続・千夏の夏 第八話

じりりりりりりり…カチッ。

AM7:30。キートが使っているめざまし時計の音を壁越しに聞いて、わたしも一緒に起きる。
本当はまだ寝ていたいけれど、寝過ぎは身体に悪いし、何より、キートが起きているのにわたしが寝ているなんて
キートに対して失礼だもの。それに、同じ時間に起きるというのも、ちょっとしたつながりを感じれて嬉しい。

まだぼんやりする目をこすりながら、部屋のドアを開ける。目の前には朝食をつくるキートの姿。
元気なら抱きついてスリスリしたいけれど、起きたばかりではさすがに元気がなくて無理みたい。

おはよ~…
「はよ」

そんな元気のない身体に活を入れるために、わたしは毎朝シャワーを浴びる。いわゆる朝シャン。
寝ている間にかいた汗を流せばサッパリするし、眠気の残る頭もスッキリさせてくれて、わたしは大好き。

今朝もいつものように服を脱いで、お風呂場へ。最初はあえてお湯で身体を洗って、殺菌効果を高めるの。
まず立ち浴びで身体全体を濡らしてから、シャンプーで―

あれ。ないや。

いつの間に切らしちゃったんだろ。もー、せっかくいい気分だったのに…。
一旦風呂場を出てバスタオルで軽く水気を取り、洗面台の下の戸を開けて予備のシャンプーを取り出す。
また買ってこなくちゃ。今日は安くなってるかな? シャンプーって安くなりにくいからヤだなぁ。

バスタオルを置いてお風呂場に戻り、シャワー再開。中断させられて不愉快な気分をまたシャワーで流す。
そして、シャワーを止めてから新調したシャンプーで洗髪。直接指で頭を刺激するから脳の活性化にもつながる、
ってこの前テレビで言ってたような気がするけど、ちょっと信じがたいかも。

シャンプーの次はトリートメント。髪全体にマッサージするようになじませるといいんだって。テレビで言ってた。
シャンプーと違って泡がのびるわけじゃないから、髪全体になじませるためにはどうしても多めに使っちゃう。
一時期髪を長くしていた頃もあったけど、ものすごくお手入れが面倒だったのを覚えてる。やっぱり短いのが一番っ。

そして最後は身体洗い。東京にいた時から使っているお気に入りのもこもこスポンジで、
節約のために使っているもらい物の石けんを泡立てる。このスポンジ、少しやっただけで泡だらけになるの。
アワアワになったもこスポで身体の隅々までゴシゴシ洗って、キートにスベスベだって言われてやるもん。

身体洗いも終えたら、最後はまた立ち浴び。最初は熱いお湯だったから、最後は冷た過ぎない冷水で。
火照った身体が冷えていく感覚が気持ちよくて、もしかしたら、コレが病み付きになってるのかも?

これにて朝シャンはおしまい。さっき使ったバスタオルで身体を拭って、着替えの服を着て準備完了。
脱衣所を出…っと、るのはまだ早い。わたしはいつも髪をタオルドライと自然乾燥だけに任せていたけど、
それだと髪に良くないってテレビで言ってた。だから今日はひさしぶりにドライヤーを使ってみる。
せっかく冷やした身体が熱風でまた熱くなっちゃうのが嫌いなのだけれど、この際仕方ないか。
…う~、暑い。

髪が乾いたから、今度は髪を結わなきゃ。なんていうのかな、短めのツインテール?にしてゴムで縛る。
のばしていた頃以外はず~~~っとこの髪型。気に入ってるし、簡単だし、髪も邪魔にならない。
寝る時はほどいて、朝シャンの後に結って、また寝る時にほどいてる。

今度こそ脱衣所を出て、キートと朝食が待っているリビングに向かう。

「うわぁ~おいしそっ」
「えびピラフオムライスサラダ付きだ」

キートと反対のソファに座って、もう座った瞬間に、

「いっただっきまーす」

オムライスの盛られた皿を持って、スプーンで大きく掘って一口。
うん、すっごくおいしい。やっぱりキートは料理の天才。…わたしと違って。

「パート何時からだ?」
「んむ…」

もう、キートったらデリカシーないんだから。口の中に食べ物入ってる時に…。急いで飲み込んで、答える。

「1時に来てって。色々と教わらなきゃいけないからね」
「パートってレジ打ちメインなんだろ?」
「ん~、わかんない。若いからってあっちゃこっちゃやらされるかも」
「まぁ千夏ならヘーキだろ」
「むぅー、わたしだって一応か弱い女の子ですぅー」
「一応な」
「むぅー!」

失礼しちゃうっ。プンプン頬を膨らませて、オムライスをがっついて食べる。

「ジョ、ジョーダンだよジョーダン」

冗談だって許さない。わざとらしく、がっついて汚れた口周りを見せ付けてやる。
キートも観念したようで、ため息一つついた後、

「千夏はか弱い女の子なんだから、無理しないよーにがんばってくださいっ」
「はーい♪」

半ば言わせたようなセリフだけど、やっぱり嬉しくなっちゃう。わたしって、魔性の女?

二人とも朝食を食べ終えて、後片付けはわたしの仕事。作るのはダメでも片付けはできるもん。
お皿やお茶碗やコップ、ひとつひとつ丁寧に洗って、次の料理を気分よく食べられるようにしなくちゃ。
わたしが綺麗に洗った食器の上に、キートのおいしい料理が乗るのっ。やっぱり何だか嬉しくなっちゃう。
恋する乙女ってしあわせだなぁ。

キートが出勤するのはだいたい8時50分。開店の30分前には着いてなくちゃいけないらしい。
朝ご飯を食べ終えてゆっくりしてもまだ時間は余ってる。その間に準備したり、ゴロゴロしたりしてるみたい。
わたしからの強いススメで朝シャンを浴びて以来、キートもこの時間を使って朝シャンするようになった。
…いつかは、というか、将来的には、その、一緒に、浴びたり、なんて、できたら、いい、かなって…。

きゃー! はずかしーっ!

「千夏ぁー」
「ふぇ!?」

タイミング悪く、キートがわたしを呼んだ。ビックリして変な声が出た。お風呂場から呼んでいるらしい。
破廉恥な妄想をしてしまった手前、口に出していないのに何故だか聞かれてしまったような気分になって、
懺悔とごまかしの意味合いを込めて、わたしはソファに座っていた身体を立たせてお風呂場に走った。
恥ずかしさで頭がゴチャゴチャで何にも考えずとにかく脱衣所のドアを開け

「おぉ!?」
「?」

なんでだろう、キートが慌てて驚いた。わたしが脱衣所に入っただけなのに。

―あれ? キート、脱衣所じゃなくて、浴室から呼んだんじゃなかったの?

そういえば、なんかたくましさ溢れる肌の露出が多いし、タオルで隠してるし、何も着てないし…。



何も、着てない?

「きゃーっ!」 (わたしって、キャーキャーうるさい?)

超特急でドアを閉めた。ミシッて感じの音がしたけど、気にしない。正確には、気にしてられない。
そうだった。頭の中がゴチャゴチャだったから、勝手に浴室から呼ばれたんだと思い込んでたんだ。
恥ずかしさの波状攻撃で、わたしの身体は朝っぱらから炎みたいに熱かった。

…でも、だいじょうぶ。一応、肝心なモノ、、、、、は、タオルで隠れてたから見えてない。

「あっ、あの、す、すい、じゃな、えと、ゴ、ゴメンナサイ!」

気が動転していて、思わず敬語になってしまった。

「べ、別に、オレもおんなじことしたんだし、謝らんでも…」
「で、でで、でもっ、」

わたしが慌てているのに気付いたいじわるキートは、

「なんだ、男の裸見慣れてないのか?」



「ああ、当たり前じゃない!」
「んじゃ、今の内に見慣れとく?」

!!

「キ、キートのバカッ! エッチ! 変態!」
「わははは、冗談だって」

昨日の夜、あんなことしたばっかりだっていうのに、ホントにデリカシーないんだから…。とわたしは怒る。
でも、キートは別段よそよそしい態度をとったり、恥じらいを思わす態度になったりはしていない。
そうなってるのはむしろわたし。ダメなのは、わたしの方なのかな…。普段通りに接しなきゃ。
―だからって、キートのいじわるを許容するわけじゃないけど。

「でさ、悪いんだけど、着替え持ってきてくれ」
「はぁーい」

軽くドタバタした後だったから、少しスネた風に言ってみた。
わたしの部屋の隣の、倉庫兼キートの部屋。ちょっとかわいそうだけど、お金と部屋がないから仕方ない。
キートもいいって言ってくれてるし、そもそもキート、ほとんど部屋にいないもん。
…もしかして、倉庫兼だから…?

荷物だらけでやや薄暗い部屋の、入ってすぐ左手にあるタンスからキートの着替えを見繕う。
今日はこれがいいかな、でもこっちもいいかな、とちょっとスタイリスト気分になれて楽しい。
選んだ服を持って脱衣所の前に来る。…普通に開けるのは、まずい…よね?
普段通りだとしても、中に人がいるとわかっていたら、ゆっくり開ける…よね?だよね?

顔を背けてゆっくりとドアを開ける。

「キートッ」
「おぅ、サンキュ」

開けたドアの隙間に着替えを持った手を突っ込み、キートがそれを受け取る。わたしはすぐに手を引っ込め、閉めた。
なんでだろ、一挙手一投足全部がドキドキする…。



「そんじゃ、行ってくる」
「あっ、キート、」
「あん?」
「ぁ…、えと…」

いつもの流れで訊ねちゃったけど、考えてみれば、昨日の夜と同じことをしようとしてるんだ。
確かにアレはわたしの毎朝の楽しみだけど、昨日の今日で平然とできるほど、わたしの器は大きくない。
でも、普段通りに接しなきゃいけないんだから、四の五の言ってちゃダメだ。そうだ、体当たりでぶつかってけ。

と言いつつわたしは、まだ恥ずかしさを捨て切れぬ表情で、目をつぶり、唇を差し出す。
キートは何も言わず、しかし普段通りの表情で、『いってらっしゃいのチュー』をしてくれた。
それで何故だかわたしは嬉しくなってきてしまって、でもキートはこれからご出勤なのだ。残念。

「行ってきます」
「いってらっしゃ~い♪」

この嬉しさを声に乗せて、キートを見送った。


さて、ここからは家内の仕事。外で働くキートの為に、内助の功だ。
と言ってもやることはいつもと同じ。洗濯したりお掃除したり、うん、お料理はできないけど…。

まずはお洗濯。夏は汗をかいて着替えるから、どうしても洗濯物が増えてしまう。
でも汗をかくのはいいことだから、わたしなら喜んで洗濯しちゃう。もちろん水道代は節約しつつ。

洗濯物の中には、当たり前のようにキートの服があって、下着もある。嫌がったり?するわけない。
下着は誰だって着てるもの。綺麗な下着なんてあるわけないし、着替えたら誰かが洗濯するの。
汚いなんて言ってたらキリがない。…それに、キートのだもん。嫌なわけない。

そういえばこの前、洗剤と一緒にレモンを絞って数滴入れると汚れが落ちやすいって言ってたけど、
…わたしって、テレビを鵜呑みにし過ぎ?

さすがに節約と言ってもまさか手洗いはしない。電気洗濯機がドラムを回して洗ってくれてる。
便利な時代になったものだ。その間、わたしはいつも通り、ゴザの上で横になってテレビを見る。
勇んで内助の功なんて言ってはみたけど、実際は大してやることがなかったりする。
だからヒマで、だからパートを始めるのだ。

ちなみにわたしはテレビっ子ではない。子供時代にさかのぼっても、部屋にテレビはなかったし、
食事中にテレビを見ることもなかった。というか、お母さんが見せてくれなくて、それに慣れてしまった。
自分からテレビを見たいと思うこともほとんどなかった。ヒマな時は外で遊んでいて、
暗くなったら部屋で宿題かお勉強。テレビなんて、ホント、週に1時間も見ていなかったと思う。

独り暮らしをしていた頃は、一応リビングにテレビがあった。ご飯も観ながら食べていた。
でも、『テレビを観ている』というよりは、『テレビを点けているだけ』という感じだった。
―だって、自分の食事の音しか聞こえないのって、ものすごく寂しいから。紛らわすためだった。

そして今は、ただの暇潰し。独り暮らしの頃よりかは内容が頭に入っているけど、やっぱりおもしろいとは思えない。

周りがテレビの話をしていて、それについていけないのが嫌で、テレビを見ようと思った頃もあった。
でも、周りに合わせるために好きでもないことをする方が、もっともっと嫌だった。
田舎育ちだからかな? 我道を行くっていうか、自分らしい個性を大事にしたかったのかも。

テレビを観ているのにも飽きたから、掃除をすることにした。
でも、毎日ヒマがあるたびやっているもんだから、自宅ながらいつもピカピカなのだ。
だから、そういうわけで、掃除もさっさと終わってしまうのでした。

あぁ、ヒマだ。引っ越して間もない頃は色々とヒマを潰す手もあったけど、今ではそれも尽きた。
早くパートに行きたい。けど、早めに行っても佐波さんに迷惑を掛けてしまうだけ。あぁ、ヒマだ。
予定の13時まであと2時間以上ある。どんなに遅く歩いても15分あれば着いてしまう。
眠る間もないほど忙しい人にこのヒマな時間を分けてあげたい。可能ならば、分け与えたい。
わたしだってキートみたいに(普段はヒマらしいけど)忙しなく働いてみたいもん。

―そうだ。井野口さんチにお礼しに行こう。暇潰しにもなるし。うん、名案っ。

テレビを消して、網戸にしていた窓を閉めて、それなりに余所行きの格好に着替えて家を出た。
家を出たと言っても、井野口さんチは同じマンションの二階だから、あんまり外出って感じはしない。

井野口さんと知り合ったのは、引っ越してすぐの頃、ゴミ出しの時だった。場所はマンションの階段。
何かの都合で溜めてしまったのか、大きなゴミ袋を持って―持ち切れてなくて―大変そうだったので、
ゴミ捨て場まで持っていってあげたのがキッカケ。正直言うと、わたしが持ってもメチャクチャ重かった。
それ以来、お互いの家を訪問するようになったり、お話しするようになったのです。
こんな田舎に若い男女がやってきたという事実も、話題とキッカケとして手伝った。

ちなみに井野口さんは76歳のおばあちゃん。年金暮らしで、旦那様には先立たれてしまったらしい。
長いこと独り暮らしをしていて寂しいらしく、話し相手が欲しかったんだって。
わたしもちょうどヒマで寂しくて、話し相手が欲しかったから、タイムリーなベストコンビの誕生?

井野口さんチの前に到着。インターホンをポチッと押して、中で鳴ったのがわかった。間もなく、

「どなたでしょう?」
「あっ、杉本ですー」
「あぁ~、千夏ちゃんね。ちょっと待ってて」

井野口さん独特のマイペースな喋り方が好き。
ドアがカチャリと開いて、

「こんにちは」
「こんにちはー」
「暑いでしょう、どうぞお入んなさい」
「お邪魔しまーす」

小さくお辞儀をしながら、脱いだ靴をちゃんと揃えて中に入った。部屋の構造は全室一緒らしいから、
何だか妙な違和感を覚える。見慣れた風景なのに家具や小物が違うの。おもしろいやら、混乱するやら。
室内は空調が効いていて涼しかった。暑いのも好きだけど、このヒンヤリした感じも好きといえば好き。

井野口さんチに来るのは、さすがにまだ両手で数えられるほどだけど、引っ越してまだ1ヶ月も
経っていないのだから結構お邪魔している方だと思う。本当にお邪魔になってないかちょっと心配。

「ごめんなさい、いきなりお邪魔しちゃって」
「ふふ、いいのよ。私もお話ししたかったところだから」

アポなしでわたしが押しかける時は、ただの世間話をするという方向で暗黙の了解になっている。
あまり身体を動かすと腰によくないようなので、わたしが出向くことが多いのは言わずもがな。

リビングに通されたわたしは、いつものようにちゃぶ台の脇に副えられている座布団に座った。
だいぶ年季の入ったちゃぶ台で、傷も多く色も深く茶込んでいるが、これはこれで味がある逸品だと思う。

井野口さんが台所で何か準備をしている間、室内をぐるっと見渡してみる。
家具が少なくてスッキリしたイメージを受ける。独り暮らしだから、必要な物が少ないんだって。
エアコンはマンション初期装備だから新しいけど、それ以外の家具はちゃぶ台同様に年季が入っていた。

少し待った後、湯呑みを二つ載せたお盆を持って井野口さんがやってきた。

「熱いから気をつけてね」
「すいませーん」

目の前のちゃぶ台にお茶を置いてくれた。『お気遣いなく』のセリフはもう何べんも言ってきたので端折る。
わたしと反対の座布団に井野口さんが座って、お茶をひとすすり。

「それで。どうだった?」
「あっ、はい、おかげさまで大成功でした!」
「そう、それはよかったわねぇ。…どんな風に成功したの?」
「え゛ッッ」

井野口さんて妙なトコ鋭いから訊かれるとは思ったんだけど、でも、うん、恩人だから、話さなきゃ。

「あ、ごめんなさい、野暮なこと訊いちゃったわねぇ」
「いえいえいえ、あの、そう、大成功だったんですよっ。お祭りには付き合ってくれたし、屋台も見て回って、
花火も見て、最後に、……最後、は…えっと、」

さすがにこれ以上は恥ずかしくて口には出せない。でも、井野口さんなら表情で察してくれるはず。

「いいわねぇ、若いって」
「あ、…はいっ」

照れつつも、わたしは強く返事をした。
ここまで話せばもうわかっていると思うけど、わたしとキートの話は井野口さんにはほとんどしてある。

わたしの浴衣の着付けをしてくれたのをはじめ、井野口さんは色々な特技や趣味を持っているそうだ。
昔はお嫁さん事情が厳しくて、花嫁修業もイヤというほどやらされて、その名残りだっていう話を聞いた。
お琴や弓道もできたらしいけど、今じゃ身体が弱っちゃってダメらしい。見てみたいなぁ、的を射る井野口さん。

「結局、井野口さんはお祭り行かなかったんですか?」
「私はダメよ。前にね、孫に連れられて行ったんだけど、あのながぁ~い階段が登り切れなくってねぇ。
孫にかわいそうな思いをさせちゃって、それ以来ね」
「―そうだったんですか…」

何だか気まずい雰囲気になっちゃったので、お茶を一飲みして気分を変える。茶を濁す、とはいうんだけど。

「そうだっ、あの、大堀にはお祭りはないんですか?」

大堀とはココ、大堀村のこと。村の割にはこんな立派なマンションやスーパーがあったりしてちょっと変わってる。

「うん、少し前まではやってたの。でも、若い力はすぐに都会へ出てっちゃって、人手不足でねぇ。みこしを担ぐのが
み~んな老いぼれじゃ、持ち上げるのがやっとだよ」

ホホホ、と井野口さんは上品に苦笑した。田舎の過疎化って深刻なんだ。がんばるぞ、若い力。

「それに、三浦のお祭りはここいらじゃおっきぃ方だから、みんなそっちに行けば満足しちゃうみたいなの。
だから役場の人たちも、無理して祭を続けることはないって消極的になっちゃっててねぇ」
「残念ですねぇ」

喋り方が少しうつってきちゃった。

「でもね。お祭りがなくなっても、どんどん人がいなくなっても、やっぱり私はこの村が好きなのよ。生まれこそ
違うけど、人生の大半はこの村で過ごしたから。最期まで、ここにいるつもり」
「―わたしもこの村、好きです。空気がおいしくて、景色がよくて…。それに、井野口さんみたいなやさしい人が
い~っぱいいて、わたし、大好きですっ」
「…ありがとう、千夏ちゃん」

井野口さんの微笑みは、とっても綺麗だった。



「お邪魔しましたー」
「またいらっしゃいね」

うっかり話し込んでいたらどっぷり時間を食ってしまった。うっかりどっぷり、時刻はすでに12時を大きく過ぎている。
井野口さんに言われなかったらそのまま話し込んで、初日からパートをサボタージュしてしまうところだった。
一旦家に戻り、必要な物を持つ。着替えは…余所行きのままだし、いいか。さぁ、パートに行くぞぉ!



笑ってしまうほどあっという間に、スーパーカマヤツに到着した。気分が高調して早足になってたかな…?
―っと。買い物に来たんじゃないんだから、普通の入り口から入っちゃダメだ。ちゃんとウラからね、ウラから。
うんうん、この『関係者以外立ち入り禁止』の関係者になれた気分って、悪くないよね♪

お客用入り口とは正反対、周りに段ボールが積まれていたり汚れていたり。味がある、とはよくいったもので。
ちょっとドキドキしながらステンレスのドアを開ける。いかにも舞台裏くさい、質素な感じの更衣室が現れた。
前回の面接の時もここを通ったけど、改めてみるとやっぱりサビサビした感じ。まぁ、裏方だもんね。

左手の腕時計を見る。まだ13時にはなっていない。でも、5分前行動は新人の基本なんだよね?
時間までにここに来いって言われたから来てみたけど、まだ佐波さんは見当たらない。もう少し待ってみよう。

「あらー杉本さん? 待たせちゃったかしら」
「あ、いえいえ、今来たトコです~」

店の奥(って店側は手前か)から、ふくよかな身体をエプロンで包んだおばさんのご登場。
エプロンには『スーパーカマヤツ』とプリントされている。制服みたいなものらしい。制服ならぬ制エプロン。
髪型は、うーん…、なんて言うんだろう。田舎なりにがんばってパーマかけてみましたって感じ?

このおばさん、名前は佐波さん。この店では結構立場が上の人らしいけど、やってることはほとんど一緒。
新人バイターの育成係、なんだっけ、ブリーダー?を任されてて、だからわたしの担当をしてるってわけ。

「そうかい。そいじゃ、早速だけどコレ着てね」
「はいっ」

渡されたのは、まぁ案の定、制エプロン。首にかけて背中で結ぶ。

「やはは、やっぱり若いコには似合うねぇ」
「何をおっしゃいますか、佐波さんも似合ってますよ♪」
「あらヤだ、お世辞うまいのね~。でも賃上げはしないわよ?」
「わかってますって」

仕事つながりとはいえ知り合って間もないというのに、すぐに打ち解けられる寛容さは、都会人にはマネできない。
なごやかな雰囲気と、ゆっくりと流れる時間が織り成す、田舎独特の香り。越してきて良かった、とつくづく思う。

「さぁ~て、まずは何をしようかねぇ」
「あの、力仕事なら、任せて下さいっ」
「その心意気はいいんだけど、力を使う仕事って結構少ないんだよ。だいたい男どもが片付けちまうし、女はレジで
ピコピコ打つくらいでさ」

それを聞いて、ちょっとショックを受ける。別に力を使いたくてパートを始めたわけじゃないけど、
やっぱり力仕事は男の人が一手に受けるもんなんだなぁと思うと、自分が頼りなげに見えてしまう。

「でもまぁ女の仕事にもリキがいるものもあるから、そういうのはひいきにさせてもらおうかしら」
「あ、はい、ぜひっ!」

店内は涼しいから、少しでも力を使って汗をかきたい、と無意識に思っていたのかもしれない。夏女の性?

何はともあれ、教えてもらわねば何にもできないポッと出でひよっ子のわたし。
これから色々とレクチャーを受けなくてはならない。というわけで『研修中』のバッヂを付けて、

「まずは基本中の基本、レジ打ちからやってもらわなきゃね」

パート=レジ打ちと言っても過言ではない、基礎中の基礎。これができなきゃ何ができる、ってほどに。
営業中のレジを使うわけにはいかないので、予備の古いレジを使って練習する。基本を学ぶならこれで十分
なんだそうだ。

「ちなみに、やったことはないんだね?」
「はい、全然」

面接の時に未経験と云ってある。

「じゃーまず電源のつけ方から―」


いちいち細かい説明を書いても作者的にもつまらないので、割愛。


「わかったかい?」
「はいっ」
「よしよし、飲み込み早くて助かるねぇ。そいじゃ、実際にやってみようか」
「はーい」
「商品をコレで一通りピピッとやって、レジ打って金額言ってハイね。あ、商品は練習用だから。
あと、バーコード読み取るたびにナニナニが一点~とか言わなくていいからね。まぁだいたいのことは
やってるの見てたからわかるだしょ」
「はいっ」
「んじゃ練習ー」

佐波さんの長い説明の集大成。形式だけでも実践と似せるため、余りのカゴに練習用の商品を入れて、
佐波さんがレジの前にやってくる。

「いらっしゃいませー」

ドンと置かれたカゴの中から商品を取り出し、バーコードをコレで読み取る。…コレってなんて言うんだろう?
バーコードが曲面や凸面にあったりすると読み取りづらくて、お客(仮)から教育的指導が飛ぶこともありつつ
最後の商品を読み取り終える。あ、読み取り終えた商品は反対のカゴに入れてる。

えーっと、1584円になります」

あくまで練習だけど佐波さんが2000円を現金受け皿に置く。

「2000円お預かりしまーす」

お札を手に取って、

…えーっと、何するんだっけ。

確か、金額打って、えーっとえーっと、小計…じゃないや、現金預かりだ。
やった、ドロアー(小銭やお札が入ってる引き出し)出てきた。案外 勘でできちゃうもんだね。

「コラ」
「へ?」

あらら、教育的指導。

「お客様から預かったお金はココに置くっ」
「は、はい…っ」

レジ打ちに集中しててすっかり忘れてた。預かったお札は、レジ上の空いたスペースに重しを載せて置くんだった。
左手に持って右手だけでレジ打ってたよ。うっかりうっかり。

「41、あっ、」

レシートレシート、

「416円のお返しになりまーす」

レシートを下にして、両手でしっかりと相手の手に渡す。くれぐれもこぼさないように、慎重に。

「コラ」
「はれ?」

あれれ、また教育的指導?

「レジ袋入れてないでしょっ」
「あ…っ、ちゃー…」

すっっっかり忘れてた。カゴに詰めた商品の上に、レジ袋を敷くように置くんだった。あぁ、連ミス。
改めてレジ袋を置いて、

「ありがとうございましたー」

あくまで練習だけど、カゴを持ってその場から離れる佐波さん。で、すぐに戻ってくる。

「ミスが多かったねぇ」
「スイマセン…」
「でもまぁ、最初でこんだけできればダイジョブさね。やっぱり杉本さん筋いいよ」
「あっ、ヤだ、そんなことないですよぉ~」
「そう思うなら練習練習」
「はーい…」

そんなすぐに上達してもつまらないし、ね。完璧にできるまで練習あるのみ。



お…もい…。

おーもーいー。

おちるー。おとすー。ゆびがすべるー。

ん~…、よいしょ。

「はいご苦労様」

店の倉庫にあったペットボトルケースを、本来なら台車で運ぶところを、新人訓練ってことで抱えて運ぶ。
裏手からペットボトルコーナーまでは遠くはないけども、この重さだと非常に遠く感じてツラかった。

「ふへ~…」
「やはは、やっぱり若くても重いもんは重いんだねぇ」
「こ、こんなの、ヘッチャラですよっ。もっと重いのだって、がんばればっ」
「まぁまぁ無理しなさんな、今度はちゃ~んと台車使うから」

うぅ…。

持ってきたジュースを冷蔵棚に並べる。佐波さんの見よう見真似で、見栄えよく均等に。

「ところで杉本さん」
「はい?」
「あなたって、家族でココに来たの?」

引っ越してきたことだけは面接で話してある。
さて困ったな、なんて答えよう。

「あー…。家族じゃあ、ない、んですけど…」
「えっ、もしかしてひとり?」
「あ、いえ、…その… ふたり、です」
「あぁ、友達と一緒に?」
「えー…っと、まぁ、そんな感じで」
「へぇ~。お金出し合えば家賃の負担も軽くなるし、いいわねぇ」
「そう、ですねぇ」

なんか軸がズレてる気がするけど、その内出し合うことになるかもしれないし、まいっか。

「詮索しちゃってるみたいで悪いけど、お友達は何をしてるんだい?」
「あっ、レストランでコックしてます」

無意識に得意げに答えた。だって、誇らしいキートのことを訊かれたんだもの。
でも佐波さんは、それを聞いて驚きの表情。

「コックぅ!?」
「は、はいっ」
「レストランで?」
「ちっちゃいお店ですけど、はい」
「女の子なのに?」
「…へ?」

へ? へ? へ?
もしかしてわたし、勘違い? それとも佐波さんの勘違い?

「え? お友達って、女の子でしょ?」

やっぱり。

「―男、です」

しばし、佐波さんの目が点と沈黙の後、

「えぇえぇぇえぇ!?」
「わ、ちょっ、佐波さんッ」
「あっ」

周りにお客さんがいるのを思い出して、佐波さんは声を小さく、しかし真剣な眼差しで、

「お、男って、若いの?」

あ、声色は興味津々。

「同い年、です」
「えっ、じゃまさか、もしかしてアレ? 新婚さん?」

わっ!

「ちち、違いますよぉ! まだしてませんっ!」
「あ、まだってことは、やっぱりそういう関係?」
「え゛ッッ」

わわわわわっ、た、大変だ、問題発言だ。弁解するのに精一杯で何を言ったかよく覚えてないけど、
何かわたしとキートにとってとても重要な発言をしてしまった気がする。だって"まだ"って言っちゃった。
それじゃまるで将来"もう"が来る、、、、、、、って言っているのと一緒じゃないか。
あぁ困った困った。

「それは、その、えと、そういうのじゃ、ない、くは、ない、というか、あの、」
「やははは、無理に隠さなくていーんだよ。若い時ゃなーにしたっていいのさね」

うまく隠し切れなかったわたしもわたしだけど、こんなに早くバレるとは思ってなくて、うぅ…。

「あ、あのでもこれ、みんなには内緒にしてくださいねっ?」
「隠さなくてもいいと思うんだけどねぇ、杉本さんがそういうなら、女の約束は守ったげるよ。あたしゃこう見えて
口は堅い方だからね」
「おねがいしますぅ~…」
「まっかせなさい」

これ以上真実が広まらないという曖昧ながら得た安心感のおかげで、声がふにゃふにゃになった。
確かに隠すことではないかもしれないけど、なんとなく新人として、妙な情報が広がるのは恥ずかしい。
でも佐波さん、意外に口が堅そうだし、信用できるかも。

「ところで杉本さん」
「はい?」
「その男の人、かっこいいのかい?」

…ダメかも。



時刻は17時半過ぎ。

「は~いお疲れ様ぁ」
「あ、スイマセーン」

店の奥の休憩室で椅子に座りながら、佐波さんからもらった缶コーヒーを飲む。
あまりコーヒーは飲まないけど、缶コーヒーなら甘さもちょうど…って、これ苦いや。

「どうだったい、初日の感想は?」
「疲れましたぁ~…」
「やはは、毎日やってりゃ慣れちまうさね」
「佐波さんは毎日出てるんですか?」
「まぁずーっとじゃないけどね、ちゃんと休みはあるし。その分コレがいいのさ」

と、佐波さんは人差し指と親指の先をくっつけて円をつくり、"コレ"を表した。苦笑するわたし。

「アレだね、あたしが引退したら引継ぎは杉本さんに任せようかしら?」
「えー、それはちょっとぉ」
「やはは、冗談冗談」

冗談じゃなきゃちょっと困る。

「そいで、どうすんだい? 買い物してくんならちょっと安くしとくよ」
「えっ、ホントですか!?」
「そ~んな期待するほどには無理だけどねぇ」
「少しでも安くなるんなら、もーありがたくて涙が出ますっ」
…そんなに家計苦しいのかね…

とゆーわけで、佐波さんのご好意で少しまけてもらって買い物を済ませた。うん、確かに少しだった。でも嬉しい。

「そいじゃー今度もよろしくねー」
「はーい、お疲れ様でしたー」

来た時と同じドアから出て、見送ってくれる佐波さんに手を振って帰宅の途に就く。
買い物袋が重くて、それが何だか今日の充実感を表しているようにも思える。
大変だったけど、疲れたけど、家でヒマを持て余しているよりは何倍も楽しかった。
色々と新しい体験もできて、重は付かないけど労働ができて、わたしとしてはとても満足な一日だった。

今日一日を振り返っていたらまたあっという間に自宅に着いた。鍵を開け、我が家に帰り着く。

「ただいま~」

返事はない。でももしかしたら、不在の間に家を守る守り神様が聞こえぬ声で返事をしているかもしれない。
そんなことを、ふと思ったりもする。

買った物を冷蔵庫に詰めていく。不思議だよね、料理はできないのに食材はちゃんと買えるんだから。
キートが使いそうな材料、わたしが食べたい料理、色々なことを考えて選定する。
そこまで考えるなら料理もできるだろ、と自分を戒める。しょうがない、できないんだから、と妥協する。

さて。お腹も空いた頃合、18時を過ぎている。そろそろキートが帰ってくる時間だ。
まだかな、早く帰ってこないかな、ご飯食べたいな、スリスリしたいな、はぐはぐしたいな。

考えるだけでワクワクしてくる。

今日はなんて言おうかな、お疲れ様? ご苦労様? おっはー? 何だかしっくり来ない。
ダーリン、なんて恥ずかしいし、お風呂にするご飯にする?はご飯が作れないからダメだし。
なんて言ったら喜ぶかな。ギュッて抱きついて、間近で見るキートの顔が喜びになるように、

ピンポーン。

「あっ」

―それでもやっぱり、

ズドドドドド。

―わたしはいつも通りに、

ガチャ。

―こう言うの。

「おか~えり♪」

―そして、

「ただーいま」