ガタンゴトン。ガタンゴトン。
電車の中で、花火は当然のようにぐっすりと熟睡していました。電車の揺れをゆりかごの揺らぎに感じ、より眠りを深めてゆきます。隣に座る椿は特に何をするでもなく外の景色を眺め、ただただ目的地の到着を待ち焦がれていました。
どうしても夕方に行きたいと言う椿の要望に合わせ、二人はおやつの時間をたっぷり過ぎた頃になってから出かけました。目的地はここから電車で1時間以上かかるので、空が夕日を過ぎ、日が落ち切って夕闇を迎える頃に着く予定です。真冬の日照時間は短いですからね。
花火が爆睡してしまっているおかげで暇な椿は、なんとなくリップを塗り直してみたり、バッグの中身をチェックしてみたり、何もしなかったり。どうせなら何か編み物でも持ってくればよかったと少し後悔する椿です。女たるもの時間を無駄に過ごしてはならない、と母親に教わったわけではありませんが、信条として自然に身に付いていました。花火がぐうたらなせいかもしれませんね。
ガタンゴトン。ガタンゴトン。
一向に花火が起きる気配はありません。椿はこういう状況には慣れっこですから何も感じないのでしょうけれど、私は常に中継せねばならぬ身、何も出来事がないと暇で暇で―
「ん…」
さすがに寝疲れたのか、花火が目を覚ましました。
「おはよ」
「…着いたん?」
「まだまだ」
「…寝る」
あれだけ寝ておきながら、まだ眠れるようです。どこからそんな眠気が湧いてくるのでしょうか。二度寝三度寝はいつものことのようで、椿も慣れた風でした。
やがて目的の駅に到着、花火を思い切り揺さぶり起こして慌しく電車を降りました。
「アタタタタ…」
花火は、電車内でほぼ常に頭を垂らして眠っていたせいで張ってしまった背中の筋肉を、グイ~っと一伸びして鎮めました。
二人と同じ目的なのでしょう、この駅で多数の乗客が下車しました。家族連れ、カップル、男の子集団、女の子集団、老若男女様々な人々が、この地、札幌にやってきたのです。
「やーっぱ人多いんやなぁ」
「有名だから、ね」
「クリスマスの二の舞は勘弁やで…」
「広いから、ぎゅうぎゅうにはならないと思うけど…」
「ま、メシもあるしな」
「うん」
二人は階段を上り下り、通路を歩いて駅を出ました。混むかもしれないからと椿の提案で、あらかじめ帰りの切符を買っておくことにしました。さすがは半主婦、気が付きますね。
さて札幌駅、北海道の首都だけあってやたらと広いです。積雪のおかげで風景の輪郭がボヤけてしまうのも助けて、それこそ空港前かというくらいにだだっ広いです。花火は過去に一度、幼い頃に家族で訪れた経験がありますが、寒さに震えてばかりで風景など覚えていないようなので、基本的には二人とも初めて訪れる未知の世界です。駅を出て初っ端から、右も左もわからない状況に陥ってしまいました。しかしそこは頼れる椿、『バスに乗れば行ける』という手がかりを使い、長蛇の列になっているバス停に向かいました。きっとみんな同じ目的地だろうと打算する椿です。
少ししてバスがやってきました。行列の先頭がどんどんバスに飲み込まれてゆき、さぁ二人が乗り込むぞという所で、パンパンに詰まったバスの車内、特に乗車口ギリギリに立っている初老の男性から『頼むから乗らないでくれ』と語る熱視線を受け、思いっ切り躊躇った二人はそのままバスを見送ってしまいました。偶然にも最後尾だった二人は、ポツンと並んで立ち尽くしていました。
「…なんで乗らんかったん」
「…花火くんこそ…」
二人はハァと溜め息をつきました。
「ええわ、次や次」
投げやりな体で花火はバスの時刻表を見て、難しい顔をして頭をポリポリと掻きました。
「どしたの…?」
「次、30分以上待つで」
さすがも椿も『えー』と言わんばかりに落胆しました。否、『えー』と言いました。
「どないしよ?」
「…歩く?」
「あー…。じっとしとっても寒いだけやしなぁ」
「歩こっ」
「ん。行こか」
足さえあればどこでも行ける。寒さなんて関係ない。二人でいれば怖くない。真っ白な世界の中を、二人は歩き出しました。
椿はおもむろにバッグの中を漁り、四つ折になった一枚の紙を取り出しました。広げた面に写っているのは、どうやら地図のようです。用意の良い椿は、あらかじめ大学のパソコンでインターネットを使って周辺地図を印刷しておいたのです。もちろん操作したのは温子ですが。
「この道を、まっすぐ行って…」
「なんや、意外と近いんやないか」
「縮尺だから、そう見えるだけだよ」
「…宿直?」
「縮尺っ」
「なんやそれ」
「…。しゅ、縮尺っていうのは―」
お祭りごとがあるということで、駅前はいつも以上に活気付いていました。気合いの入ったお店では店頭に自前の雪だるまを作ってみたり、少々不恰好ながら何かの雪像が置かれていたり。目的地までの道中だけでも十分に雰囲気を味わえ、かつ心意気の準備もできるという、さながら前夜祭のようです。
縮尺についての解説を終え、十分ほど歩いた頃。
「まだかー…」
「今、この辺だから…」
地図の現在地を指差して花火に見せると、
「ホンマに遠いんやな…」
「…ごめんね。歩こうなんて…」
「なーに言うとんの、椿は悪ないて。でも、帰りはバス乗ろうな?」
「うん」
二人はひたすら歩き続け、時折擦れ違う巡回バスを羨望の眼差しで見送りながら、やがて…。
「おっ、アレか?」
「そう…かな?」
花火が指差す方向、横断幕のような看板には、こう書かれています。
『えぞ雪まつり』
幅広な国道の一部区間は歩行者天国となり、至る所にいくつもの美しい芸術的な雪像が展示される、北海道切っての名物イベントです。北海道に一度は行かねばと決めていた椿は、遠方からでも窺えるワクワク感でそぞろな面持ちで、イヴの夜と同様に、花火の手を引っ張って会場に駆けて行きました。
「うわぁ…」
会場入り口すぐの所に鎮座する巨大なマスコット雪像を見て、椿は感嘆の声を漏らしました。デフォルメされたかわいらしい雪だるまで、その大きさと愛くるしさのギャップに感動してしまったのです。
「すごい…」
「やな」
しばらくホケ~っと眺めていました。
「…いつまで見とるん?」
「えっ? あ…、うん」
「他のもよーさんあんで。回ろうや」
花火に促され、二人は会場内を回り始めました。子供用の巨大な雪の滑り台を見て、小さかったら私も滑れたのになぁとか、猫型ロボットの雪像を見て、ポケットには何が入ってるのかなぁとか、中国のどこかの建造物の雪像を見て、あれくらい大きな家で花火くんと…(ボン)とか。見る物全てに色々なことを考え、夢が広がり、膨らみ、次第に高揚していくのが余計に楽しくて、いわゆる"ハイテンション"になっていました。空は日没を迎え、ライトアップされる雪像に幻想を思い、ココが日本であることを忘れさせるような錯覚を抱かせる、不思議な不思議な空間でした。
「うわっ。なんやあのダッサイの」
少し離れた所にある、正義のヒーローチックな中型の雪像を見て花火が言いました。近付いてから椿が屈んで詳細プレートを読み、
「レッカマン、だって」
「なんやそれ? 聞いたことあらへんで」
プレートに書かれている解説を読んで、
「ちょっと古い作品みたい」
「ちょっとくらいやったらワイかて知っとるはずやねんけどな…。西じゃやらへんかったんかな。椿知らんのん?」
椿はふるふると顔を振りました。
「そか…。まええわ、行こ」
椿はうんとうなずき、先に歩き出した花火の後ろに付いていきました。
場所を変え、とある屋内に二人はいました。広い公民館の中には多数の簡素なテーブルが並んでいて、その中の一つに二人は向かい合いで座っています。卓上にはすでに広げられたお弁当セットと、あったかそうな豚汁がありました。
「ええサービスやな~。心もあったまるわ~」
「こんなに具が入ってる」
「なっ、太っ腹よな」
「…おいしい」
外食ばかりでは味気ないし懐も寂しいので、今日の為にと椿が張り切ってお弁当をこさえてきたのです。花火用のドカベンにはおかずとご飯がぎっしり詰められていて、これなら大食いの花火でも満足するだろうと自信たっぷりです。食べる場所を考えていなかったのでどうしようかと悩んでいましたが、ちょうど開放されている公民館があったので使わせてもらうことにしました。しかもその公民館では、地元住民の方々の提供で集まった食材を使って、来館者に豚汁を振舞うサービスまで行われていたのです。残念ながらお弁当は少し冷めてしまうけれど、豚汁のおかげで身体の中からあたたまります。
「椿の弁当て冷めてもうまいんよな」
「そ…、そう?」
「アレなん? 俗に言う『冷めてもうまい』のとかで選んどるん?」
「そういうのは、あんまり意識してないけど…」
「ほんなら、やっぱ椿の腕なんやなぁ」
「そ、そんなことは…」
「あるんやで」
追い討ちをかけられた椿は恥ずかしそうに俯いて、照れ隠しに(なっていませんが)自分のお弁当からおかずを摘まんでパクッと食べました。
「―んで。どや? 雪まつりは」
「うん。とっても楽しい」
「そか、そら良かったわ」
もぐもぐ。
「花火くんは、どう…?」
「ばぼびーべ」
楽しいで、と言っているようです。
「ここだけじゃなくて、他にも会場があるんだって」
「びぶりぼん?」
近いのん?と言っているようです。
「ううん。バスで少し行かないと…」
「ばんべんばばあ」
残念やなぁ、と言っているようです。
「一日じゃ、回れないね…」
ごっくん。
「明日もガッコやしな。来年は土日で来よか?」
「うん。…でも、私はいいけど、花火くん、疲れない…?」
「なっはっは。ワイをナメたらあかんでー、体力だけには自信あんねん。伊達に寝とるわけやないで」
…えーっと…。ようするに花火が言いたいのは、寝れば寝るほど体力が付くということでしょうか? 椿はついくすっと笑ってしまいました。
「な、なんで笑ろとんねん!?」
「ご、ごめん、だって…」
込み上げてくる笑気を抑え込んで、我慢の笑みで花火を直視し、
「花火くん、体力あるもんね」
「お、おぅ、体力だけは自信満々やで。なっはっは」
椿は心の中で、花火の愉快さに大ウケしていました。
地元の方々にお礼を言って退館し、一通り雪像を見て回った二人は、夜も更けてきたこともあり帰宅の途に就きました。念願のバスに乗り、名残惜しそうに雪像を見ながら、二人は駅へと向かうのでした。