「あ~…あっつぅ…」

窓辺のカーペットに大の字に寝転がり、窓を全開にする。風は微風、涼しさは感じられない。
その代わりにやってくるもの。雲一つない真っ新な空から降り注ぐ、紫外線に満ちた太陽の光。
暑さが嫌いなオレがこうしている時は、どうでも良いというサインだ。ダラダラ過ごすサインだ。

真っ白な天井を何も考えず、ボケ~っと見ていた。…すると、上方からヒョコっと顔が飛び出してきた。

「キ~ト♪」
「ん?」
「暑い?」
「…暑すぎる。エアコン求む」
「ダ~メ、電気代かかるもん。夏は暑くて当然なのッ」
「殺生な…」

目をつぶり、少しでも暑さを紛らわそうとする。もちろん焼け石に水、体感温度は増すばかり。

「あ、そだ」

千夏はスッと立ち上がり、台所へ向かった。様子を見る事はできないが、蛇口から出る水の音と
冷凍庫から取り出したブロック状の氷がぶつかり合う音。耳から伝わる清涼感、心地良い。

氷のカラカラという音とともに、千夏が大の字になっているオレの横にヒザ立ちで座った。
洗面器の中には氷がたくさん入った水と、ハンドタオル。横目に見ているだけで冷たそうである。

「ん…」

千夏の手の動きを目で追う。タオルを持ったまま、半ズボンで丸出しなオレの足にそれを当てた。

「おおぅ」

あまりの冷たさに驚き、声が出てしまった。マヌケ声で。

「冷たい?」
「あぁ、冷たい」

冷え冷えのタオルでオレの身体を拭いてくれる千夏。火照りがどんどん薄れていく…。

「気持ちいいでしょ?」
「ん~…イイ感じだ…」
「これ、夏場にお父さんにやってあげると喜ぶんだよ」
「…お父さん、か…」

足を、腕を、首筋を、地蔵の汚れを落とすかのように丁寧に拭いていく。
露出している部分は全て吹き終わり、残すは顔のみ。…顔のみ?

「…千夏」
「ふぇ?」
「顔もか?」
「うん」
「…まぁ、いいか」

おでこ、頬、アゴ下、鼻…丁寧に丁寧に拭いていく。拭きづらい小鼻はタオルを指で尖らせてゴシゴシ。
アブラぎってたから気持ちいいな。冷たいし、気分は最高だ。…この強い日差しさえなければなぁ…。

「はい、おしまい」
「サンクス~…」
「気持ちよかったでしょ?」
「んぁあ」
「だ・か・ら」

千夏はまた上方から顔をピョコっと出し、ニコッと笑った。

「お昼ゴハン♪」
「…もうそんな時間か…」

仰向けになり天井を見ていた顔をさらに上に向け、時計を逆さまに見た。12時を過ぎている。

「ん~じゃ、作りますか」

暑さで疲れた身体を起き上がらせ、台所へ。この暑さだ、涼しいものでも食べよう。
涼しい食べ物の代表格と言えばソーメンだな。手間もかからんし、さっさと作っちまおう。

…はい、完成。

「ソーメンできたぞー」
「わ~い♪」

早く食べたい。暑さを忘れ、準備を急ぐ。…準備完了。

「いただきます」
「いただきま~す!」

オレよりも先に麺をつつく千夏。オレとソーメン、どっちが好きなんだ…?などと疑問も浮かぶ。
女のコらしさを忘れて豪快にソーメンをすする光景を見る限り、ソーメンの方が好きなんだろうな…。

…結局、千夏に7:3の割合で食べられてしまった。腹八分目が良いと言うが……全然足りない…。

「千夏ぁ…」
「ふぇ?」
「…なんでもなーい」

千夏は小首を傾げつつ食べ終わった食器を台所へ持っていき、洗い物を始めた。置き洗いはしたくないらしい。
一方、オレ。さっきと同じようにまた窓辺に大の字になり、ボケ~っとしていた。いっそウシになってやる。

…しばらくボケー。

「キート♪」
「ん?」

三度上方から顔を出す千夏。

「せっかくの休みなんだし、どこか行かない?」
「せっかくの休みだから休むんじゃんか…」
「ダーメ、身体がナマっちゃうもん」
「無理に動かしたら余計にナマるだけだ…(喋りもな)」
「キートがナマけてるだけだよ。ほら、行こっ!」
「おー…」

千夏に無理矢理引っ張られ、着の身着のまま外へ連れ出された。

「ん~、いい天気」

マンションの廊下、すなわち北側。日が当たるのは基本的に南側のはずであるからして
日の当たらない北側で『いい天気』と言われてもイマイチ ピンと来ないものだ。いい天気だけどな。

階段を使い四階から一階へ降り、マンションから外へ出た。意味もなく歩き始める。

「千夏~…あぢぃよぉ~…」
「これくらいで暑いなんて言ってたら、温暖化の進む地球じゃ生きてけないよ!」
「フロンガス反対~…」

蒸し暑いなんてもんじゃない、直射日光が異様に暑いんだ。肌に訴えかけてくる情熱、我慢できっこない。

「千夏」
「ふぇ?」
「帰る」
「…帰ったらレッカマン没収!」
「さささ、早く行きましょうか」
「うん♪」

レッカマン没収?シャレにならないな。オレから包丁とフライパンを取ったようなものだ。

「…っつーか、どこ行くんだよ」
「…どこ行くんだっけ?」
「は?」
「お外行こうって事しか考えてなかったみたい」

そう言って、千夏は横で微笑みながらオレの顔を覗き込んだ。呆れたというか、千夏らしいというか…。

「涼しいトコ行くぞ。こんな暑いのにわざわざ外出してんだしな」
「涼しい所…どこかあるかな?」
「さぁな。千夏が考えてくれ、ボカぁ暑さで何も考えられないよ」
「むぅ~…キートも考えてよぉ」
「連れ出したのは千夏なんだ、千夏が考えて当然だろ?」
「ふぇ…そっか」

腕を組み、黙々と目的地を考える千夏。

「あっ、そーだ」
「ん?決まったか?」
「川原行こっ、川原」
「川原…あ~、いいかもな。涼しいし、マイナスイオンも大量発生中だ」
「じゃ、川原目指してレッツゴー!」

こんな暑いのに、良くそんなに元気が出るな…と、そんなツッコミでさえもする気力がない。圧巻だ。

広大な田んぼに挟まれたアスファルトの道を、二人の若者が悠然と歩き進む。かたや元気に、かたやダラけて。
田んぼでは農家のオジさんがせっせか作業をしている。こんな光景、東京に住んでた頃じゃ見られなかったな。

…途中、泣きじゃくっている田舎娘…もとい、小さな女の子がトボトボと歩いていた。心配そうに千夏が駆け寄る。

「ど~したの?転んじゃった?」
「……お母さんと…はぐれちゃって…ぐすっ
「そっか…お母さんと…」

千夏、一旦戻り、オレに耳打ちをする。

「この子、交番に届けた方がいいよね?」
「まぁな。それが普通だろ」
「川原に行くの遅れちゃうけど、いい?」
「…ここで『ダメ』なんて言えないッスよ」
「そっか。わかった♪」

また子供の所へ行って事情を話し、千夏は子供と手を繋いで戻ってきた。

「行こっ、交番♪」
「あぁ」

面倒が増えたというのに、何故だか千夏は嬉しそうだった。…まぁ、面倒ならハナから声なんて掛けないだろうが。
川原方面からUターンして街方面へと戻っていく。川原の方に行ったって交番なんかないからな。

相変わらずダラけたオレと、ヤケに嬉しそうな千夏と、心なしか微笑んでいるような気がする迷子の女の子。
期せずして組み合わさったこの三人。思えばオレと千夏の再会だって、偶然だったんだよな…。なつかしいや。

「あの…」

女の子が千夏に話しかけた。

「ん?なぁに?」
「…ノド…」
「渇いた?」

女の子は小さく頷いた。

「じゃ、飲み物を…」

そう言いながら辺りを見回す千夏だが、畑。畑畑畑。見渡す限り一面畑。自販機はおろか建物の有無さえ怪しい。
着の身着のまま来てしまったが故に水筒もないし、このままでは脱水症状路線まっしぐら。勘弁してくれよ…。

「…キートぉ…」
「そ、そんな捨てられた子のような目で見るな」
「だってぇ…」
「なんの準備もなしに家を出たお前が悪い」
「う~…」

しょんぼりする千夏。というか、泣き出しそうな雰囲気の千夏。…泣かれたら困るぞ。どうする、秋人。

「…千夏」
「ふぇ?」
「ひとっ走り先に行って偵察してくるから、二人は普通に歩いて来い」
「でも…キート、疲れちゃう…」
「女の子二人が困ってんだ、男のオレがどうにかしなきゃカッコがつかないだろ?」
「…んぅ~…」

申し訳なさそうな表情の千夏。言葉が出てこない様子。

「…とにかく、行ってくっから」
「……うん…」

そのまま行こうとしたが、何かを思い出したかのように戻り、千夏の耳元でポソッと、

あとで返してもらうかんね

そう言って、このクソ暑い中 オレは走り出した。千夏がはにかんでいたような気がするが、気のせいだろう。



一方、千夏&迷子チーム。

「大丈夫?足、痛くない?」

女の子は小さく頷いた。

「痛くなったら言ってね?」

女の子はまた小さく頷いた。

…しばらく歩き進めた頃。

「あの…」
「ん?ノド渇いた?」
「あ…そうじゃなくて…」
「?」
「聞きたい事があって…」
「なぁに?」

女の子はワンテンポ間を空け、千夏に問いかけた。

「お姉ちゃん…、あの人の…奥さん?」

思いがけない質問に顔を真っ赤にする千夏。

「ちち、ち、ちがうちがうっ、お、おくさんじゃないよ、おくさんじゃ…」
「じゃあ…どんな仲なの…?」
「ふぇ? えっと…」

『ん~』と言いながらしばし考え込む。

「あの人は…キートは、大切な人。ずっと一緒にいたいって思える人」
「好き…なの?」
「…うん」
「そうなんだ…」

千夏は顔をやや上に向けて物思いに耽り、少女は俯いて考え事をしていた。

少しして、少女がまた千夏に問い掛けた。

「あの…」
「ん?足痛い?」
「あ…違うの…」
「なぁに?」
「あの人とは…どれくらいの付き合い…?」
「ん~っとねぇ…知り合ってからだと、13年くらいかな?」
「え……13年…?」
「あ、13年も一緒にいるわけじゃないよ?色々と事情があって、しばらく会えなくて…」
「会えなかったの…?」
「…色々あって…ね」
「…」

千夏は顔をやや下に向けて物思いに耽り、少女は俯いて考え事をしていた。

「あ、そうだ。お名前、まだ聞いてなかったよね?」
「あ…」

少女は小さく頷いた。

「わたしの名前は『千夏』。アナタのお名前は?」
「…かずよ…」
「かずよちゃん?」

少女はまた小さく頷いた。

「かずよちゃん、かぁ…。 お母さんに会えるまでの間、よろしくね♪」
「よろしく…お願いします…」

歩行姿勢そのままでの挨拶ではあったが、少女はしっかりと礼儀を分かっているようだ。

「ね、かずよちゃん」
「はい…?」
「さっきから気になってたんだけど…どうしてそんなにわたしとあの人の事、聞きたがるのかな?」
「あ…えと…、それは…」
「話したくない?」
「……その…」
「?」

話したくないのかどうなのか、ハッキリしない少女に怪訝な顔をする千夏。

「あ…ねぇねぇ、もしかして」
「…?」
「かずよちゃん、好きな男の子がいるの?」
「…え……? どうして…分かったの…?」
「20年も生きてるとね。そういうこと、分かっちゃうんだ」
「すごい…」

人生の先輩の凄さには誰だって驚くものだ。長い時間を生きているんだから。

「その子、いくつ?」
「同い年…」
「同い年かぁ。 学校は?クラスは同じ?」

少女は頷いた。

「その子とお話しした事はある?」
「ほんの少し…。恥ずかしくて…話せない…」
「う~ん…恥ずかしいかぁ…」

少し間を空けて、千夏が元気に喋りだした。

「恥ずかしいのは最初だけ、一度話し掛けちゃえば大丈夫。勇気出して…ね?」
「…でも…」
「わたしとあの人も、そうだったんだよ」
「お姉ちゃんも…?」
「うん。 小学生の時、あの人が隣に座っててね。お話ししたいなぁって思って、話しかけて…それから、かな」
「……私にも…できるかな…?」
「できるできる!かずよちゃん、かわいいもん。必要なのは『勇気』だよ。頑張って!」
「…うん。ありがと」



千夏的恋愛アドバイスが終わったところで、オレ。

「あぢぃ…」

交番と自販機を求め、全力では無いにせよ走り続けて10分。灼熱の熱波にやられ、体力は限界。
街に近付いたとは思うんだが、交番はおろか自販機すら見当たらない。こんな田舎だったか、ここ…。

「あー…こんな時にケータイがあると便利なんだな…」

千夏と連絡をとろうにもその手段はテレパシー以外にない。ケータイがあったとしても圏外の可能性が…。

グタグタの状態でなんとか歩き進め、街中に辿り着く事ができた。それと同時に自販機を見つける。

「た…助かったぁ…」

自販機の前で足を止め、膝に手を付いて休憩する。相当疲れているのか、コンクリートに落ちる無数の汗。
ポケットに手を入れ、財布を出そうと………(ゴソゴソゴソ)………えぇと……(ゴソゴソゴソゴソ)……。

財布、千夏が持ってる。

言葉にならない脱力感がオレを襲う。思わず地面にシリを付けて座ってしまった。なんてこった…。
熱く焼けたコンクリートの暑さも感じないほどに脱力している。こうなったらしばらく動かないだろうな。

幾分生き残っているオレの探索力を使い、その場で顔を動かして辺りを見回す。人がほとんどいない事が分かる。
来た時には気付かなかったが、恐らくここは街で一番栄えている通りなんだろう。あまり人はいないが。

こんな状況じゃなんの打開策も見出せない。あきらめて千夏の所にもど………、

あの白い壁の建物はなんだ?タマゴの殻か?白旗か?いや違う、交番だ!
残った力を振り絞り、交番に駆け込む。

「す…すいません…」
「あ。なんでしょうか?」
「お金…貸してください…」
「…はい?」



千夏&迷子チーム。次第に街に近づいてきた様子。

「それでね、キートったら一日しかバイト行かなかったんだよ」
「お店の人…怒らなかった…?」
「店長は怒らなかったよ、すぐ次の人が見つかったから。でもね…先輩の人が怒っちゃって…」
「大丈夫だったの…?」
「電話でこっぴどく怒られてたみたい…」
「…かわいそう…」
「一日行って辞めちゃうんだから怒られるのは当然だよ。仕方のない事だけど…ね」

何気ない昔話をしていると、前方から疲労困憊しながら走ってくる一人の男に気付く。

うぉ~い…
「あっ、キート!」

なんだか久々に千夏の顔を見た気がするな…。歳かな、若さ故かな。どっちでもいいや…。

「ご苦労さま♪」
「交番…すぐそこだから……ハァハァ…」
「…だいじょうぶ…?」
「あぁ…心配するな…。これ…飲め…」
「ふぇ?ジュース?」
「『ふぇ』ってなんだよ『ふぇ』って…これが目的でオレは走ってたんだろうに…」
「あ、そっか…そうだったよね。ありがと、キート♪」

千夏に缶ジュースを手渡し、プルを上げてフタを開けた。プシュッという音がノドの渇きを刺激する。
それを女の子に渡し、勢い良くゴクゴクと飲む。相当ノドが渇いていたんだろうな。…もちろん、オレもだ…。

「あれ?」

何かに気が付いたのか、千夏がスットンキョな声を出した。何故やらオレの耳元に寄ってくる。

「ね、キート…」
「ん?」
「一本だけ…?」
「あぁ、そうだが」
「なんで三本じゃないの?」
「…金」
「ふぇ?」
「カネ」
「……あっ…」

小さなショルダーバッグの中身を確認し、サイフを中から取り出す。

「キート、お金持ってなかったんだね…」
「あぁ。ウカツだった」
「このジュースはどうしたの?お金は?」
「交番のポリスマンさんに借りた」
「あ…じゃあ、交番に着いたら返さないとね」
「そうだな…」

ひそひそ話をしていると、いつの間にやら少女が千夏のズボン(と呼んでいいのやら)の裾を引っ張っていた。

「ん?どうしたの?」
「これ…」

そう言って少女は、手に持っていたジュースを千夏に差し出した。

「ふぇ?もういいの?」
「一本しかないんでしょ…?」
「あ…聞こえてた?」

少女は頷いた。

「あ、で、でも、かずよちゃん、飲んじゃっていいよ。ね、いいよね?キ…」

オレに賛同を求めようと『キート』と言いたかったのだろうが、
ヨダレをだらだら垂らしてジュースを見つめているオレを見たら賛同どころの話じゃないわな。

「お兄ちゃん…」
「ん?」
「ジュース…」
「…くれるのか?」

少女はまた頷いた。

「…ゴメンな、買ってきてあげたのに」
「水分取らないと…倒れちゃう…」
「ん…かずよちゃん、だっけ?」
「うん…」
「ありがとな」

少女の頭をナデナデしてあげると、ややくすぐったそうに微笑んだ。
そっとジュースを受け取り、それを口にあて、グビッとノドに流し込む。『生き返った…』と言いたくなる気分だ。

少女は意外とあまりジュースを飲んでいなかったようで、随分と残っていた。残っていた分の半分を飲んだ頃に…

「ん…、千夏」
「ふぇ?」
「飲むか?」
「あ…いいよ、わたしは。ノド渇いてないもん」
「そう言うな。飲みなさい」
「…うにゅ…」

おずおずとジュースを受け取り、おずおずと(グイグイと)飲む千夏。『ぷはーっ』とかわいらしい息を吐いた。

「あ…」

自分の目の前で缶を揺らすが、液体の音はしない。飲み干した証だ。

「ごめん…」
「お前が最後に飲んだんだ、なくなって当たり前だ。気にするな」
「でも…」
「なんなら戻してくれたっていいんだぞ?」
「ふぇ?」
「その時はぜひ口移しでお願いしたいな」
「…むぅ~!キートのばかぁ!」

ポコポコと叩かれるオレと、頬をぷっくりと膨らませて怒る千夏、その光景を見て微笑む少女。
やっぱり変な組み合わせだ。今時分こんなオチャラけたコンビがいるか?…当人が言うのも何だが。