…そして、やっと到着した交番。
先ほど来た時にはいなかった少女の母親らしき人が、落ち着かない表情で待っていた。
「! かずよ…!」
「お母さん!」
感動の再会シーンは…まぁ、言わずもがな。説明する必要もないだろう。
「ありがとうございました…。本当に…ありがとうございました…」
「あぁ…いやいや、オレたちはただ連れてきただけですから…」
こうも頭を下げられると、なんだか妙な気分になってくるな…。
その隙に少女が、千夏のズボン(と呼んでいいのやら)の裾をまた引っ張っていた。
「お姉ちゃん…」
「ん?なぁに?」
「…ありがとう…」
「あ…どういたしまして♪」
千夏が少女の頭をナデナデしてやると、やはりくすぐったそうに微笑んだ。 少女は千夏に何かを差し出した。
「これ…」
「ふぇ?」
差し出された物を良く見ると、それはキーホルダーだった。そう、夏みかんの。
「あげる…」
「え…?どうして?」
「お礼…」
「い、いいよ、お礼なんて…。当たり前の事、しただけだもん」
「あげる…」
「…いいの?」
少女は頷いた。
「では、ありがたく頂戴いたしまする」
千夏はすくうような手の形を作り、そこに少女がキーホルダーを置いた。千夏が『ははぁ~』と深くお辞儀をした。
…で、別れの時。
「もう迷子になっちゃダメだよ?」
「うん…」
「またどこかで会ったら遊ぼうね」
「…うん」
街道の先で待機している母親の元に向かって走っていく少女。…が、途中で止まり、こちらに戻ってきた。
「お兄ちゃん…」
「んぁ?」
「千夏お姉ちゃん…大切にしてね…」
「な゛っ…」
慌てて思わず千夏と目を合わせるが、千夏には聞こえていない様子。
「…あぁ、もちろんだ」
そう答えると少女は嬉しそうに頷き、母親の元へと走っていた。
母親はお辞儀をし、少女は手を振り、親子手を繋いで街道の先へと歩いていった。
「良かったな。無事に届けられて」
「うん…そうだね」
そうは言うが、どことなく寂しげな千夏。気持ちは分からんでもないがな。
「さて…と」
事はまだ終わっていない。やらねばいけない事がある。
「あー…警官さん…」
「はい?」
「さっき借りたお金を…」
…やっと解放され、メインの川原旅へとミッションを移行する。なんだかもう丸一日動いたような気分だ…。
「キート…大丈夫?」
「あ…?」
「疲れてるみたいだけど…」
「あー…暑さにやられてるだけだ、心配ない…と思う」
「そっか♪」
何故だ…何故千夏はこんなに元気なんだ…。この炎天下の中、普通の人間なら潰れて当然なのに…。
千夏には温度感覚がないのか?いや、そんなはずはない。温度感覚が麻痺してたり?…有り得るな。
今日二度目の道のりを、同じ光景を見ながら川原に向かって歩いてゆく。かたや元気に、かたやダラけて。
「…そういえば…」
「ん?」
「夏みかんのキーホルダー…二個になっちゃったね」
「二個?」
「うん」
「…まさか、あの時あげたキーホルダー、まだ持ってたのか?」
「当たり前だよぉ。キートがくれた物は、宝物だもん」
「そうか…。ありがとな」
千夏の頭をポンポンと軽く叩くと、嬉しそうに、くすぐったそうに笑った。…頭撫でてばっかりな気がするが。
…ついに、ついに念願の川原に到達する事ができた。疲労困憊でつい川原の砂利に寝そべってしまう。
「うわぁ~…綺麗…」
千夏が言った。 寝そべったまま辺りを見渡す。それは、今までの苦労を忘れさせてくれるような情景だった。
川の水の涼しさと、マイナスイオンの心地良さ。周囲にさりげなく茂った木々たちが太陽の光を遮ってくれる。
こんな良い避暑地があるだなんて、嬉しい限りだ。少しは夏が好きになれそうな気がしたよ。千夏もご満悦だ。
「キート~、お水冷たいよ~」
「ん…どれどれ」
のっそりと起き上がり、川に近付いて軽く水に手を入れてみる。水の冷たさと、やわらかな水流が気持ち良い。
「お~…いい感じだな。キレイだし、飲めるか…?」
手ですくい、飲んでみる。…本当にこれが水か?と疑りたくなる程うまく、澄み切った味だった。
東京で飲む水なんかとは比べ物にならない。
「お水…飲めるの?」
「あぁ。うまいぞ」
「じゃあ、わたしも…」
同じように千夏も川の水を飲んだ。冷たさとうまさに舌鼓を打っているようだ。
「ふぇ~…お水って、こんなにおいしかったっけ?」
「これが本来の水のうまさだ。今の世の中がその味を殺し、忘れてしまったんだ」
「ペットボトルか何か持ってくれば良かったね。お水、持って帰れたのに」
「あー…その分を飲んでっちまえば同じだろ」
「う~、そんなに飲めないよぉ」
「そうか?」
「そうだよぉ」
と言いつつもがっぽがっぽと川の水を飲む千夏。腹壊さなけりゃいいが…。
…一段落し、まったりムード。べったりと横になるオレと、後ろに手を付いてベタ~っと座る千夏。
「ね、キート」
「ん?」
「横になった気分は?」
「ん~…砂利が涼しいな」
「わたしも横になってみよっかな…。んしょ」
オレと同じように千夏も隣で横になり、ぐぐ~っと背伸びをした。小さく息を吐く。
「ん~…気持ちいいね」
「だろ?」
ただひたすら、何もせず、何も考えず、木々の葉の隙間から見える青空を見つめていた。
雲一つない快晴。夏真っ盛りの8月、さんさんと照る太陽。こうしていると、性に合わず幻想的な気分になる。
「…なぁ、千夏」
「ふぇ?」
「良かったのか?大学」
「…諦めたって言ったらウソになっちゃうけど…でも、学校に行かなくても勉強はできるから、だいじょぶ」
「友達とか、お隣さんとか…別れ、辛かったんじゃないか?」
「ん~ん、そんな事ないよ。会えないわけじゃないもん」
「父親は?」
「ぁ…。お父さんは…お母さんがいるから平気だよ、きっと」
「…やっぱ、引っ越さな」
そこまで言うと、いきなり千夏が手でオレの口を押さえた。
「もう済んだ事なんだから、四の五の言わないの!キートらしくない!」
「ん…そうだな」
何だかんだ言っても、千夏は決断したんだ。オレがとやかく言うもんじゃない。
「東京に住んでたら…キートと一緒に居られないでしょ…?」
「あぁ」
「二人で話し合って決めた事なんだから、ドーンと腰を下ろさなくちゃ。ね?」
「仕送りはないけどな」
「そのためにキートに頑張ってもらうんじゃない。これから大変だけど、よろしくね♪」
「こちらこそ、よろしくな」
横目に千夏を見ると、千夏もこちらを見て目が合った。千夏はクスッと微笑み、また上に向いた。
オレはと言うと、案の定眠気に襲われてしまい…あぁ、さようなら現、カモン夢…
…ZZZzzz…
「キーィト~!おっきろ~!」
「…んぁ?」
千夏の大きな声で目を覚ました。横から顔を出す千夏が目の前に現れる。
「いつまでも寝てると風邪ひいちゃうよッ」
「…起きます…」
上半身をムクッと起こすと、そこは川原。…あぁ、川原に来てたんだっけか。
「あんまりのんびりしてると暗くなっちゃうから、お買い物して帰ろ♪」
「あー…了解~」
だらけた身体にムチを入れて立ち上がる。うは…腹減ったな…。
………ん?
「ふぇ…キート、どしたの?」
「あ…?あ、いや、なんでもねッス」
「お買い物♪お買い物♪」
なんだったんだ、今の…。森の奥が光ったような…。寝ぼけてるせいかな。
同じ道を通り、街中のスーパーに向けて歩き出す。この道ももう二往復目だ。
位置的には家よりスーパーの方が遠いから、寄り道というよりは買い出しなんだよな…。
空はだんだんと赤みを帯びていく。時間が経つのは早いな…と、昼に家を出たのだからそうでもないか。
「ね、キート♪」
「ん?」
千夏がオレの腕に抱きついてくる。やたら上機嫌なのは気のせいか?
「今日の晩ゴハン、カレー食べたい♪」
「カ…カレー…?熱くないか?」
「暑い時に熱いものを食べるのが夏だもん」
「じゃ、ボクは別メニューの方向で…」
「ダーメ!キートもカレー!」
「…はい…」
冷し中華を作る予定だったんだがな…千夏のお願いじゃ断れないよな…。
…スーパーに到着。入店し、カゴを取る。
「じゃがいも、ニンジン…あ、トマトも入れよ♪」
「トマトも?」
「うん」
「水っ気が増えて食べにくくなりそうだが…なんとかするか」
「よっ!頼りにしてるよ、料理長!」
「ンな事言われてもな…」
冷し中華の材料を泣く泣く通り過ぎ、カレーの材料やその他の食料品をカゴに入れていく。
「え~っと…肉肉…肉は…」
「あ、お肉はいい。お野菜だけで充分だよ」
「…はい?」
「ふぇ?」
「……いや…なんでもない…」
野菜たっぷりなのはいいが、肉なしか…。ボリュームに欠ける気がするが、そこもまたなんとかしよう。
「牛乳牛乳~♪」
「おぃおぃ…3本も買うこたないだろ」
「牛乳いっぱい飲まないと、身長伸びないんだもん」
「…もう伸びないよ、千夏…」
「なにか言った?」
「イイエ。ワタシハケッシテナニモ」
「そっか」
聞こえてたら何されるか分からない上に、千夏の事だからショックで沈みそうだ。内密に。
…ん?
「ふぇ?キート?」
「…あ?」
「どしたの?」
「…なんでもない…」
「うにゅ…?」
あの人……まさか、な…。
「気になる事でもあるの?」
「んにゃ?別に」
「川原でも変だったから、何かあるのかと思って…」
「気にすんな。最近老化が激しいから、色々と気になるんだよ。…多分」
「もしかして、食べたいお菓子でもあるの?」
「いや…お菓子は食べたいが、節約せんと」
「大丈夫だよ、お菓子の一つくらいなら」
「いや、だから。 …まぁいいや、一つくらい買ってくか」
「うん♪」
お菓子食べたいのって、オレじゃなくて千夏なんじゃ…?
レジで会計を済ませ、買った物を袋に詰め、それを持って店を出た。牛乳3本が重い…。
「ぬぁ~…おーもーいー…」
「がんばれ~!家は目前だよ~!」
「まだ店出たばっかだろ…」
「あ…そっか。がんばれ~!」
「…なぁ」
「ふぇ?」
「…っ…頭にトンボ留まってるぞ」
「え?トンボ?」
とっさに千夏が頭に手をやると、驚いたトンボは一目散に飛んでいってしまった。
「あれ…逃げちゃった…」
「そりゃそうだ。オレだって、ゴジラに触られたら逃げる」
「ふえぇ、例えがヘンだよぉ~」
千夏は微笑みながらそう言った。…本当はトンボのツッコミをしたいんじゃなかった。
「袋持ってくれ」と言いたかったんだが…女のコに持たせられるわけないよな、男なら。
「おーもーいー…」
家に着くまでの間、終始そう言っていたキートくんなのでした。…重。
家に到着。玄関を開け、ドカドカと入る。
「ただいま~」
「た…ただいま…」
袋の重さに乗ってズンズンと音を立てながら歩き、台所にドサッと置いた。重かった…。
「おろ…もう6時か」
「キート~、ゴ~ハン~。お腹すいた~」
荷を降ろしたばかりだと言うのにメシの催促をしに身体をぶつけてくる千夏。
「んぁあ、待て待て、すぐ作ってやるから座ってなさい」
「は~い♪」
千夏はストンとソファーに座り、楽しそうに足を揺らしている。
台所の前に立ち、調理の準備も万端。さて、千夏のご注文は…カレー?
「千夏、ちょっといいか」
「なぁに?」
「カレー、作るの時間掛かるぞ」
「え~、すぐ作ってよぉ~」
「だぁ…ワガママを言うな、冷し中華ならすぐ作れたのに」
「ふぇ?冷し中華?」
「…がどうした?」
「冷し中華、作れる?」
「あ、あぁ…材料はなんとかギリギリあるにはあるが」
「じゃ、冷し中華♪」
「な゛っ…」
「ダメ?」
「…分かったよ…カレーは明日な」
「うん♪」
さすがはワガママ姫だ、あっという間に晩飯の献立を変えやがった。
まぁ…希望していた冷し中華になった事だし、結果オーライか。
…(クッキング中。キュウリがないためキュウリなし冷し中華になるな)…
…完成。我ながらなかなかの出来栄えだ。食卓に運び、準備は完了だ。
「あれ?キュウリは?」
「なかったから抜き」
「そっか。じゃ、いっただっきま~す♪」
「めしあがれ…っと、オレもいただきます」
良くかき混ぜてダシを絡ませる。程よく混ざった後、食す。
「んぅ~、おいしい♪」
「そうか?」
「うん♪」
「いつもと同じ味な気がするけどな…」
「変わらない味だからおいしいの。いつもと同じキートの味♪」
「…なんか、照れるな…」
作った料理をおいしく食べてもらえるんだから、考えてみりゃ幸せ者だな。
「キュウリがないとつけ麺みたいだね」
「マズイか?」
「ううん、ちょっと変わってておいしい♪」
「キュウリなしってのも悪くないもんだな」
「キュウリがあってもなくても、キートの料理はおいしいもん♪」
「…だから照れるって…」
つけ麺とは言い得て妙だな…。確かに、本を正せばつけ麺に具が入ったようなものだしな。
「ごちそ~さま!」
「ごちそう様でした」
しっかりと完食し、ダシ汁だけになった食器を千夏が片付ける。
『わたしはお料理できないけど、お片付けならできる!』と言う千夏の主張に乗っ取っているのだ。
食後はいつものようにまったりとソファーで寝そべる。時にレッカマンを読み返したりもする。
…ZZZzzz…
…ハッ!いかんいかん…まだ8時だと言うのに…寝る……わ…け…には…
…ZZZzzz…
「キ~ィ~ト♪」
突如千夏が部屋から飛び出てきた。
かわいらしいフリフリのパジャマ姿で枕を抱いている、いかにも・・・・なカッコをしている。
「あれ…キート?」
オレ、熟睡しているため反応があるわけがない。
「キート!起きてってばぁ、キート!」
身体をゆっさゆっさと揺らすが、疲れのためか全く起きないオレ。
「うにゅ~…キートぉ~…」
揺する力も次第に弱くなり、ついには諦めてしまった。
「むぅ~…キートのバカぁ…」
そう言いつつ千夏は、オレの頬に軽くキスをした。
「…おやすみ…」
千夏はやや寂しそうに部屋に戻った。明日からまた忙しい一週間が始まるんだな…。頑張れ、秋人。