「――えー、それでは参りましょう。開始以来大好評を頂いておりますこのコーナー、『恋のお悩み相談所』」

この日の赤木は、雨天でもないのに湿った声で陰鬱を見え隠れさせていた。

「このコーナーは、ワタクシ赤木悠大が、皆様からお寄せいただいた恋にまつわるエトセトラに僭越ながらお答えさせていただくというものです」

湿り気もあるいは、半ば棒読みに聞こえなくもない。

「それでは早速最初のおハガキ」

ハガキを手に取らせ口を動かされるのは、自意識ではなく無意識の反射であり、習性である。

「……ええ、と」

赤木が言葉を濁らせる時はもっと明朗快活に、明らかな演技とわかる音を出すのだが、これは正直な戸惑いの吐露だった。

「ラジオネーム、“青春まさかり”さん。僕には今、好きな人がいます。その子が今フリーだってことはわかっていて、本当は今すぐにでも告白したいくらい、気持ちがいっぱいです。でも…。なんのいたずらなのか、僕の超が付くほどの大親友も、その子のことが好きだって、知ってしまったんです。その子のことは絶対に諦めたくないし、でも親友を傷付けるようなことも絶対にしたくないし、そもそも、親友と好きな女の子を奪い合うだなんて、想像もできません。この恋は絶対に叶えたいし、友達も傷付けたくない。でも、友達が彼女に好意を抱いている事実を僕が知っていることを、友達は知らない。いっそ知らなければ良かったと思うけど、もしそのまま告白していたらと思うと、どうしたらいいかわからなくて夜も眠れません。むしろ、事実を知っている分自分が優勢になっている気がして、ちょっと自己嫌悪の嵐です。ワガママなのは重々承知の上ですが、なんでもいいです、アドバイス、よろしくお願いします。――と」

最後の一声は、聞き手次第では溜め息交じりに聞こえただろう。

「うーん……、そうですねー」

ハガキを読み上げている間の方が、まだ気楽なものである。紙上に書き殴られた文字の羅列を、ただ文面から送り主の心情を多少斟酌して声色に乗せるだけでいい。その程度は、赤木クラスのパーソナリティには朝飯前だった。

「まだ始まって数回のこのコーナーですけれども、実はこういった質問、多く戴いてます。多く戴くということは、やはりそれだけ難しい問題なのでしょうし、ボクも、まぁ、経験は全然ないんですけど、ハガキを読んだだけでも顔が渋くなってしまいました。……うーん、本当に難しい問題です。実際、ボクの友達にも――」

一方のミキサー側では、各々の業務をこなす二人の部員が、いつもよりも気持ち多めに赤木の進行に耳を傾けていた。

「苦戦してますねぇ」

「うむ」

赤木の進行を聴取する傍ら、タイムスケジュールと原稿チェックをこなす須田が言い、菊池が進行表に視線を落としながら、まんざらでもない風で肯定を返す。

苦戦は本当だった。

赤木が人の子である以上、発言を噛んだり一瞬言葉に詰まったりすることは稀にでも起こり得ることであり、それを本人が反省するならまだしも部員が糾弾するようなことはない。

だが、こうもあからさまに、もうオレなんて言ったらわかんない、とスピーカを通して伝播してくる、ましてや放送室に限っては当人の御姿まで窺える状況とあっては、常以上にその進行に集中するのは至って自然な流れである。

「恋愛中の友達が何人いるんだか」

「さぁ」

今は、ありもしない架空の友達の架空の恋愛波乱万丈を口走っている。

「MCなんてのはホラ吹いてナンボだからな」

菊池の言う通り、赤木はこれまで幾度となく架空の話題を捏造しては振り撒いてきた。時には尺を稼ぐため、時には場面を盛り上げるため、様々なケースで捏造はあった。それはパーソナリティとして基礎中の基礎と言っても過言ではない技術であり、リスナーを楽しませるためならそれを惜しむ者などなく、無論、捏造の裏を取ろうとするリスナーがいるはずもない、単に得がない。

故に赤木は今日も堂々と捏造を繰り返すが、いつもは振っているはずの大手が、今日は小手すらもない。

そもそもこの捏造、尺稼ぎには違いないが、尺を稼ぐというよりは赤木の恣意的な時間稼ぎの意味合いが強い。

「あっ、この話、脚本に使えそう」

赤木の繰り出す捏造恋愛事例を聞いていて思うところがあったのか、須田が書類からわずかに視線を赤木に向けつつ呟く。

「……ストーリーズには使わないでくれよ」

「えっ、なんで?」

「どろどろの昼メロになる」

「……ああ」

菊池の懸念を理解した須田は、このネタを別の引き出しに仕舞うことにした。

「……うーん、難しい。実に難しい」

マイク側の空気は、初秋の残暑以上に赤木の漏らす呻きで淀んでいた。

「――それでは皆さんお待ちかね、今日はとっておきを仕入れて参りました、チョコマント味さんのリクエスト、ミラクルパンダで、ラブビーム」

赤木の合図(がなくとも)で菊池がミキサーを操作し、本日二本目のリクエスト楽曲を再生する。

その間に、すでに赤木は全身を力なくフラつかせながらミキサー側に雪崩れ込んでいた。

「うおぉ~ん部長のバカァ~」

「開口一番にバカとはなんだ」

「だからオレ反対だって言ったのにさー…」

「プロは仕事を選べないんだぞ」

「選べるくらいのプロになってやるもんよ、ブーブー」

すぐにマイク側に戻れるよう、境のドア付近に学習椅子を移して束の間の休息に入る赤木。

「はい赤木くん」

労を労う意味と、赤木の個人的な要望によって冷蔵庫に貯蔵されている一口ゼリーを、小休憩に入る辺りで用意しておき差し出すのが慣行となっていた。

「お。ありがと」

差し出された手の平に乗るゼリーを受け取ったはいいが、その手がしばらく引っ込まないことに赤木は戸惑った。

「うん?」

改めて確認した須田の表情が、心なしか強張っていた。頬のほんのわずかな紅潮は、気のせいだと思うのだが。

「……え。あっ、いや、」

無意識に硬直していることに気付いた須田は、続いて赤木が猜疑の目を向けていることに気付いて咄嗟に手を引き、

「く、苦戦、してたなぁー、って」

苦笑いで茶を濁し、別の話題を引き戻してより濁した。

「そりゃ、っていうかそもそも言いだしっぺは明なんだから、ちょっとくらい原稿に差し入れくれてもいいじゃんかしー」

要は助け舟を乞う、ということらしい。

「仕事が選べるくらいのプロなら、そんな弱音は吐きませんっ」

「うっ……」

しかし須田が言いだしっぺであることは揺るぎない事実、主張は主張としてハッキリと、

「うう……」

蓋をした。蓋をして、他の話題に逃げる。

「じゃあ今度さ、ゲストに恋愛アドバイザー呼ぼうよ」

返す菊池、

「千内にいるのか?」

「うっ……」

堂々巡りである。

「地域密着型の番組が外からゲスト呼んだ日には、スポンサー全降りだぞ」

「うう……」

「まぁ、全国レベルの大物ゲストならあるいはありかもしれないが、ギャラの支払いでこの部は即死だな」

にべもない。

「そろそろだぞ」

「ういー…」

須田から頂戴したゼリーをゆっくり租借し味わった赤木は、逆再生が如く身体をフラつかせながらマイク側に戻っていった。

「あいつがこれほどの弱音を吐くってことは、結構なんだろうけどな」

「うーん。たぶん」

「プロを目指すと公言するヤツを、甘やかすわけにはいかん」

「まったくです」

などと片言で返す須田は、音量の下がったBGMに声を重ねる赤木の姿を見ながら、にわかにドギマギしていた。

――ありがとう、と言った。

しかも、一瞬だったけれど、目を見て。

いつもは『おぅサンキュ』とか簡単に返事をして、差し出したゼリーを味気なく拾い取るだけなのに。

昨日はどうだったか。今まではどうだったか。思い当たる節はない。

――なにか、下心でも?

全て憶測の域を出ないが、とにもかくにも、あの硬直はマズかった。以後気を付けなければいけない。

本来は恨めしいことだが、今日ばかりは赤木の鈍さがありがたい。

須田の憶測の中に、今日のコーナーが恋愛相談であったから、という可能性はこの時点では含まれていなかった。

午後。

赤木が所属するクラス2-Aの授業は、校庭での体育だった。

担当の体育教師が都合により担任できず、手空きの教師が代理で監督――という建前で、ほぼ生徒に丸投げの自習である。職員室から監督する、と代理教師はすでに校庭から姿を消していた。

今は、生真面目な体育委員の指示による準備体操の最中である。

授業は無論男女別、順列は出席番号順、組作業の場合は前後で組すること。

出席番号二番、偶数の赤木は、出席番号一番で奇数の青木と組むのが常だった。

「そんでさぁ赤木、聞いてくれよ」

二人一組で背中を合わせ、互いの腕を組んで片方の人間が身体を前屈、相手の背筋を無遠慮に伸ばし合う“アレ”の、青木が前屈、赤木が伸ばされている状況。

「たまには親孝行でもしてやろうと思って洗濯やってたら、いきなり姉貴にぶん殴られてさ。アタシの下着に触んじゃねぇ!って。意味わかんねぇよなぁ、ンなこと言うくせに風呂上りにパンツとブラジャーでくつろいでんだぜ? どう思うよ、赤木氏っ」

前屈が苦しくなり、赤木を背負い直して居住まいを直す。その赤木からの反応がない。

「おいコラ、人の背中で寝るな」

「……んー?」

人によっては苦悶も絶え絶えのこの体操も、赤木にとっては体の良い即席ベッドだった。

「お前、俺と話してる時いつも寝てるよなぁ」

「んー」

いい加減苦しくなり切った青木が赤木を降ろすと、今度は赤木が青木を前屈で背負う格好になる。

「いやー、違うんだって今日は」

堂々と言い訳したいが、後ろめたさも見え隠れさせる声で赤木が言い、青木の背骨が一つ鳴る。

「っ、何が」

「んー……。要するに、メンタル疲労っていうか」

「なに、部員からの執拗な嫌がらせ? マイクにわさび塗られるとか」

「ハハ、イイねそれ。ソッコーでネタにするけど」

そんな冗談が言えるのも“MC特権”の恩恵である。

「んじゃなくてぇ。聴いてたっしょ? 今日の」

ラジオ放送、と言外に付け加える。

「ああ、てこずってたヤツね」

メチャクチャ、という形容詞を外したのは青木なりの優しさである。

「やっぱ、わかる?」

「まぁなぁ」

アレじゃなぁ、とは言わずもがな。

「ダメなんだよ、あんなんじゃ。プロは例え不得手な話題でも、さも得意分野みたいに喋んなきゃいけないわけ。っつったって、苦手なもんは苦手だし……」

珍しい赤木の弱気な発言に、こりゃ本当に少しキテるのかも、と心配になった青木は、

「いいんじゃねーの? そのためのラジオ部だろ?」

赤木に背負われ、仰向けのまま(文字通り)仰々しく語り出した。

「お前自身が給料もらってるわけでもなし、ましてや本分は学生、経験だってまだまだ浅い。そりゃお前の実力は誰もが認めるだろうけど、ミスんない人間なんていないんだから、今のうちにしくじりまくっとけって。俺はそっちの方がよっぽど人間臭くて良いと思うぜ」

見た目はさておき立派に道徳を語り切ったとしたり顔の青木は、満悦の思いで赤木の反応を待った。待ったが、反応がない。

「……おいコラ赤木、人を背負ったまま寝るな」

「ZZZzzz...」

足をジタバタともがく青木だったが、その程度では赤木を起こすに至らなかった。

準備体操を終えた後、代理教師から与えられていた唯一かつ適当な授業指示は『キャッチボール』だった。ほとんど“好きにやれ”である。

準備体操まではその生真面目さでどうにかまとめ上げ完遂した体育委員だったが、さすがにこの指示と彼の実力では若さを持て余した野郎連中を御せる道理もなく、野球ボールを取ってくるという名目で体育倉庫に忍び込む者、バレーコートで行われているどこかのクラスの女子の体育を遠巻きから“授業参観”する者、等々、暴挙に出る生徒は多々発生しているが、赤木と青木は真面目にキャッチボールをしていた。

「さすがに寝るなよー、死ぬぞー」

「わかっちょるわーい」

互いに適度な間隔を空け、ボールを受けては投げ返す、極めてオーソドックスなキャッチボールである。監督教師がいない以上、私語のキャッチボールもやぶさかでない。

赤木が受け側の際に居眠りを始めた場合の惨事など想像に容易く、いくらなんでもそんなバカなことは――ないと信じたい、本人こそが思う。

「いいじゃん、テキトーにアドバイスしとけば」

青木。先ほどの続きのようである。

「そんなん、いくら大勢をごまかせても本人は絶対気付くって」

「あー……、そうかもなぁ」

「山のような投稿の中からやっとこさ選ばれて、しかも当人にとっちゃ、ものすんっげぇ赤裸々な部分なわけじゃん? 100%の答えは出せないでも、真面目に考えましたってアピールはしとかないと、失礼かなーってさ」

アピールなどと謙遜する赤木だが、その実は、一つ一つの相談に真剣に回答しなければ気が済まず、手抜きは即無礼、と考えている。

その他の話題であれば如何様にでも笑い話に持っていけるし、それこそ大の得意分野、大して思惟を深めるまでもなく、数千数万の引き出しを繰れる実力がある。そうすることでリスナーが増え、リピーターが増えることを赤木は実感しているし、先代の放送を聴いていれば、それがこの番組の人気の柱だということは明白だった。

要はそのベクトルを、恋愛相談に向ければ良いだけの話である。

理屈は簡単だが、実際の壁はうずたかい。

笑い話に持っていくなという話であれば容易いが、全くの守備範囲外、語彙も往々にして在庫不足、では正直手も足も出ない状況である。本音を言えば、恋愛相談の投書を全部放り投げて『最近見つけたご近所の○○』のテーマでゲラゲラ話に華を咲かせたい。

――それでも。

ラジオ部に届く数多のハガキは、赤木がいつもの笑い話と同じくらい、真剣にリスナーを笑わせようとするのと同じくらい、真剣に相談に答えてくれる、その思いの結実なのである。

思い上がりかもしれない。

でも、面白半分がこんなに集まるわけがない、それがわかるからこそ手抜きは許されない、と赤木は思う。

そんな赤木の深慮にまで気付いたか否か、赤木から言葉とともにボールを受け取った青木は、ちょっとどころか感心して返すボールがやや遅れた。

「寝るなー」

「寝ねぇよ!」

よりにもよって赤木に言われた青木は、怒りながら笑いつつ強めにボールを投げ返した。ハッハッハ、と笑って返球する赤木。

「――じゃあさー」

おもむろに、青木が喋り出す。

「んー?」

「練習だと思ってさー、俺の恋愛相談聞いてくんねー?」

「あー……、聞くだけなら」

ひでー、と青木が嘆きながら、互いに日常の声量で聞こえる程度の距離に詰める。

「いやー、実はさぁ」

練習だと思って、と言ったが、決して全くの空想を話すわけではない。一割だろうが十割だろうが、少なからず事実を含んだ話をする。故に、当事者になるとなおさら痛感するが、これが結構こっ恥ずかしい。こういう時のキャッチボールは照れ隠しにありがたかった。

「朝さ、前原で電車待ちしてる時、向こうのホームにいーっつもかわいいコがいてさ、すっげぇ気になってるんだけど、」

前原とは駅名。多くの千内高校生がそうであるように、青木も電車通学族の一員である。

「見たカンジもう超イイトコの女学生、ってのは言い過ぎかもしんないけど、俺からしたらもうそんくらいのオーラ。制服見てもどこの学校かわかんないし、俺なんかとは全然違う世界の人なんだろうなー、って、わかってんだけどさー…」

その時青木が投げ返したボールには何故かフォークが掛かり、赤木は人並み抜けた運動神経で辛うじてノーバウンドで捕球した。

「気にしないようにしたって、毎朝おんなじトコにいたら見ちゃうだろ、男だし」

「んー、まぁ」

「しっかも、反対ホームじゃ手も足も出しようがねぇじゃん?」

「出す気満々かよ」

「そういう相談だろがっ」

「おっといけね」

「一世一代の男気振り絞って声かけようにも線路越しにやるバカはいねぇし、向こうのホームに突撃なんざした日にゃ尻すぼみししてとっとと遁走、ってのがオチだし」

「うん、すんっげぇ想像しやすい」

「だろ?」

得意げな表情の青木が返すボールにはシンカーが掛かっていた。

「んだから、毎日鼻の下伸ばして全力チラ見するしかないわけ」

「ふーん」

……。

ボール一往復分の沈黙、

「お求めは?」

「お近付きになりたい」

「ふーん」

一往復、

「練習でしょ?」

「おう」

このやり取りが時間稼ぎだと気付いた時には、すでに赤木は一往復しても沈黙を続けていた。傍から見ればただ真剣にキャッチボールをし、表情も変えず――否、表情はボール一往復ごとに着実に変貌しているようだ。眉間に皺を寄せたしかめっ面から、苦いコーヒーを飲んだような表情、ボールが一往復して赤木が受けるたび変化していき、泣きそうな表情の次、ボールを受けて投げ返す刹那、急所を蹴り上げられたような苦悶の表情を一瞬浮かべ、

「んがぁぁぁあ~……」

ボールは手から離れることなく、投球フォームから流れるような動作で両手で顔面をぐしゃりと覆い、しゃがみ込んでしまう。

「ボーーーク」

「うるせー」

青木の茶々にも顔を上げず、赤木は何やら呻き続けていた。

「ダメだッ、全ッ然思い付かない」

「まぁ気にすんなって、お前が即思い付いてんなら俺だって苦労してない」

勉学面の頭脳の比較に於いて同水準に扱われることは日常茶飯事であるが、このテの能力について同水準に扱われても、この有様ではぐうの音も出ない。

「うう……」

ううの音は出るようである。

青木ではない外野からも、

「恋煩いかー」

野次が飛び、

「うるせー」

そのやり取りに青木が一笑いし、

「とりあえず、延滞料発生中のボール返してくんなましー」

右手で片手メガホンの形を作り、グローブを嵌めた左手で手招きをする。

突如、ウネウネしていた赤木の頭の動きがピタリと止まり、覆っていた手からわずかに顔を上げ、

「――そうか」

今度はハッキリと顔を上げ、キョトンとした青木と視線を合わせる。

「そうだよ」

「んぅ?」

「すればいいんだよ、」

電光石火が如く立ち上がり、

「キャッチボール」

「……あんだって?」

キョトン顔だった青木の表情が、極めてわかりやすい渋面を作る。

「そのコとさ、線路二本分ならベストな距離じゃん? 男は口で語らずボールで語るってね、」

渋面の青木の目が次第にみにくいアヒルの子を見るようなものになっていくのを悟った赤木は、溜め息を吐きつつ再びしゃがみ込み、

「……ゴメン、今のはキャッチしないで……」

青木の言う通り、これは練習だからいい。いくら失敗したところでこの二者間での話でしかない。だから、思い付いたことは(中身はさておき)無遠慮に発言できる。

本番では、その発言すらできない。これが本番だったら、本気でパーソナリティ降板の話が出ても不思議ではない。

思い付いてやっとこれなのだから、当たり障りのない与太話で間を埋め、その辺のきな臭い恋愛ハウツー本並の有り体のアドバイスに終始するのは致し方ないことなのだ。

頭を抱え、またウネウネさせ始めた懊悩真っ只中の赤木をよそに、渋面だったはずの青木がけたけたと笑っていた。

「うるせー」

情けない言動を嗤われているのだと思っての発言だったが、

「いやいや、ちげーって」

予想外の返答に、またウネウネを止めてわずかに顔を上げた。

「的確なアドバイスっつーのとはかなり縁遠いけどさ、要はそんくらいしなきゃダメってことだろ?」

……言われてみれば、そんな意図もあったようななかったような……、といった程度の赤木。

「ちょっとでもセレブな出逢いを求めていた俺がいたけど、まーそんなん無理だわなぁ」

こうもカラッとした態度で冷静に自己診断ができる青木を見て、赤木は少し呆気に取られていた。

「うし、諦めた。いや諦めねーけど、なんかしらがんばる。うし、ボール返せ」

独りでますます合点がいっていく青木にますます呆気に取られながら、長いことグローブに収まっていたボールをしゃがんだまま返球した。

「うし、キャッチボール飽きた。鬼ごっこしようぜ」

開いた口が塞がらない。

最新ヒットチャート、とはお世辞にも呼べないラインナップの店内BGMの流れる中、須田はメモ帳片手にレンタルCDコーナーを物色していた。

コンビニよりも先に千内町に根を下ろしていること、町内唯一の肩書きを持ち続けていることからなかなかに繁盛しており、田舎なだけあってやたらと広いスペースを存分に駆使した品揃えは最新チャートばかりを追わない玄人に好評だった。

ラジオ放送で使用するリクエスト曲のCDをレンタルするのは、サポーター兼ライターである須田の役目である。

サポーターだから、というよりは、消去法でも須田になる。

菊池は部長で多忙のためという真っ当な理由があるし、赤木は私欲に走る、絶対に。

そうなると、アフターファイブに最も余裕がありそうなのは赤木だが、本放送で最も消耗するのがMCであることは理解の至るところであり、誰も不平を申告する者はいない。

どちらかといえば、世話焼きの須田はこういった仕事を買って出たがる方でもある。

事実、店内BGMに合わせて鼻歌を刻みながらの須田の気分は上々のようだった。

「へぇ、もう出たんだ……」

リクエスト曲が収録されたCDを手に取りながら、その隣にある同歌手の最新アルバムに気付いて呟く。

須田が上機嫌な理由はもうひとつある。

リクエスト曲のCDレンタルは、一週間に一度、金曜日放課後の部会議の後、翌週分をまとめてレンタルしている。今週分の返却も兼ね、毎週繰り返しの作業になる。

そのため、CDはレンタル期間が七泊八日の物に限られてしまい、一泊二日や三泊四日の新譜CDのリクエストに応じられないのが悩みの種だった。特例は不公平、との原則からどんなに時事的、適時的なリクエストであろうとも応じることはない。

このリクエストルールは放送内で赤木がリクエスト募集案内の際に毎回口すっぱく告知しており、新一年生が入る一学期頃に数件の暴挙が見られる以外は遵守されている。

いずれはなんとかしたいが、今はただただ店長に、早期に旧作に落としてもらうよう訴えかけることしかできなかった。

ちなみに、上記のことからレンタル作業は土日にこなしても差し支えないが、須田は出来れば土日はまるきり空けたいともっぱら金曜日中に片付けている。

「あれ」

所望のCDを手に取ろうとすると、12cmCD用レンタルケースの中身は空で、すでに貸し出されていた。レンタルという仕様上やむを得ない状況であり、言っても片田舎の零細ショップ、種類をウリにする代償に、量を置くことができない。

「あっ、それ返ってきてるよー」

たまたまレジから見える位置に立っていた須田の挙動に気付いてか、馴染みの若い男性アルバイターが告げると、「ホントですか?」との返答、小走りでレジに向かってくるのが見え、アルバイターは返却ラックから手馴れた手付きで当該CDを探し当て取り出した。

「ユース聴いてたら次この辺来るかもと思って取っといたんだけど、ビンゴだね」

別に、下心があるわけではない。と、内心言い張る。

「いやー、いつもお世話様ですー」

アルバイターから受け取ったCDを、ラジオ部のような大口の客用に用意された小振りのカゴに入れ、須田は残りのリクエストCDの物色を再開した。

今回はたまたま返却品に有りつけたが、通常は断念して、次点以降のリクエスト下位CDが優先される。

いつも多めにメモしているので、万が一貸し出し中が頻発してもメモしたリクエストランキングからはみ出すような事態に陥った過去はないが、もしそうなった場合は、……たまには、ちょっとくらい私欲に走ってもいいだろう。

夏休みの間に変動し切ったランキングの影響でリクエストの情景も大きく動き、聞き慣れない新人歌手の名前にやきもき、しかし慣れた手付きで、しっかりと入荷してくれているこの店に安心感を覚えつつ、

「あれ、明?」

発見した所望のCDに手を伸ばした所で声をかけられた。女子の声、見るとクラスメイトだった。別段、友達というほどの仲ではないが、学校では掃除の時間などによくつまらない話で盛り上がる。千内町民ではなく電車通学族だが、地元のレンタルショップに行く方が手間らしい。

「おお」

「いつもの?」

「うん、いつもの」

「ご苦労様だねぇ」

「ミッチョはなに借りに来たの?」

「んーとね、スカイシップと神藤あいか」

「……あれ。もしかして、スカイシップ……」

思うところのあった須田が、カゴから特定のCDを取り出してみせる。

「ありゃ、それそれ」

スカイシップという名の歌手のアルバムで、クラスメイトが所望していた物らしい。

「えー、ゴメン、どうしよ……」

「いやいや、いいっていいって、ユースで流してくれた方が嬉しいし」

「いいの?」

「うん。むしろ、リクエストしようかなって思ってたくらいだし」

「そっか。ゴメンね、ありがと」

「その代わりぃ、返す前にこっそりアタシに――なんつって」

そこは苦笑いで茶を濁した。きっぱり断ると気まずいが、決して認許していい相談ではない。彼女も冗談で言っているものと思うが、公私混同、職権乱用、不公平の雄である。どこぞのMCも同じような懇願をしていた気がするが、気のせいか。

互いの物色再開のため別れ、予定していたCDを全てカゴに入れ終えた須田はレジカウンターに向かった。アルバイターと世間話をしつつ、枚数確認、会員証の提示、そして精算を済ませる。

レンタル費用は部費から宛がわれる。きっちり領収書を切って、次の月曜日に顧問の松本から立て替えた実費を受け取る形を取っている。手間ではあるが、横着してまとめ請求やまとめ受領をすると、トラブルが起きた際に煩雑になりやすく、また額もわずかとはいえ費用は費用、学生であるうちは金銭のやり取りは努めて正しく処理すべし、との方針も含まれる。

会計を終えて店を出た須田は、切らしていたイチゴホッキーをコンビニで仕入れ、帰宅した。

さすがに、レンタルしたCDの自宅管理時の取り扱いまでは言及されない。念を押されれば避けるかもしれないが、そこまで目くじらを立てるほどの話でもなし、対象は忠言に従わないと考えるのが前提である。

それに、全部を全部聴くわけではない。大小興味のある歌手の物を、気まぐれに再生するだけだ。過去の部員がどうであったか与り知る所ではないが、少なくとも須田は部費でレンタルしたCDをダビングしたことはない。

役得は、ルールを守った上で初めて役得なのである。それ以外は単なる横領でしかなかった。

帰宅後の身支度を整え終えた須田は、補充したイチゴホッキーとレンタルしたCDを持って自室に戻り、勉強机に座って早々に執筆を再開し始めた。

小説を書いている間は、集中のためラジオを聴いたりはしないが、筆が詰まった際や気分転換を目的として聴くことはある。特に、CDをレンタルしてきたばかりの金曜日は音楽をかけることが多い。集中することは大切だが、人間、弛緩ドコロも作らねばそうは持たないものである。

執筆を始めて数分、若干の行き詰まりを感じた須田は、レンタルしたCDを聴こうとレンタル袋から目ぼしいCDを探し、せっかくだからとスカイシップのアルバムを選んだ。

ベッド脇に置いているコンポに向かおうとした瞬間、机の上に置いてあった携帯電話が鮮やかな発光と音色で着信を知らせ始めた。この曲と発光パターンはメールの着信を知らせるものだ。

メールの送り主が携帯電話の背面ディスプレイに表示され、先ほどレンタルショップで遭遇した女子の名をドットに走らせている。

「ん……?」

あの子と、メアド交換したっけ……?

須田にとってはやはりその程度の仲という認識だったが、メールアドレスまで交換していればもう友達と呼んでも過言ではないのかもしれない。

受信したメールを開く。

『ども(手の平)オールピースランデヴーって曲がすっごくいいからぜひ聴いてみて(笑顔)』

歌手名を表記しなくても理解できるだろう、との判断からこういった文面になったのだと推測し、そう判断されたこと、さらには監視されているのではないかという絶妙なタイミングで送信してきたことを思うと、ちょっと可笑しくなった。

しかもこの話は須田が役得を堪能していることを前提にしており、それは遠回しに、アタシも同じ立場ならそうしている、というメッセージも含まれていて少し嬉しい。

早速返信する。

『今ちょうどスカイシップ聴こうとしてた! もしかして監視されてる!? キャ(嬉しい顔)』

向こうは結構、友達だと思ってくれているのかもしれない。今こうしてスカイシップを聴いていると、もしかしたら音楽の趣味も合うかも、と思える。

今度、一緒に遊ぼうかな。

少しワクワクしている自分に気付いてことさらワクワクした須田は、右手を送信し終えた携帯電話からペンに戻し、左手にイチゴホッキーを持ち、こんな執筆の行き詰まりなど軽々と超えられる気勢でもって、

――今差し掛かっているシーンが、親友との確執による絶交のシーンであることを思い出してにわかに青ざめた。