注文は早かった。
カップ(小容器)におでんを入れ、最後にだし汁を注いでいると、
「あ、つゆ多めで」
と追加注文。
確かにおでんのだし汁はおいしいから大盛りにして欲しい気持ちは痛くわかるけれど、後で足すのが面倒なので店員側としてはあまり嬉しくない。
なんて、隙あらばだし汁を盗みすくってすすっている私が言えた身分ではないけれど。
「んと…、はんぺんと、」
「はい」
「餅巾着と、」
「はい」
「玉子、ください」
耳当てさんの注文はゆったりとして聞き取りやすく、すごく相手のことを考えているなと思った。
一つの注文のたびに適度な間を空けて、確認の返答も入れやすかった。
やや声が小さいのが残念だけれど、そこは"女の子らしさ"という形容が美しいだろう。
「620円になります」
金額を述べると、私が払うだのワイが払うだの定番のやり取りが始まった。
結局310円ずつの割り勘になった。
「袋はお使いになりますか?」
「あ…、いいです」
耳当てさんがやんわり断った。
エコか。うん、エコはいいよね。
袋を出して入れるのが面倒なわけでは決してない。
会計を済ませ、二人はそれぞれおでんのカップを持って退店。
袋を断った時点で予想はしていたけれど、やはり二人は駐車場のコンクリートの車止めに腰を下ろした。
特にお互い"あーん"をしたりはしなかったけれど、仲睦まじそうに何か話していた。
きっとおいしいねとかうまいなとか言っているのだと思う。
店内からでは声も聞こえないし後ろ姿しか見えないけれど、なんだかすごく、幸せそうに見えた。
店に訪れるカップルのほとんどは、時間帯のせいかチャラチャラしたカンジだったりヤンキーみたいなのだったり、カップルでいることに疲労感を感じているような人たちばかりだった。
それらに比べたらこの二人、いっそ新婚夫婦に近かった。
ベタベタするでもイチャイチャするでもないのに付かず離れずなところなんかもう。
こんな光景、誰が見たって幸せそうだなぁと思うはずである。
特に私みたいな未婚の普通の女の子は。
いや、恐らく二人も未婚だろうけれど。
うらやましいな、と思う。
私もいつか、あんな風になれたらいいなとぼんやり思うけれど、きっとお金を支払うのは私ではないなと明確に思う。
と、関西弁さんがこんにゃくを口に運ぼうとしたところで箸が滑り、雪の上に落とした。
口に付けた瞬間のように見えたから、予想外に熱かったのかもしれない。
二人は笑った後、どうしようかと考え、関西弁さんが落としたこんにゃくを逆箸で掴んでカップのフタに載せた。
そのまま店内に戻ってきて、
「すんまへん、コレ落としてもーたんですけど…」
「あっ、はい、処分しておきますね」
こんにゃくをフタごと預かって、代わりのフタを渡そうと思ったけれど要らなさそうだったのでやめておいた。
やがて二人はだし汁まで飲み干し、カップをゴミ箱に捨てて帰っていった。
―さて。
このこんにゃく、洗って食べようか否か。
あ、でもそれだと関西弁さんとの間接キスになってしまう。
耳当てさんにバレたら、地味に泣かれちゃいそうだからやめておこう。
…悲しい悩みよな私。