続・千夏の夏 第七話

「え~、本日の閉店は一時間早めて五時とします」 無理に堅くした店長の一言から、本日の営業が始まった。 「え? なんで?」 と、当然の如く質問するオレ。 「あそっか、秋人さん知らないんですよね」 「お、おぅ」 「今日はお祭りなんです。三浦きっての大イベントなんですよ」 「なるほどな。…それとこれ、どういう関係?」 「どうせみんなお祭りに行っちゃって、六時まで開けてても意味ないんですよねぇ」 やや苦笑いする琴美。そうそう、と店長も相槌。 「そっか、そりゃー気がラクだ」 別に時給制じゃないから労働時間が減るのは単純に嬉しい。 今日一日、一時間早く終わると考えると余裕が生まれるのだ。 「秋人さーん、まだですかぁ?」 「今やってるって!」 昼。ちっともラクじゃなかった。 『祭がある』という雰囲気だけで人は心躍ってしまい、その雰囲気には街全体に広まっていき、 祭に行かない人ですらその雰囲気に飲まれ、外出→外食のパターンにハマってしまうんだそうだ。 経営的には吉日だが、労働者的には厄日である。 だって、実際問題、満席なんて有り得ないもん。 「お疲れ様で~す」 「おぉ、あんがと」 琴美から冷たい麦茶の入ったコップを受け取り、一気に流し込む。あぁ、心底うまい。 結局、昼休みに入ったのは14時を過ぎてからだった。こんな大繁盛が起こるとは夢にも思わなかった。 休憩時間がズレたわけだから、一時間も休憩している暇はなかった。30分で切り上げます、と店長命令。 「まぁ、午後は祭に出ちゃってお客さんも少ないからねぇ」 「去年みたいにもう閉めちゃいます?」 「うーん…、そうだねぇ…。もしお客さんが来たらアレだし、悪いけど、今年は最後まで開けてよう」 「わかりました~」 正直言えばオレだってラクをしたい。だが、ウチの料理を食べに来てくれるお客を裏切るような行為は、 相手も傷付くし、自分も傷付く、だから手抜きはしない。そう思える仕事こそ『やりがいのある仕事』なのだ。 テーブルで座談していた三人の中で、店長がおもむろに語り出した。 「そういえば、この話は琴美さんにもしてなかったねぇ…」 「はい?」 「私と嫁さんが知り合ったのも、サカサカ祭だったんだよ」 「えっ、そうなんですか!?」 「射的をやっていた嫁さんに一目惚れしてね。奥手な私が声を掛けたぐらいだから、それはそれは美しい人だったよ」 どれだけの美貌の持ち主かは伝わったが、射的中の女性に惚れる、ってのはどうしたもんか。 「いわゆる"ナンパ"しちゃったんですか?」 「ははは、今ではそうとも言うねぇ。でも当時は男女関係が厳しかったから、本当は声掛けなんてのは御法度 だったんだ」 「それでも声を掛けちゃうほど、ってわけですね?」 「恥ずかしながら、そうだったんだよねぇ。あの頃は私も若かったよ…」 感慨深げな店長と、人の恋路に興味津々の琴美。話に全く関わっていないオレは、ただの傍観者? 「何言ってるんですか、今でも十分お若いですよ?」 「そうかな? それじゃあ、張り切ってお祭りに行って"ナンパ"でもしちゃおうかな?」 あははははは、と楽しそうに笑う二人をよそに、ぐーすか寝てたオレ。 「じゃあ、五時になったことだから、今日はこれにておしまいです」 「お疲れ様ー」「お疲れ様でした~」 何だか午後はあっという間に終わってしまった気がする。というか、本当に短かった。 二時間半しかなかったのだから。ちゃっちゃと片付けを済ませて、奥で私服に着替えて、 「お先に失礼しまーす」 琴美が先に店を出た。続いてオレも、 「お先失礼しまーす」 店を出た。だいたい店を出るのは琴美が一番、続いてオレ、最後に店長だった。 気を遣っていつも手伝おうとするのだが、毎回必ず遠慮されてしまうので要らぬ気遣いだった。 それをわかっているのだろう、琴美は特に何も言わずに店を出る。決して無礼ではないぞ。 さて、今日はドッと疲れたし、ウチに帰ってどっぷり風呂に― 「あーきとさんっ」 「にゅおっ!」 うわっ、なんつー恥ずかしい声、もうお婿に行けない! じゃなくて。 「ここ、こ、琴美? 帰ったんじゃ、ないのか?」 「はい、あの…、ちょっと」 「?」 そういや、落ち着いて見れば、琴美の顔、心なしか、なんつーか、照れてるというか、赤くなってるというか。 「秋人さん、えと…、これから、お時間が、その、余っちゃったり、して…ません?」 「え?」 「あ、いや、お忙しいんでしたら、、あの、無理にじゃなくていいんです、けどっ」 「…ようするに、ヒマか、ってこと?」 「は、はい、そうですっ」 なぜ琴美があたふたしているかは理解できないが、ヒマか否かを問うているのは理解できた。 「まぁ、ヒマっちゃあヒマだけど…」 「じゃ、じゃああの、よかったら一緒に、」 …一緒に? 「お、お祭り、行き…ません?」 …お祭りに? 「オレと?」 「はいっ」 オレと、琴美が? 一緒に? お祭りに? なんか、こういうのって理由訊いちゃいけない気がする。 でも、やっぱり、気になってしまう。いきなり、なんだ、このタイミング。 そういえば昨日も兄貴のたわ言にフォローを入れてきたし、琴美に対する疑問符が多々ある。 おかしいな。オレと琴美って、仕事の同僚、正確には先輩後輩だし、あれ、違ったっけ? あーもー訳わかんなくなってきた。 悩み顔でいると、琴美もハラハラドキドキな表情でオレを見るので、何かオレの中で巡らす思考全てが 責任重大な気がしてきて余計に考えがまとまらなくなってしまう。あぁ、えぇと、オレが返事を返す番か。 なんだ? 別に焦ってるわけでもないのに、どうも調子が狂う。琴美に影響されたのか? 「別に、行くのは構わない、」 「えっ、いいんですか!?」 そう、別に行くのは構わない。祭に行く、その行為自体には全く気兼ねや気負いはない。ない…けども。 …琴美の溢れんばかりの笑顔を見た後じゃ、途切れたセリフの続きを紡ぐのは気が引けるが―。 「…でも、悪い。疲れてるんだ」 途端、琴美の顔は暗転してしまった。わかってはいたのに、心に鋭い痛みが走った。 「そ… そう、ですよね。今日一番大変だったの、シェフですもんね」 無理に笑顔を取り繕うが、直前まで見せていた物悲しい表情の後だと、その笑顔は余計に痛々しかった。 「いや、ほら、」 「ごめんなさい、お疲れなのに足止めしてしまって。今日は帰ってゆっくり休んで、また明日、がんばりましょう」 琴美特有の語尾のアクセントの強さがなかったことに、事さらに罪悪感を覚えてしまう。 昨日琴美がしてくれたようなフォローをしようとするが、オレにそんな器量はなかった。 「あ、…あぁ」 「それじゃ、さよならっ」 まるで逃げるように、琴美はオレの前から去っていった。 こうなってしまうのは目に見えていた。身体に溜まった疲労は本物だし、今すぐにでも風呂に入って眠りたい。 琴美と伴うかの問題は別として、祭そのものには興味はそこそこあった。場所こそ勤務先ではあるものの、 越してきた身での初めての祭だから、どれ程の規模か、どんな屋台があるのか、見てみたい気持ちはあった。 過去の旅の最中に何度か祭に遭遇したことがあるから、あぁなつかしい、というほどではないが。 琴美と一緒に、という話も、まんざらでもなかった。断る理由はなかったし、悪い気もしない。 断った理由の全ては、疲労の蓄積だった。…でも、何か他の理由もあるような気がしてならない。 とりあえず、帰ろう。 管理人のおばあさんに挨拶して、階段を登って、部屋の前に着いて、いざ構えてからインターホンをプッシュ。 ドドドドドド(来た!)。 ガチャ(よし来い!)。 「おっかえり~♪」 ガツリ、と完璧な体勢で飛び込んできた千夏を受け止められた。 疲れている分、この慣れた抱き心地で感じる安心が一層強かった。 いやしかし、いつも通り飛び込んできてくれてよかった。せっかく構えたのに肩透かしじゃみっともない。 「たーだいま」 無意識の内にノリで『おかえりなさいの云々』までしていた。 と。 「…なんだ、そのカッコ?」 「えへへ、似合う?」 目の前にある千夏の顔のさらに下に見える、襟、肩、胸、全てが洋服ではなかった。 というかもう、まるっきり浴衣だった。活発な千夏に似合う、ピンク地に桜模様の華やかな浴衣だった。 …あ、なんか急にすっげぇ嫌な予感がしてきた。 「似合うけど祭は行かないぞ」 先制攻撃。 「ダメッ、絶対行くの!」 怯まず反撃。 「疲れた」 迎撃。 「行くったら行くのっ!」 カウンター。 「ぜーったい行かない」 もいっちょ反― 「…」 あれ。 いきなり意気消沈して、顔をしょげらせてしまった千夏。 「せっかく買ったのに…」 う。 「井野口さんにお願いして、ちゃんと着付けしてもらったのに…」 うう。 「キートが帰ってくるの、ずーっと待ってたのに…」 ううう。 「ずっとずっと、楽しみにしてたのにぃ!」 「あーぁーわかったわかった連れてってやるから、頼むからココで泣かないで、なっ?」 今にも泣き出してしまいそうな千夏をなでなでしながらあやす。…あぁ、女の涙ってズルイ。 よくよく考えてみればココはまだ玄関の外であって、抱きつきっこも云々も全て、屋外での出来事なのだ。 この期に及んで『ココで泣くな』なんて、不条理にも程があるか。 「…ほんとに?」 「そんなに行きたいなら、地の果てだって連れてってやる」 とにかく千夏を泣き止ますことしか考えていなかったから、トンデモ恥ずかしいことを言ったのにも気付いていない。 千夏はぐすんとひとすすり、 「じゃ、いこっ♪」 「おぅ」 やっぱりこうなった。千夏のわがままは毎度のことだから、もう慣れっこだった。 そして、今なら思える。 琴美の誘いを断ったもう一つの理由は、コレだったのかもしれない、と。 何故か、オレまで浴衣を着せられてしまった。もちろんメンズの渋い一品だが、どうもしっくり来なくて苦手だ。 慣れていないからだろうが、やはり股が分かれていないとスースーして、うーん、しっくり来ない。 じつは千夏も祭の有無は今日知ったばかりで、浴衣もダッシュで買いに行ったそうだ。 で、祭の話を教えてくれたのも着付けをしてくれたのも、イノグチさんという人らしい。 オレとしてはよくも吹き込みやがってと罰当たりな恨みを感じてしまうが、まぁ、千夏が喜んでるなら、いいや。 当然だが三浦までは電車で行く。オレは定期で、千夏は切符を買って。 どういった類の運命のイタズラで一日に二往復もせねばらならんのだ、と不平不満を撒き散らしたいが、 まぁ、千夏が(略)。 こんな夕方に電車が混んでいる、という光景も滅多にお目にかかれない。 浴衣姿もチラホラいるみたいだから、オレたちと同じで三浦の祭が目当てなのだろう。 そして今は、三浦駅を降りて、祭が行われている神社に向かって歩いている。 オレも千夏も駅から職場までの道のりしか知らないが、そこは頭の使いよう、 駅を降りた多くの祭人の後ろを付いていけばいいのだ。浴衣姿もいるし、これなら確実…なはず。 「あ、そうそう、キートに大事なお知らせっ」 「あん?」 「お勤め先、決まったよ♪」 「…なんだ、就職したのか?」 「違うよぉ、パートの話っ」 「あぁー、そんな話もしてたっけ」 ぶっちゃけコロッと忘れてた。 「わたしもこんな早く決まるとは思ってなくてビックリしちゃった。最初に行ったスーパーで即採用っ、だって」 「面接やったんだろ?」 「うん。でもなんかね、ホイホイ訊かれてあっという間に終わっちゃった」 「見込み違いだったのかな、意外にスーパーって人手不足?」 「かもねぇ~」 「もしくは若手なら誰でもよかったとか」 「あ、それかも。他のパートさん、ほとんどおばさんだったし」 「そーだよなぁ、若いのはすぐに上京しちまうんだもん。千夏みたいな若い労働力が貴重なんだろーよ」 「そっか、ならがんばんないとね。お金のためだけじゃなくって、地域の人のためにも、うんっ」 「まぁ、がんばれな」 「はーい」 そうか、千夏も働くのか。家じゃ相当ヒマみたいだし、金も入るんなら、いいことだと思う。 「で、いつから?」 「明日から早速来てって」 「なんか急ピッチだなぁ」 「うん、でもすぐ働きたかったからちょうどいいの」 「…あぁ、最初に行ったスーパーって、いつものあそこか?」 「そうそう、スーパーカマヤツ」 「なるほどな、近くていいじゃん。時給いくら?」 「850円」 「高ッ」 「そお? パートはこれぐらいが普通だよ?」 「アルバイトとおんなじもんだと思ってたから、どんなに良くても780ぐらいが山だと思ってたが…」 「ほら、最近って労働賃率がどーのこーのって騒がしいでしょ? だから、ね」 「オレより儲けられたら凹むな…」 「あはは、それはないよぉ」 等々、四方山話を続けている内に、目の前に長い石階段が現れた。 階段脇にはやわらかな光を放つ提灯が等間隔に吊るされ、頂上に向かって続いている。 そして頂上には、下からではハッキリとは見えないが、人ごみと祭の喧騒と夜闇を照らす灯りが見えた。 「ほらキート、やってるやってる! 早く行こーよぉ!」 「行ってるだろうが!」 と反論するが、身体はすでに千夏に引っ張られて階段にゴツゴツぶつかってる状態だった。 ふと、一つ、嫌な予感を覚える。先ほど千夏に抱いたようなものではない、もっと危機的なもの。 可能性はゼロではない。十分に起こり得る事象だ。起きてしまったら、オレはどうしたらいいかわからない。 "もし、琴美が来ていたら?" …その時は、その時だ。別にオレは悪いことをしてるわけじゃないんだから。何を危惧することもない。 しかし、何か、心の片隅に妙なしこりが残る。 頂上に辿り着いた千夏は、階段を登り切ったところで立ち止まった。 正確には、目の前に広がる光景を見て、感極まっていた。 子供みたいに目をキラキラ輝かせて、たかと思いきや今度は身体をギュッと縮めて、プルプル震えていた。 「…千夏、どした?」 本来なら階段でボコボコになったオレを心配すべきだが、今の千夏にそんなことは期待できそうにない。 「もうねっ、ワクワクドキドキしてたまんないのっ。お祭りってひさしぶりだから、あうぅ~、心臓バクバクッ」 そういうことか。震えてたのは、武者震いだったのか。 「ねっキート、射的やろっ!」 「はいはい」 お祭り騒ぎに大興奮の千夏にまた引っ張られて、祭の雑踏を突き進む。 こんなに千夏が祭で喜んでくれるとは思わなかった。後悔はない、どころか、連れてきてよかった。 階段を登り切った頂上は意外に広く、そこから神社まで直線に伸びる参道の両脇に屋台が連なっている。 参道の長さも思いのほかあるようで、片脇だけでも屋台の数は10弱はある。 イメージ的には、テレビドラマでよく見る田舎の祭そのまんまだった。 ちなみに、この神社の名前は『坂々神社』というらしい。だからサカサカ祭なのか、と今さら納得。 つーわけで、射的。1回3発100円。リーズナブルざーます。 「よーし、嬢ちゃんかわいいから1発オマケしちゃおう!」 「あっ、おじさんありがと~♪」 オレもやることになったが、オマケは千夏だけ。うーん、ひいきだ。 「どっちが多く落とせるか勝負ねっ」 「おぅよ、望むところだ」 早速、千夏の一発目。見事命中、難敵ブタの貯金箱を一撃で撃沈した。 「わ~い♪」 「くそっ、負けてらんねぇな…」 オレも負けじと、大怪獣コジワの貯金箱を狙い、発射。スカーン、と見事に命中。…したのは隣のキャラメル。 「すご~い!」 パチパチパチ。…あぁ、なんて惨めなんだ、オレ。 「大漁大漁~♪」 千夏はオマケでもらった1発も含め全弾命中、貯金箱やブリキのオモチャなどを大量獲得した。 力量を計らずかわいさだけを見てオマケした店主は、だいぶ痛手を食ったみたいだった。 「キャラメルおいしいなぁ…」 どうせオレはまぐれヒットのキャラメル男さ。 「あ、ねぇ、お面買わない?」 「はぁ?」 「ね~ぇ、おーめーんー」 「お前なぁ、いい歳してお―」 何気なくふと見た、最寄りのお面屋の最下段、最も目立たない場所に貼り付けられているお面を見て、 「うぇ!?」 あったのだ。 「うぇええぇぇえぇえ!?」 有り得ないものが、あったのだ。 「あ、あの、これ、買いますっ!!」 あったのだよ、レッカマンのお面が! 「いやー満足、もう帰ってもいいや」 「帰るのはダメだよぉ」 「あぁ、そっか、ははは」 田舎の祭って大好きだ。普通のお面屋でレッカマンなんつード古い作品が置いてあるわけがない。 オレがたった今手に入れたお面は保存状態が良くて、全品一律200円が惜しいほどの高い価値を持っている。 宝物が手に入った、とご機嫌なのだ。千夏が買ったのは何だかよくわからないかわいい動物キャラ。 「嬉しい?」 「もー最高」 「よかったね、来た甲斐があって」 「あー、千夏も喜んでくれたしなー」 「…へ?」 「あ…、いや、えぇと、」 もう手遅れだった。嬉しそうに顔を赤らめる千夏が、かわいかった。 そのあとも、色々な屋台を回った。金魚すくいもやったし、イカ焼きを食べたし、たこ焼きも食べたし、 スーパーボールすくいもやったし、らくがきせんべいも―、ほとんど全部だった。 全てを回り終え、そろそろ帰宅の途につこうとしていた刹那、どこからともなくスピーカーボイスが聞こえてくる。 スイッチを入れた時のガガッて音と、マイクテストのあーあー、続いて、 『えー、お待たせいたしました、間もなく花火の打ち上げを行いたいと思いまーす』 突如、祭広場全体で歓声が沸き上がる。と言っても耳をつんざくほどではないが。 「キートッ! 花火だって、花火!」 「あぁ」 『今年は花火師の皆様や町役場の尽力、町内会のご協賛のおかげで、去年の半倍、30発を打ち上げまーす!』 また一斉に、歓声が沸き上がる。町規模の花火だと、30発でも精一杯なのか。 大規模の花火大会だとン万発だのン千発だのが当たり前だが、多ければいいってもんでもないよな。 「ね、ねぇ、どっちにあがるのかな?」 「オレが知るかっ」 新参者のオレたちには、アナウンスの直後すぐにあがるのか、どの方向にあがるのか、全くもってわからなかった。 「およ?」 ! この、聞き覚えのある声は― 「おー、やっぱり秋人くんじゃないか」 「あ、て、テンチョ、」 なんか、プライベートで教師にあった生徒みたいな感じだ。 別に悪さしているわけでもないのに焦ってしまう。わかっていても、焦ってしまう。 そうだ、オレ一人なら何ら焦ることはないのだ。…でも、今は… 「がーるふれんどとデートかい?」 「え、あー、その、」 うわっ、ダメだオレ。 「どーもこの前はわざわざウチの店に食べにきて頂いて、」 「いえいえこちらこそ秋人がお世話に、」 はぁ!? 「ちょっ、オイ、何言ってんだっ」 「ふぇ?」 「ンな母親みたいなセリフ、」 「でもホントでしょ?」 「いやだからってな、」 「はっはっは、本当に仲がよろしいですなぁ」 …誤解、ではないんだけど、えーっと、もう、バレバレだよな? うぎゃー。 「…で。店長、ホントにナンパしに来たんですか?」 「いやいや、散歩がてら寄ってみただけだよ」 「はぁ」 またふと、忘れていたものを思い出す。店長と『ナンパ』の話をしていた、もう一人の渦中の女性。 「あの、来てないんですか?」 「ほ?」 「アレですよ、えっと、琴美」 「あぁ、琴美さんねぇ。私も来たばかりだし、見かけてないけど…」 「あー、そスか」 来ていない、という確証はないけど、ひとかけらでも情報があれば安心要素にはなる。 「琴美さんがどうかしたのかい?」 「いや、別に、深い意味は」 「そーですか。…それで、お二人はこれから花火を?」 「あ、はい、でもどこで見たらいいのかわかんなくて…」 オレではなく千夏が反応した。すると店長は少し考えてから、 「お気に召すかわかりませんが、オススメの"びゅーぽいんと"がありましてな。よろしかったら―」 「あ、じゃあぜひそこ、お願いしますっ」 「ではでは、僭越ながらご案内させていただきます」 というわけで、店長に連れられて、曰く『びゅーぽいんと』に向かうこととなった。 参道を抜け、祭広場の周りに鬱蒼と茂る雑木林を突っ切るように歩く。空はすっかり暗くなって、 林の中はやや不気味な空気が漂っている。足元が道になっているだけまだマシだった。 「店長、なんでこんなトコ知ってんですか?」 「うーん、私も伊達に長生きしてないからねぇ」 「はぁ」 不意に、千夏がオレの服の背中を引っ張った。 「ん?」 「なんで琴美さんのこと気にするのっ」 うわっ、なんか誤解されてる、物凄い剣幕だ。 「か、勘違いすんなって、なんとなく訊いただけだ」 「…ホントに?」 「あぁ」 「ホントのホントに?」 「オレを信じろ」 「…そっか。そだよね。ゴメンね、キートが浮気するわけないもんね」 「お…、おぅ」 誤解は解けたけど、なんか複雑な気分。あぁバカ、バカオレ。 「着きましたよー」 店長の気の抜けた声とともに目の前に開けた光景は、絶景だった。 三浦町の市街地どころかそのさらに周囲の農地、山岳も一望できる、まさに『べすとびゅーぽいんと』。 ちょうど斜面の出っ張りに作られた見晴台のような場所だから、下を見てはいけない。 その絶景に見とれることしばし、千夏がハッと気がついて、 「あっ、店長さん、ありがとーございましたっ。こんないい所教えてもらっちゃって」 「いえいえ、喜んでもらえれば光栄ですよ」 オレも気付いて、 「ホントすいません、オレたちのために時間取らせちゃって」 「いいのいいの、若い二人が喜ぶなら老いぼれはなんでもしますよ」 あぁ、完全にバレてるのね…。 「それじゃ、邪魔者は去るとしますかな」 「え? 店長も一緒に、」 「はっはっは、そんな野暮なマネはできませんわ。では秋人くん、また明日」 「あ―」 更なる制止も言えぬまま、店長は帰ってしまった。 「気を利かせてくれたんだよ」 「まぁ、そうだろうけど…」 「周り、誰もいないし」 ふと周りを見渡せば、ひとっこひとりいない。そりゃそうだ。ただでさえ林を抜けた奥地なのに、 斜面ギリギリという環境では、ココ以外に人が集まれるような場所はありっこないのだから。 と、いうことは。 「ふたりっきりだね♪」 「…」 「ね?」 「お…ぅ」 いきなり訪れた漫画みたいなシチュエーションに照れまくって、もう何も言えそうにない。 林の向こうから、かすかにアナウンスが聞こえる。喧騒はあまり聞こえてこない。 『ただいまより、花火打ち上げのカウントダウンを行います。いきますよー、10、9、8、7、6、5、4、』 千夏もそれに倣って、 「3! 2! 1!」 0! ドッカーン。 オレたちのほぼ正面に開花した、大きな大きな光の花。 真っ暗な夜空に描かれるそれは、とても華やかで、美しいものだった。 観る者全てが惹かれる、咲いては散り、また咲いては散る、儚くも力強い花だった。 「綺麗…だな」 千夏からの返事はなかった。花火の音でかき消されたのかもしれないが、きっとそうではない。 他のものは見ず聞こえず、ただ、空に舞う花火に見入っているのだろう。夢の中にいるような気分なのだろう。 ドッカーン。 次から次へと、様々な模様や色の花火が夜空を色鮮やかに染めていく。 千夏に喜んでもらえて、最後にこんなスゴイものが見れたんだから、満足なんてもんじゃない。至福だった。 そう、千夏に喜んでもらえたのなら、オレにとってこれ以上の至福はない。 数少ない花火はどんどん撃ち上がり、やがて、最後の30発目がやってきた。 『皆さん、最後の一発です! とくと目に焼き付けて下さーい!』 かすかなアナウンスの後、一回り大きな大輪の花が、ドッカーン、と花開いた。 今までのそれよりも一段と強く、強く強く光り輝いて、花は散っていった。 「千夏」 返事はせず、顔だけこちらへ向けた千夏を、両肩を掴んで身体ごとこちらに向かせた。 強い力に少し驚いた千夏だったが、すぐに理解し、肩の力を抜いた。照れて上気した頬が、かわいかった。 千夏の身体を引き寄せ、唇と唇を重ね合った。出勤と帰宅の際のそれとは異なる、愛の結び。 互いを想い合う気持ちが、口付けの時を、二人の時を長くさせた。誰にも邪魔されない、二人の時。 こんなにまともにキスをしたのは、もしかしたら初めてかもしれない。 観覧車の時は、建前ではあるが、泣き止ませるのが目的だったから。 そう考えると、今感じている熱い感情はあの時よりも激しく、なお強く、今が終わらないで欲しいと思う。 しかし、ここで延々このままというわけにはいかない。惜しみつつも唇を離し、互いの顔を見合う。 頬を赤らめて微笑む千夏が猛烈にかわいく思えて、気がおかしくなりそうだった。落ち着け、シェフ。 「…カエ、ロウカ」 「うんっ」 それから二人は、仲良く手をつないで帰った。