ピンポーン。
煎御谷家のインターホンが鳴り、花火が応対に出ました。おはようと椿が言い、花火がはよと返しました。中に入り美緒に朝の挨拶をした椿は、いつものようにコタツに入ってみかんを一つ頂戴し、揉んだり転がしたりしてから食べました。
花火の準備が整ったところで二人は家を出ました。外は変わらぬ銀世界が広がっていて、もうそろそろ飽きが来てもおかしくない、否、飽きなくてはいけないというのに、椿はそんな極寒の地の風景を眺め、微笑みを隠しませんでした。
「もう二月やっちゅーのに寒ぅてかなわんわぁ…」
「まだ二月、でしょ…?」
「まぁそやけど、なんもプラスに考えた方がええやろ? まだまだ二月で寒いなぁ、よか、そろそろ二月も終わりであったかなるなぁって考えとった方が、寒さの感じ方も変わってくるやろ?」
「…そう、かなぁ…」
「そないなもんやて」
しかし椿は納得できない、というより腑に落ちない、というか考えているようです。そんなやや俯きの椿を花火は少し覗き込むような感じで、
「なんや。春にならん方がええのん?」
どうやら見当は外れたらしく、滅相もないといった風に椿は振り向いてふるふると顔を振りました。
「春も、夏も、秋も、嫌いじゃない…。でも、やっぱり、冬が好きだから…。終わっちゃうのは、寂しいなって…」
「ははぁ~ん」
花火は腕を組んでうんうんとうなずいてから、
「せやけど、アレやで。一年経てば、また来るやないか」
椿は少し間を置いてからこくっとうなずきました。
「ワイらが生きとる限り、冬は何遍もやってくるんや。季節は巡っとるし、どっか行ってまうこともないしな。これで最後の冬になるんやったら、そら地球の最後やで」
椿はこくこくとうなずきました。
「ゆぅわけやから、寂しがったらあかんで? まったり一年待とうやないか。―ワイらみたいに、な」
椿は強くこくっとうなずきました。
電車に乗り、途中の駅の売店で飴を購入し、駅を出た二人は駅前通りを歩いていました。
「…おかしいな」
「?」
花火がキョロキョロと辺りを見回す様に、椿は自然とクエスチョンです。
「いつものアレが来ぇへんで」
「―あっ」
椿もやっと気が付いて、心の中で手の平をポンと叩きました。
「しかも、二人とも…」
「どっちかがーいうんやったらわからへんでもないけど、二人同時やと、偶然とは思えへんなぁ…」
「でも、二人に限ってそんな…」
「いーやわからんもんやでぇ~、あいつら過去が過去やもんなぁ」
「…うーん…」
このテの話はまんざらでもないようで、花火と一緒になって、姿なき男女のあることないことを話しまくりました。それはもう二人がいたら二度と親に見せられないくらいに顔をあんなこんな破廉恥フェイスにされてしまうのであろうほどの内容でしたが、何ものも知らぬが仏なのです。
やがて大学に到着し、正門の警備員さんに挨拶して、二人はそれぞれの教室に向かいました。
さて花火サイド。
「お」
教室に入った花火は、すぐに端っこに座っている勇一を発見しました。何やら一人で考え事をしているように見えますが、花火にゃそんなものはお構いなし、後ろからそろりそろりと近付いて、ワッと驚かせて―
「ワッ!?」
驚いたのは花火でした。
「うおっ!?」
もちろん、背後でいきなり驚いた花火に驚かされた勇一です。
「な、なんやそれ!?」
花火は何かを指差しながら言いました。
「? ―あぁ」
花火の指差す先が、自分が今手にしている物だと気付いた勇一は何気なく言います。
「チョコ」
言われた花火は物凄い表情で勇一を見てから、素早い挙動で勇一の隣に座りました。
「ちょっ、お前、誰からもらってん」
声量を抑えつつも、あからさまに興奮気味の花火です。
「だ、誰でもいいだろ、別に…」
「ええやんかぁ~別に減るもんやあらへんしぃ~。隠すなんて余計に怪しいで?」
「…この紋所が目に入らぬか」
勇一は、手に持っていた物を花火の目の前に突き出しました。模様付きのラッピング紙に包まれた正方形の箱の表面に、デカデカと『義理』と書いてあります。
「なんや義理かいな、つまらへんなぁ…。―で、誰からもらってん」
「…そんなに知りたいか?」
「当たり前やないか~」
花火の方を向いていた勇一は、前を向いてハァと溜め息を一つ、投げやりに言いました。
「冴希」
少しの沈黙の間の後、花火の興奮のベクトルが少し方向転換しました。
「…ウソやろ?」
「こんなウソついて何になる」
「せやけど、お前、あいつとは―」
「何もない。冴希と俺はもう、何もない」
また花火の方に向き直り、勇一が言いました。
「渡された時だって、百回近く義理だって念押されて、最後は『義理だっつってんだろコンチクショー』ってブン殴られた。それに―」
勇一は持っていた箱を花火に差し出し、よくわからないけれど花火が受け取ると勇一が振ってみなというので言われるがままに振ってみました。すると、箱の中でカタカタと軽い音が聞こえます。
「どうせ中身は傘チョコかなんかだ。冴希らしいよ」
わずかに微笑みながら言った勇一の一言から、辺りにじつに微妙な空気が流れ、互いに出る言葉を失ってしまいました。というより、花火が何を言っていいかわからなくなっている状況です。
少し考え、頭をポリポリと掻いた花火は、渡されたチョコを勇一の前の机の上に置いてから、
「お前は、どう思とんねん?」
「―どうって?」
「コレや」
花火が親指でチョコを指しました。
「だから、それは義理で―」
「ちゃうちゃう。コレをお前によこした冴希のことを、どう思とんねん」
勇一は訊ねられて即答しようとし、しかし苦そうな表情になって口を閉じ、バツ悪そうにまた前を向いてやや俯いてしまいました。
「あいつは、義理だって言ってたし…。本当に、あいつとは連絡もとってないし、二人で会うこともない。この前のカラオケの時は、そっちの二人がいたから…たまたまだ」
俯かせていた頭を上げ、今度は天井を見上げました。
「ケー番消してないのだって、別に深い理由はないんだ。ただ、消すのが面倒なだけでさ…」
目を瞑り、ハァと溜め息をつきました。
「未練がましいな、俺」
自嘲気味に言い、上げていた頭をゆっくりと戻し、机の上に置いてあるチョコに目をやりました。両手でそれをそっと持ち、大きく『義理』と書いてある面を、やさしげでもあり切なげでもある、とても微妙な表情で見つめていました。
「義理、なんだけど、な…」
こんな思い詰めた風な勇一を見るのは初めてな花火は、何を言ってあげればいいのかよくわかりませんでした。どこの世界にも恋の悩みというものは付いてくるもので、自分だって悩んだことくらいあるのにワイはなんて相談ベタなんやーと嘆きつつも、そこは花火、前向きな提案を問いかけました。
「別に、ええんとちゃう? 冴希のこと、嫌いやないんやろ?」
「…まぁ」
「ならええやんか。お前にチョコよこしたゆうことは、あっちもお前のこと嫌いやないって証拠やで」
「確かに、そうだが…」
「コイツをもろたことをどう受け止めるかは植田次第や。前に冴希と何があったかは知らんけど、そないくっらそ~な顔せんでも、もっと明るく悩んだ方がええで?」
なんだそりゃ、とツッコミを入れたくなるのを抑えた代わりに軽く笑ってしまった勇一がそうだなと言って、
「ナイスな励ましだ。サンキュ」
「…ア、アホ、男に褒められても嬉しかないわいっ」
思いっ切り照れ笑顔で言う花火です。
「なっ、それよか開けてみよーや」
「いや、ここ飲食禁―」
「かまへんかまへん、みんなボリボリ食うとるやろ。日が日やし、見つかってもヘーキやて」
「…仕方ないなぁ」
勇一は嫌々ながら、ラッピングを剥がして箱を開けました。
「…」
「…」
五円チョコが入っていました。
やれ椿サイド。
教室の適当な席に座り、すでに勉強の準備を終えている椿は、ペン回しをしながら暇を持て余していました。そこに、
「カメちゃんカメちゃんっ!」
「わっ」
いきなり後ろから大きな声で呼ばれた椿がビックリして振り返ると、温子が小走りでやってきたようで少し呼吸が乱れていました。
「ど、どしたの…?」
「カメちゃん、もうチョコ、あげた?」
息継ぎで途切れながらも訊ねられた椿は、ふるふると顔を振りました。
「…そっか…」
温子はハァーと大きな溜め息をつき、椿の隣に疲れたように座りました。
「え…。もしかしてアコ、誰かに…?」
「えっ? あ、いや、ま、まぁ私だって? 義理チョコをあげる男友達くらい? いましてよ?」
「義理…?」
「そう、義理」
やっぱりアコは交友が広いなぁと思いながらも相槌を打ち、そして会話が止まりました。こういう時、常ならば温子が昨日のこととか昔のこととか、底がないんじゃないかというぐらいの引き出しでもって話を盛り上げるのですが、今朝はどうも雰囲気が違うというか…。はにかんでいるというより、少し照れているような気がしないでもありません。
物凄く気になったので、沈黙を破って椿が口を開きました。
「今朝、いつものトコで会わなかったけど…。チョコ、渡してたから?」
「あ、そそ、そうそう! あんまりあげる量が多いからさ~、朝の内にさっさと撒いちゃおうと思って」
「そんなに、あげたんだ」
「そうなのよ~大変だったわぁ~」
二呼吸ほどの間を開けて、椿が訊ねました。
「…ウエダくんも、来なかったんだけど…」
それを聞いた温子は内心よっぽど驚いたのでしょう、大きく目を見開いて椿に迫りました。
「うそっ!? あいつも朝、二人と会ってんの!?」
突然の温子の切迫した表情にビックリした椿は、少し小さくなりながらこくっとうなずきました。
「う~わ…。有り得ないってそんなの…。なんなのよ、あいつ、バッ―んもぉ~!」
両手で顔を隠し、ぐちゃぐちゃになった思考を紛らわすように叫びました。
「ご、ごめん、私―」
「…あっ、カメちゃんは全然、何も悪くないよっ! だからそんな、謝んないで?」
温子がやさしく言うと、顔を青くしていた椿に安堵が帰ってきました。いきなり温子が怒ったような声を出したので、聞いてはいけないことを聞いてしまったんじゃないかとすごく怖かったようです。
「あたしの方こそ、ごめんね?」
椿は大丈夫だよと言う代わりにふるふると顔を振りました。
「―そっか。バレちゃってるのか…」
「…ウエダくん、に…?」
温子は少し照れた顔をした後、アッと言って弁解に入りました。
「でも、義理ってのはホントだからね!? そもそもあんなヤツにあげたのだって単なる気まぐれだし、今朝たまたま見かけたから慈悲でくれてやっただけで、そういうアレは、恐らく、たぶん、きっと―」
ひとり慌てる温子がおもしろかわいく見えて、椿は微笑みながら言います。
「あげたんだ」
温子はやや俯き、照れ笑いしながらもしっかりとうなずきました。
「は~ぁ…。なーにしたいんだかなぁ~あたしは…」
だらりと座り、天井を見上げてぼやく懊悩真っ最中の女の子に、椿が一つアドバイスを贈りました。
「アコ」
「ん~?」
「もっと、自分に正直になった方がいいよ」
「…へ? あたしが?」
我ながら好き勝手に生きていると思っている温子ですが、椿が言っているそれは違うようです。
「本命か義理かじゃなくて、大切なのは、あげるかあげないかだと思う。赤の他人だったり、嫌いな人だったら、義理でもチョコをあげたりなんかしない。アコの気持ちはわからないけど、チョコをあげたっていうことは、赤の他人ではないし、嫌いな人でもない。…そう、だよね?」
温子はゆっくりとうなずきました。
「溜め息ばっかりついて、堂々巡りに悩むくらいなら、自分の気持ちに素直になって、ぶつかっていく方が、アコらしいかな、って…」
言い終わってから、偉そうなことを言ってしまった、ごめんなさい、とも言えず、申し訳なさそうに顔を俯かせて頬を赤らめていました。しかし温子はそんなことは全く気にせず、むしろとても良いアドバイスをくれた友人に感謝し、また可愛げな仕草をする椿を愛しく思い、少し強めに椿の頭を撫でました。
「ありがと♪ がんばるよっ」
椿は笑顔でこくっとうなずきました。
そして、お昼になりました。
学食で二人一緒にお弁当を食べ、午後の講義開始までの、ゆったりとした食休みをしています。…何やら椿は全くもってゆったりできていないようですが。アコにはあんなこと言ってのけたクセに、いざ我が身に降りかかってきたらこんな様だなんて、私はなんてダメな女なんだろう、と焦りと恥じらいと自責の念に苛まれてやはり顔を赤くしている椿の様子に、歯間をようじでシーシーしている花火は気付いていません。
さらに、周囲を見渡せば他に数組、チョコの受け渡しをしているカップルを見かけます。私たちもその中の一組だと思うと緊張して口から火が出そうキャー、と大変なことになっている椿でありますが、取れそうで取れない奥歯に挟まった咀嚼物と激闘中の花火は気付いていません。
こういうものは何事も勢いだと学んだ椿は、意を決して口を開きました。
「は、花火くんっ」
「んぁ?」
「あの、これ…!」
膝の上に置いて構えておいたブツを手に取り、ズバッと花火に差し出しました。ラッピングされて綺麗なリボンで結ばれた、正方形の箱でした。
「あ。そか」
勇一の一件で正直こちらの件を失念していましたが、もらえるとなれば当然嬉しいもので、
「…もろて、ええの?」
椿はこくこくとうなずきました。
「ほな―」
差し出されたブツをそっと受け取り、
「おおきに」
感謝の言葉に、椿は微笑んで応えました。
「そういや、初めてなんやっけな」
「え?」
「椿からもらうのん」
「あ…、うんっ」
以前は、数日前に椿が栃木に引っ越してしまったために、今日という日を迎えることができませんでした。しばらくの時を経て今日、やっと、渡すことができたのです。
「開けてもええ?」
椿はこくっとうなずきました。本人は丁寧にやっているつもりなのでしょうけれど、案の定包装をビリバリと破いてしまいました。真っ白な薄い正方形の箱のフタを開けると、敷き詰められた白のペーパーパッキンの上にふわりと乗った、ハート型のチョコレートが姿を現しました。表面にはホワイトチョコレートで本物の花火の絵が描かれていて、冬の贈り物だというのにシャレが利いてますねぇ。
「す…、すごいやないか、これ!」
「そ…かな…?」
「手作りなんよな? コレ」
椿はこくっとうなずきました。
「キレイな形しとるし、この絵なんかプロやプロ。こない素晴らしいもんもらえて、あ~ワイって幸せもんやわぁ~」
そこまで褒められるともう椿の褒められキャパシティはいっぱいいっぱいで、顔を真っ赤にして俯いてしまいました。
「食ってまうんももったいないねんけど、ほっといて溶かしてもうたらもっともったいないしなぁ…」
椿の手作りチョコをじーっと目に焼き付けてから、
「よしゃ。食うで?」
椿は強くこくっとうなずきました。見て喜んでもらうのも嬉しいけれど、やっぱり食べて喜んでもらうのが、椿にとっては一番嬉しいことなのです。
パクッ。バリバリゴリゴリゴックン。
「んまいっ!」
椿は、今日一番の笑顔を見せました。
その後、花火に歯痛が起こったことは言うまでもありません。